ラヴェル、ドビュッシー&フォーレ:ピアノ三重奏曲
トリオ・フォントネ
ヴォルフ・ハルデン ピアノ
ミヒャエル・ミュッケ バイオリン
二クラス・シュミット チェロ
1. ピアノ三重奏曲イ短調(ラヴェル)
2. ピアノ三重奏曲ト長調(ドビュッシー)
3. ピアノ三重奏曲ニ短調op.120(フォーレ)
トリオ・フォントネ(仏語:Trio Fontenay)は1980年にハンブルク音楽大学で結成されたピアノ三重奏団。フランス語の「フォントネ」とは、「源泉」もしくは「幻想」といった意味であるが、同時にハンブルク音大付近の街路の呼び名にもちなんでいるという。欧州や北米・南米、豪州、極東の各地で演奏活動を行うかたわら、デンオンやEMIクラシックス、テルデック=ワーナーといったレーベルに数々の音源を遺してきた。ベートーヴェンのピアノ三重奏曲(作品1および作品11)のほか、モーツァルトやシューベルト、メンデルスゾーン、ブラームス、ドヴォルザークらのピアノ三重奏曲全集を残している。
メンバーは
ヴォルフ・ハーデン(Wolf Harden, ピアノ)、
ミヒャエル・ムッケ(Michael Mucke, ヴァイオリン)、
イェンス・ペーター・マインツ(Jens Peter Maintz, チェロ)
ラヴェル ピアノトリオ イ短調
これら3曲は作品としては素晴らしい曲だと思われますが
各々の曲に馴染むのに時間が必要だと思われます
鼻歌でメロディが出るくらい聞かないことには
何がどうだか発言出来るものでもなさそうです
一曲目のラヴェルピアノ三重奏が本格的に作曲が開始されたのは1914年の3月ラヴェル39歳だが、ラヴェルは少なくともその半年前からピアノ三重奏曲の作曲を計画していた。作曲の序盤において、ラヴェルは弟子のモーリス・ドラージュに「三重奏曲はもう書けているのです。今必要なのはただ主題だけです」 [1] と述べている。1914年の夏にラヴェルは、フランス領バスクのコミューンであるサン=ジャン=ド=リュズに滞在し…【Wikipediaより】
ドヴィッシー ピアノ三重奏 ト長調
クロード=アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年8月22日 - 1918年3月25日)は、フランスの作曲家。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれない自由な和声法などとを用いて独自の作曲を実行した。【Wikipediaより】
ピアノ三重奏曲(18歳の時、フォン・メック夫人の元で書かれた曲) - 1879年 - 1880年
フォーレ ピアノ三重奏 ニ短調op-120
ガブリエル・ユルバン・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré, 1845年5月12日 - 1924年11月4日)はフランスの作曲家である。フランス語による実際の発音はフォレに近い
ジャック・デュランからの勧めで書かれたもので、作曲当初は滞っていたが、本格的に着手したのは1922年の5月ないし6月のことであった。第2楽章は同年の8月から9月までアルシー=ル=ヴィユーに滞在していた時期に一気に書き上げられ、残りの楽章は同年の冬から翌1923年の春にかけて、パリで完成された。
初演は1923年5月12日に、パリの国民音楽協会の演奏会において、ロベール・クレットリーのヴァイオリン、パットのチェロ、タティアナ・ド=サンゼヴィッチのピアノで行われたが、同年の6月末に行われた2度目の演奏会では、アルフレッド・コルトー、ジャック・ティボー、パブロ・カザルスらによって行われている。
作品はモーリス・ルーヴィエ夫人に献呈されている。なおフォーレ自身はこの作品を「小さなトリオ」と呼んでいたが、弟子のフローラン・シュミットは「これこそが音楽だ。そして音楽以外の何者でもない」と評している。
構成【Wikipediaより】
一気に3曲も素敵な曲に出会えるなんて
そんなこと言ってたらこれからもどんどん知らない曲に出会えるのでしょうから
楽しみはまだまだあると言うことです。
印象派以降の音楽はまだまだ馴染みが薄いのですが
色々楽しみたいですね。
Kakishima