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Yoz Art Space

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ぼくの切抜帖 2 山崎正和「柔らかい個人主義の誕生」★末期の眼

2014-12-01 17:40:36 | ぼくの切抜帖

 俗に「末期の眼」はものを美しく見せるといふが、それは必ずしも現実の死にのぞむまでもなく、ものとの触れあひが慌しく過ぎて行くときにもなりたつものであらう。いはんや、現代は高齢化の時代であり、現実に老後の時間が延びるとともに、ひとびとが「余生」の時間を深く味はひ、それをいつくしむ時間も延びることになった。運命の偶然と環境の流動を痛切に感じる時間のなかで、ひとびとは孤独な自己の姿を見つめなほす機会を増やし、それと同時に、他人とともに満足を味はふ、幸福な自己の姿を確認する機会をも求めるはずなのである。

★山崎正和「柔らかい個人主義の誕生」中央公論社 1984


 


  今からおよそ30年前に書かれた本。「求めるはずなのである。」という予見は、さて、当たっているのかどうか。

  それはそれとして、最初の2行にいたく共感した。 


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ぼくの切抜帖 1 保坂和志「考える練習」★無駄

2013-08-21 13:56:33 | ぼくの切抜帖

 うちの近所の公園にも、毎日2時間ぐらい猫にエサをやっているおじさんがいて、絶対にブログなんてやらないようなタイプだから、べつに何も発信してはいないんだけど、でも、公園でネコにエサをやってるんだから、こういう人がいるんだってことは、人に見えている。「無駄」の流れで、その人たちを連想したから、「猫助けは無駄」だってことになっちゃうかもしれないけど、でも、やっぱり無駄って言えば無駄だよね。いまのこの社会の価値観では。「無駄」って言われるのは、この社会ではむしろ誇らしいことだよ。そして、その延長線上に、国境なき医師団とかがある──って言うと、「猫助けは無駄」と思っている人に向かっての説得力はあるかもしれないけど、猫のために時間を使っている人たちはそう言われて嬉しいか、と言うと、ちょっと疑問なんだよなあ……。

 ぼくもその片隅に位置する人間なわけだけど、そういう大袈裟な〈正義〉みたいなのと別なことをしたいと思っているんじゃないかと思う。〈正義〉だと、それをしない人に向かって強制力を持つし、もともと関心がない人から賞賛されたりするでしょう?

 そういうのは違うんだよなあ。周囲何メートルくらいの狭いところで軽い褒められ方をされて、大きなところでは呆れられる、っていうくらいの方がいい感じがする。

 やっぱり、「無駄」って言っちゃうほうが清々しい。

★保坂和志「考える練習」大和書房 2013

 



 久しぶりに保坂和志の本を読んだら、共感するところが多かった。「周囲何メートルくらいの狭いところで軽い褒められ方をされて、大きなところでは呆れられる」っていうのは、最澄の「一隅を照らす」と、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を現代的にミックスした感じかな。いいな、この「この感じ」。

 それと、「もともと関心がない人から賞賛されたりする」ってことも、あ、そうかって思った。




「ぼくの切抜帖」というシリーズを始めます。過去には、「言葉の標本箱」というシリーズをやっていたことがあります。これは、その続きといったところ。自分で覚えておきたいため、というのが一番の目的です。




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