クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

マーフィーの法則土地編

2011-02-27 14:11:13 | 日記
交通事故で脊髄損傷で四肢麻痺になったわたしがリハビリで復活できるのか
施設生活から脱出できるのか・・


現在新居の為に土地造成中ですが
なぜ自宅をリフォームしないのか?

疑問を持つ方がいらっしゃれると思います


バリアフリーの建物を考えたとき
立地条件をどうするかを考えました

条件として
家の回りに必要な物がすぐ買える都心や商業地とか図書館の近く
病院も近い方がよいとか・・

今時買い物はネットで賄えるということで没
図書館にしてもDVDにしても全てネットで賄える


なら
建物は
柱の多い日本建築は電動車イスには合わない

なら
自宅をリフォームしても居心地に問題あるように思える


ということで
電動車イスで家にいながら景色が良い場所
買い物はネットで
出掛けるのは購入した福祉車両があるので問題なし


ということで
不動産屋さんに海辺で景色の良い土地を探してもらうことに

最初に持ってきたのは北向に海が広がり南側が崖という土地
なんとなく風水あってないんじゃないと言うことで没
(風水は全くの素人です・・)



見つけてくれたのが↑の荒れ地

周りに建物もなく
海は南に向いていて内海なのでそれほど波も強くない


実を言うとこの場所
わたしが事故る前から車で通る都度
ここに家をたてられたら素敵だろうな~と想い続けた場所でした。


わたしが願い続けていた土地を
事故で四肢麻痺になってからお願いした不動産屋が探して持ってきてくれたのは
マーフィーの法則でしょうか?


現在設計士に

【愛と夢と遊びのある家】

というリクエストで設計をお願いしてるところです。

夢は叶うまで持ち続けましょう。



yozame
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病院生活一年を振り返って

2011-02-27 11:38:08 | 日記
交通事故で運ばれて・・・
気がつけばハローベストに
首には鉄板埋め込まれ
喉には人工呼吸器が

延命処置はしない約束してあったはず?

脊髄損傷がどんなものか判別出来ないくらい薬で朦朧とされながら
2ヶ月前後の集中治療室でジョクソウだらけで左半身が歪んだ
体重も20キロ以上減り
ボロボロの四肢麻痺障害者になりました。


そんな身体状態から
車イスに座れるまでに3ヶ月ほどかかりますが
その間の私は壊れたぬいぐるみのように扱われていました。

左右に対向を繰り返してる間に身体がS字状態・・まるでボロ雑巾に見えました

せめて看護士の皆さんに
もう少し人間として扱って欲しいと思いました
そんな気遣いが少ないので障害者の身体が歪んでらっしゃる方が多いのでは?
思えるほどですね。


車イス乗れるようになってからも
障害者の身だしなみなんて全く気にしない看護士の多いこと

ベッドでギャッチで座るときも
真っ直ぐにしてからベッド起こせば
身体は真っ直ぐ起きあがり
肘の下にクッション置くだけでバランスとれるのに

最初の時点でかたがっているので
ベッド起こすと身体は倒れるので脇の間にクッション突っ込み
つっかえ棒のごとく起きてるか
壊れた操り人形に見えるような状況でしたね

その点作業療法士さんや理学療法士さんは
しっかり見ていただけましたが。



身体じたい
骨と皮でボロ雑巾に見えた頃は
自分の姿を見るのが悔しかったのを思い出します。


看護士自体は
3馬鹿がいなければもっと普通の印象だったかもしれません
多少能力の低い方はいらっしゃいましたが
絡んでこなければ何の被害もない

たとえ
深夜の対向を一回抜かされ・寝付かれなくとも
復習しようとまでは思わなかったことでしょう。


とにかく
看護士は偉いんだと勘違いしてるような馬鹿は
いなくなってほしいですね

病院から施設に移って
一番の驚きが

施設の看護士には
自分が偉いと勘違いして
命令したがる馬鹿が多いことでした

それも
判断や会話が小学低学年レベルだということです。


最後に
H○MAちゃんと呼ばれてた看護士が
何の脈絡もなく病室に入ってきていきなり発言します。

Hちゃん「わたしたち看護士はメイドではありません!」

y「は~?」

H「あ・・・いや・」

(ざけんじゃ~ね~!メイドにてめえのようなカッぺはいね~んじゃい!)


つか
そんな会話をナースステーションでしてたことがバレバレだし
中心人物も想像つくし!



脊髄損傷一年目のできごとでした。


yozame
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

N総合病院からA 施設に

2011-02-27 08:26:33 | 日記
脊髄損傷で首から下が動かない四肢麻痺の私は
人工呼吸器が外せていなかった頃は次の行き先は病院を想定していたようですが

呼吸器もはずし
カニュウレ?(首に突っ込んでた器具)も徐々に小さくしてから
一気に取り外してくれ

その後ようやく弱々しいですが普通に会話ができるようになりました。

カニュウレの穴にビニールテープ張り付けても喋ることが出来たりしましたね



そのように元気になりつつあるわたしは
病院ではなく障害者施設への転居も想定できるようになりました。

ただ
想像しても何も浮かびません

個室であることだけ条件としてのべ
後はお任せ・・・というか
選択できるほど施設もなく
地元で有名なA施設の空き待ちということで決定しました。


ここで相談員から情報をいただきます

「このA施設は食事が不味くて利用者と施設が喧嘩になったりしてます」

y「へ~・・問題ないでしょう・・」


のちのち
そんなにあまいものではないということに気がつくのですが
気づくのが遅かったようです。



病院にいても
3バカトリオの顔は見飽きたし
ただ脊髄損傷になってから車での移動がはじめてでドキドキしたり
日々気持ちの準備をしてました。



引っ越し当日
車は自分で手配で
救急車のお下がりのような車

車イスごと乗ったのか?
ストレッチゃーで移動したか?

40km位のドライブでしたが疲れた記憶があります


さて
四肢麻痺の人間が車に乗るってどんな気持ちか想像できるでしょうか?

段ボールの上にスイカを置いた状態を想像してください
それを車の助手席において運転する感じだと思います

ブレーキ強く踏んだら
スイカが転げ落ちるような気持ちです

右に曲がろうが左に曲がろうが
首だけ転がっていくような感覚ですね。



そんなドライブを経て
バカの巣窟ALSSに到着です

決して全ての職員を○○とは思いませんが
ほとんどの職員は妙な教育と慣習に浸ってしまって
善悪の区別さえつかない輩になってしまったものと思われます

まだまだ地獄の生活が続きます



yozame
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする