萩原朔太郎「こころ」より
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こころ
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。
こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言うことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。
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萩原朔太郎の初期の詩です。
アジサイの写真にぴったりの詩はないかなあと探していたのですが
ああ、この詩があったと、読んでみると
懐かしさがこみ上げてきました。
高校時代は、ほんとうに朔太郎が好きでした。
朔太郎は、やっぱり言葉の天才だったんだなあと
つくづく思います。
こころは「二人の旅びと」なのに
「道づれ」はいつも黙っている、だからこんなに寂しいんだ、
という「こころ」のとらえ方は
やはり今読んでも新鮮です。
どういう意味かと聞かれても説明はできませんが
そういうものかもしれないなあと思うわけです。
ひとりぼっちでも、こころの中には
もう一人の自分がいる。
いるんだけれども、話し相手にはなってくれない。
という感じ。
この感じがあるかぎり、人は孤独であっても
実は孤独ではない。
朔太郎は「さびしい」といっているけれど
その「さびしさ」は
ひとりぼっちのさびしさとはちょっと違う。
ということでしょうか。