二度寝してしまい、ドイツ語講座に遅刻。
あわてて教室に駆け込むと、「今頃来たの~」とみんな苦笑いな雰囲気。少々無理のある「Guten Morgen!」(グッドモーニング)で席に着く。今日で集中講座はおしまいである。レッスン終了後、親しくなった人たちと連絡先を交換し「ミュンヘン行ったら一緒に晩御飯食べましょう」てな感じで別れる(“住む世界”は違うけど、ドイツ語が結んだ不思議な縁)。今日も帰りが一緒になった家具デザイナーの方は「何か人と違った武器を身に付けたい」との理由でドイツ語を習い始めたそうだ。僕だってたぶんそう。人とは違う自分になりたいから、勝負できるものを見つけたいから、自分はこれでは負けないという自信を持ちたいから、ドイツにその何かを探しに行く。(待ち受けているのが『オズの魔法使い』的オチでも、それもまたよし)
そのまま渋谷に移動して、いまいくんかわしまくんと合流。
スターバックスに移動してコンペの第一回ミーティング。これがこの夏三つ目のコンペになる。いまいくんがワークショップでしばらくカナダへ行くので、その間はネットを使って情報交換をすることにした。自分たちが普段当たり前だと思っているような事柄を見つめなおす良い機会になりそうなコンペだ。
四時から駒場の生研でDECo会。
今日は『世界を動かす石油戦略』(石井彰・藤和彦 ちくま新書)の読書会。世界の仕組みを、石油をネタにして解き明かした本。始めのうちはただただ面白くて、政治の世界も面白そうだなあと思ったりもしたが、読みすすめるうちに「ホントにそうなのかなあ」と疑問もわいてくるような本だった。それくらい筆者の立場が明確な本だったということか。
アメリカがなぜ中東に介入するのかと言うと、それはやはり石油のためなのである。でもだからと言って、「アメリカは自国の石油企業(メジャーと呼ばれる)の利益だけを守ろうとしている。けしからん」とも言い切れない。なぜなら、いまや石油は世界を市場とした“市況商品”であり、自国にだけ有利にしようとかその反対にある国にだけ不利にしようとか意図して操作できる“戦略物資”ではないからだ、と筆者は言う。その一例が第一次石油ショックで、中東はイスラエル問題に抗議するためアメリカとオランダにだけ被害を与えようとしたのだが、ひとつながりの世界市場のせいで結局世界全体に影響が出て、むしろ世界中で中東の信用を落とすことになってしまった。アメリカは、もろい世界市場の安定化を図るために、最大の産油国である中東の政治に介入する。なぜならアメリカはそれができる唯一の超大国であり、また石油市場の混乱によって最も影響を受ける大ガソリン消費国だからである。世界市場の安定化のためにアメリカがとろうとしている戦略は、産油国である中東地域の政治的安定、もしくは政治的に安定した国家の産油国化である。前者が中東への軍事介入であり、後者が北海油田開発やロシアとの石油同盟ということになる。「アメリカは“自国のために”世界の安定が必要」という解釈はとてもわかりやすく納得できた(その論旨でいくと、日本は、アメリカによって安定化した世界にタダ乗りしている格好になるらしいが)。世界が市場を通じてつながっている以上、世界中どこで起きることも対岸の火事ではないのだ(もちろん日本にとっても)。理念や理想ではなく、経済活動によって必然的にみんな運命共同体になってしまっているという構図に感動する。国家がわざわざ崇高な考え方を振りかざさなくても、国家とは関係ないリアリスティックな経済活動によって、結果的に理想は実現し世界は一つになっていく…。
