加藤楸邨
雉子(きじ)の眸(め)のかうかうとして売られけり
半紙
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【句解】
雉子が吊り下げられて売られている。その眸(め)が、開かれたまま、こうこうと輝いている。
【鑑賞】
昭和20年作。『野哭(やこく)』は作者の最も好む句集。集名は〈野哭ノ千家戦伐ニ聞ユ〉という杜甫の詩句から採られた。戦乱のさなか、野にある中国の民衆はその惨禍を天を仰いで哭したが、その思いを太平洋戦争敗戦の日本のおのれの身にかえりみたのである。
雉子の眸(め)は、まさに天に哭する憤りと悲嘆の眸(め)ではないか。この眸はつぶらなイメージの「瞳」では表現できない。鉾と類似した「眸」の字のイメージによって、突き刺すような鋭いものになる。この雉子は高士・義子のように見える。作者が強く反映し、作者の分身となっているからである。
この句の鋭い気迫は音によっても見事に表されている。四つあるk音、句頭と句尾のi音がその役割を果たす。また〈かうかう〉のoの長音が上二つの〈の〉と呼応して、眸の輝きを漂わせる。〈眸の〉の次に小休止があるようだが切れず、一句言い切りの句となっている。
(「俳句の解釈と鑑賞事典」旺文社 平井照敏執筆)
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上の鑑賞に付け加えることはない。俳句も、その制作年代などを知ると、おのずとその意味するところが違って見えてくるものですね。