クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

ある作業療法士の言葉

2011-02-26 17:37:09 | 日記
脊髄損傷で四肢麻痺状態でリハビリに出掛けたとき
担当のOさんが嬉しそうに

「今日は○○大学の先生が来てますから時間があったら見て頂きましょう」


声をかけられて指差す方を見てみると
小柄で髪の毛が薄めでサラサラのチョイ長髪という
いかにも女が好きそうなおじちゃんがいらっしゃいました。


う~~ん?


普段のリハビリ済ませたあとに
その偉いという先生のリハビリに


最初に演説がはじまります

先生「あなたはピアノ教室開催してたということだね」

y「はい」

先生「今じゃ身体動かないのだから、頭だけで何でも教えられるようにしなさい」

y「は~?」

先生「そうやって頭を鍛えればなんでもできる!」

y「??」


どうも
いきなりわたしはもう身体は治らないのだから
しっかり知識をつけて学習塾でも開け?

そんな意見でしょうか?



続けさま
頭を軽く振って髪の毛を気にしつつ

先生「わたしの若い頃にガンダムのようなロボットが医療用に作られはじめていたが未だにできてない、あんなのが出来てたらよかったのにね」

y「え?」
(どうも・・この先生30年ほど勉強してないんじゃない?)

先生「それができてたら・・・」

(ips細胞も幹細胞の話も出ずにいきなりガンダムかよ?)


って
そんなロボットでもないが
腕を見たことあるような?

脳の命令で動かせる腕や足?
視覚も少ないドットで表現されてるような状態ならできてるようなテレビ情報が
(情報は正しいか自信がありません)


この先生
あからさまに

「貴方は治りません」

ってことを高らかに宣言してるだけ?
わたしは何もできないがロボットでも仕上がってたらよかったね

そんな思考らしいのだが


もし
頭で命令できるロボットが仕上がってるとしましょう
ほとんど人間に近いとしましょう


そんな機械の身体で
セックスひとつできないならいりません!

右手一本でもよいから感覚のある手がほしいのです
愛する人を抱き寄せるためにも。




yozame
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県立N総合病院5西其の9

2011-02-26 12:21:24 | 日記
脊髄損傷の話題は時間が行ったり来たりしますが・・
3月の尿検査が決まる前の事件をもう一度詳しく話させてください。


健康優良児T看護士

T「自分で処理できんがなら膀胱魯でしょう!」

y「・・・・」

T「ここ出ていく前に膀胱魯にしなさい!」

y「これから・・身体なおるかもしれんでしょうが!」

T「治ったら元に戻せばよいでしょうが」

y「膀胱魯にしたら誰が治ってきたかはんだんするの?」

T「そんなことはしらないわ!」

(あんだぁ~?このがきやぁ~おみや~◆ん○▲っ□ン■で~・・・が~)

T「それにあんたのおしっこはきたないねん!そんなきたないの交換したない!」

(ごりゃ!○ソデ○おん○が~)



熱気を帯びてワイワイしてるときに


○そばば○N主任が学生看護婦二人つれてきて

N「はい!これが患者に膀胱魯を薦める方法ですよく勉強しなさい」

(どあふぉ!・・てめ~・・あんだと~!)


部屋に学生二人放置して出ていきます

それに
口論するときはだいたいわたしは寝かされたままで
相手はふんぞり返ってうわめ目線だというところから許せません
それにわたしはカニュウレ?が喉に入っているので相変わらず口パクなのです。


(がう~!・・・)


よってたかって
膀胱魯を進めたがるのはなぜなのでしょうか?

実際
今現在わたしはオムツです
ときおり出ている感じがわかったりします

あのとき膀胱魯にしてたら
ずっと膀胱魯のままでますます膀胱の能力は低下していったことでしょう

天使のKさんの協力なアドバイスに感謝ですね。


ただ病院生活で
呼吸器はずすための大胆な後押ししてくれた
Oさんと
Iさんには
感謝してます。


病院生活もこんなんで
そろそろ嫌気がさしてきてたので
施設に移動する話に耳を傾けるようになっていきますが

首しか動かないわたし不安だらけだったことは
昨日のことのように思い出されます。



○ご意見ご感想よろしくお願いします
yozame
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身体障害者の生き方3