しかし本の後半に入ると、中国を「世界市場のかく乱要因」として登場させたりとか、アメリカはユダヤ人の発言力が大きいのでイスラム諸国とは友好的に話し合えないとか、「文明の衝突」という言葉をあえて使って世界の断絶を認めてしまっているのが引っかかった。中東では知識階層ほどテロに走るのだという。世界ってそんなにピュアな思想原理によって動いているのだろうか?だから筆者が考える日本の選ぶべき道は、石油以外の天然資源をもっと使うことだったり、石油の輸入源をもっと多様化させることだったり。石油の世界市場なんてやっぱり不安定だから、日本は「一抜けた!」するしかないってことか。中国がアメリカからの“フリーハンド”を保とうとして独自の石油調達ルートを確保しようとするのも、「“世界”市場」に組み込まれると自分たちが不利益をこうむるのではないかという疑念があるからだと思う。国家の意思に関係なく世界を動かす巨大な市場に「そこでは後発組も小国家もイーブンで戦える」という保証やルールが与えられれば、軍事力とは関係ない新しいパワーバランスを国家間にもたらすかもしれないのに。でも僕らの考える“世界”はアメリカの周辺国という範囲にとどまっているのかも知れず、世界はもっと多様で、自由主義社会だって必ずしもみんなが望んでいるわけではないのだ、という事実を僕はこの本から突きつけられた気がした。
そんな話のなかで、僕はバックミンスター・フラーの「ワールド・ゲーム」の話を出した。ワールド・ゲームとは、冷戦体制が企てた「ウォー・ゲーム」に対抗するものとしてフラーが夢想した、一種のシミュレーション装置(もしくは国家間の平和的折衝ルール)のことである。衛星通信を使って常時アップデートされる最新の情報分析(資源、災害など)をもとに、国家の代表が集まって巨大なスクリーン上で一種のゲームをする。一手一手は最新鋭のコンピューターによって即座に処理されてスクリーン上に反映され、その結果を踏まえて実際の国家戦略が実行される。例えば、画面上に余剰の食料と、飢えに苦しむ人と、利用可能な船の位置を表示して、救済策を具体的に考案したりといった具合。「賢人会議」か「世界統一政府」のようで少々理想的に過ぎるか。それよりも、フラーが各地で1000回以上行ったというボードゲームのような簡易版ワールド・ゲームの方が面白い。100人のプレーヤーはそれぞれが世界人口の1パーセントを代表し(人口比率を代表しているのであって、国家を代表しているわけではないことに注目。国家ゆえの政治的しがらみからは自由)、自分が代表する地域の特性に従って何枚かのカードを与えられる。フラーの考案した世界地図「ダイマキシオンマップ」の上にひしめき合いながら、ルールに従って互いのカードを出し合い、意見を調整しあい、取引し、ある達成目標に向かってゲームは進む。「戦争」も選択肢の一つとして用意されてはいるが、そのカードを切ることが必ずしもゲームを有利に進めるとは限らない。このゲームの「必勝法」は二つ。「協力すること」と「抑圧によって他人の考え方を変えようとしないこと」。フラーはこのゲームによって得られた知見に従って国家戦略を立てることが、人間を“種全体”として成功に導くための有効な方法だと考えていた。これはまさしく『世界を動かす石油戦略』が理想としている「win-win」な関係の実現である。
読書会終了後、渋谷の恋文食堂で一緒に夕食を食べる。
DECo会のメンバーは初めて知り合った人が多いし、研究している分野もまったく違うので、話を聞いていると楽しい。でもDECoでの話題に関して、今の僕には“門外漢”ゆえの気楽さがあるのも事実。
歴史系と環境系の間に断絶を感じると友達は言う。もしそうならばその裂け目にこそ僕は飛び込んで行きたいはずなのに。歴史系からひとり参加している自分のDECoにおける役割ってのもあるとは思うけど、だからといって「断絶を感じる」なんて友達に目の前で言わせてるようじゃダメだし、そんなさびしいこと言ってほしくない。僕が環境系の話を聞いてそれを身近に感じたように、僕自身も「歴史系は環境系に対して断絶なんて感じてないよ」ということを普段からもっと表明する必要があるのだろう。人のしゃべることをただニコニコと聞いている自分の態度もよくないのだな。断絶はたぶん双方向に理解が進まないと解消されないんだ。