2011-02-26 10:10:40 | 日記
わたしは交通事故で脊髄損傷で四肢麻痺になり重度障害者です。

わたしが現在使っている携帯は
シャープのLYNX SH-10Bです。

使いはじめて半年
その前もシャープの普通のやつです。

すべて
口で竹串を使って打ち込みしてます。



さて 裁判始めるときの弁護士はどうやって探したのか?
一人目の弁護士は自分が乗っていた車屋さんの担当に紹介してもらいました
やりとりは全てメールです。


一年ほどすると
全く能力のない弁護士ということに気づき
弁護士にわたしの主張が伝わらないまま陳述書の提出を求められそうだったので

一人目の弁護士を首にして
新しい弁護士をライダーSさんに

千代田区に事務所がある弁護士を紹介してもらいます
これまたHPを紹介してもらい全てメールでやり取りしました。

弁護を代わる条件に
自賠責後遺症障害等級1級であることでした。


調べるのに時間がかかり
ギリギリでしたが新しい弁護士に変われました。


今も裁判中ですが弁護士とのやり取りはすべてメールです。
最初の契約だけは兄に東京行ってもらい手付金10万と契約してもらいました。


アルファードの福祉車両もネットで見つけ
メールのやり取りで契約です

関東で購入したので引き取りはバイク仲間にお願いしました。



現在は
ほとんどのことをネットとメールでやり取りできると思います



宅地用の土地は同級生が不動産屋を紹介してくれて
やりとりはメールでした。

ただメールが不得意な人もいるらしく
電話かけてくる人もいますが
今のところ電話は無視しています。

本当はそろそろ声だす練習のためにも電話も上手に使えるようになる方が良いかも。





すべて一人なのかと言いますと

そうではありません

わたしにはKさんがついています
強い味方であり、細々したことを手伝ってくれています
本当に感謝してもしきれないほど大きな存在です。



そんな感じで
仲間に支えていただきながら生きていますが
できるだけ甘えることなく生きていきたいですね

感謝


ご意見ご感想おねがいします
yozame
コメント (2)
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県立N総合病院5西其の8

2011-02-26 07:24:12 | 日記
脊髄損傷C3・4四肢麻痺障害者が人工呼吸器外せるまでに

一昨日面会に来たライダー仲間と会話してたら
バイク乗りが骨折で同じ病院に来たのは11月の末らしい
呼吸器外して車イスに乗り始めるのに5か月かかったということですね
それから完全にはずせるまでに一ヶ月

慣れ始めると早いらしい


もっと早かったのが
夜間人工呼吸器が外せたその日に

おばあちゃんN主任

「この501号の個室部屋は特別重症の人しか入られません、重症でなくなったのでどこか出ていってください!」

y「??うん?」


どうも
今の部屋はナースステーションに近いので死にそうな人が入る部屋であって
人工呼吸器外せるような元気な人は入ってはいけないらしい

「絶対はずせない」発言してたNの(ばっば~が・・・・あん!)

ということで
今までは個室でも料金掛からなかったらしいが
翌日からは全く同じ間取りの個室ですが料金はとられたようです。


そうして
3月に行った尿検査まで
リハビリに行く以外は無言の脅しで(膀胱魯)
部屋の空気がやけに重く感じたことは覚えています


担当のいなかっぺ
Hちゃんも

「呼吸器はずせるとは思わなかった」

言ってましたが
アナタ全くお手伝いしてくれなかったでしょうが!

この子の場合自分で考える能力がないことは明白で
膀胱魯発言の後押しは健康優良児の影響だし
呼吸器はナースセンター全体の影響であることは明白ですね
(思考能力ないやつは黙ってろっちゅうねん!)



困った3バカでした


リハビリに関しては
OTのOさんはやたら元気で
病院には珍しくポジティブ思考で助かりました

ただこの頃のわたしは本当に肩の上っ面から首から上しか動かせないので
何やっても辛かったですね
すわったまま肘をつけて頭を起こす訓練が
動かせる筋肉を最大限動かす訓練でしたがかなりきつかったことを思い出します

健康な自分だったら
愛する人を背中にのせてスクワット100回くらいの感覚ですね
何するにしても少ない筋肉をどうやって増やすか


毎日意識してました。

PTのKさんは
可愛い顔して大人しそうに見えるのですが
仕事は仕事と割りきるタイプらしく淡々とこなしてくれました

春までは起立制低血圧克服のため車イスで散歩が多かったですね
病院のまわりにちょこっと咲いている桜を眺めにいったりしました。

随分おちなくなってからは起立台に立たされることが多くなりますが
あっという間に意識が落ちます

あはは

ただもうすぐ病院追い出される7月頃には
起立台70度位の角度で一時間くらいたたせてもらえるようになりました
最後の2回だけでしたが・・・

その時の血圧の動き残ってると楽しいのですが
血圧が36くらいに下がっても落ちなくなっているわたしがいました。

なんでも
なれなのかな♪


ちなみに2011年2月現在はどうかと言いますと
週2回80度で17分の訓練をやってもらってます
調子悪いと前傾して倒れてしまいますが

厳しい訓練は大好きです。


yozame
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