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ミュンヘンなんて、どこ吹く風

ミュンヘン工科大留学、ロンドンの設計事務所HCLA勤務を経て
群馬で建築設計に携わりつつ、京都で研究に励む日々の記録

あなたの知らない世界

2005-08-27 21:02:39 | 留学準備
夕方、連絡を受けてバイト先の模型材料買出しに走る。
以下のものを急遽今日中に揃えなければならない。

・Plastruct(プラスチック棒) 1mm×2mm長方形断面 二本
・Preiser(人物模型) 1/32スケール 8体ほど 

普段ならどちらも御茶ノ水のレモン画翠に行けばすぐ手に入るのであるが、時期が悪いのかどちらも長期品切れ中。仕方がないのでレモンの人に事情を説明し、同じものを扱っている他店を紹介してもらう。なんて良心的なんだレモンの店員さん。参考までにその貴重な情報をここにメモしておこう。

・Plastructを扱っている店
レモン画翠 東急ハンズ(正方形断面のみ) オリオンモデル
・evergreen(plastructとほぼ同じ。少し長い)を扱っている店
レモン画翠 世界堂
・Preiserを扱っている店
レモン画翠 東急ハンズ オリオンモデル(ただし…)

オリオンモデルは御茶ノ水にある三省堂の8階に入っている模型店である。エレベーターでしか行けないから知らない人も多いだろう(僕も知らなかった)。さっそく電話で連絡し、取り置きをしてもらってから自転車を飛ばす。中学時代には暇さえあれば地元の模型店に通いつめるほど模型づくりにはまっていた僕でも、少々躊躇してしまうようなディープな雰囲気。確かにplastructの品揃えは異常に充実していて、目的のサイズがすぐに手に入った。
そして「Preiserはこちらでよろしいですか?」と言って店員が取り出したのは、…なんと裸体のPreiser!そんなのあるんだ!知らなかった。もろに性器が見えちゃってますけど。しかもすんごい細かく再現されてますけど。「いや~、建築模型に使うのでこれはちょっと…(どれだけなまめかしい家だよ)」と説明し、棚に戻してもらった。店員さん、ちょっと不満そうに「これ以外のタイプは専門店に行かないと置いてないですよ~」。いや、むしろこんなタイプこそ専門店系では…(それとももっと過激なPreiserが!?)。いったいどんな用途で使うのだろうと思って箱をよくよく見たら、作例としてグラディエーターばりの剣闘士の姿が燦然と輝いていた。そうか、衣服は自作なんだね…。
(結局、Preiserはたまたま渋谷にいた友達に頼んで東急ハンズで買ってきてもらったのでした)
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さらり、すいすいと

2005-08-27 21:02:38 | 留学準備
欠席者続出で読書会が中止になってしまった。
せっかく徹夜で資料作ったのに…。おおたさんに読書会中止をお願いする失礼なメールを出すのはつらかった。次回は絶対にこんなことにならないようにしたい。

気持ちが切れてしまい憂うつな気分だったので、遊びに行ってしまうことにした。どうせ今日は夜からコンペ作業に戻るつもりだったし、気分転換が必要。
「いいね。どこ行く?」「わかんない。でもとりあえず大学から離れたいんだ…」
とりあえず本郷三丁目駅まで歩いているうちに、汐留でやっているはずの清家清展を思い出した。そうだ、それを観に行けばいいんだ。建築学科的発想の呪縛を感じながらも、大江戸線に乗り込む。

汐留に着いて「夢眠」で昼飯。僕はこういうさらさらとしたカレーが大好きである(日本のカレールーのどろどろとしたあの感じが時々ちょっと苦手)。さらさらルーに浮かんだぶつ切りの大きめ野菜たちがこれまたよい。どろどろと充実した毎日の中で最近思っていることを、整理しないままぶつ切りに、さらさらと話し合ったら気分が晴れた。

松下電工汐留ミュージアムで開かれている「建築家 清家清」展。「建築家」とわざわざクレジットされているけど、清家清は自ら好んでそう名乗っていたのかな?展示された清家清の雑誌原稿には表紙に「建築家 清家清」の署名が入っていた。「建築家なんて名乗ったらいやらしいかなあ」なんて考えずに、さらりとそう名乗ってしまうその自然体な感じがかっこいい。でもネスカフェのCM(その求道者然とした立ち居振る舞いがまた文句なくかっこいい)などのメディア露出で「建築家の象徴」のような存在に祭り上げられてもいたようなので、本人が望むか否かにかかわらず“建築家”であったという意味もこのタイトルには込められているのかもしれない。一緒に行った友達は最近バイク購入を考えているせいもあってか清家清のバイク(本物)に夢中だった。その多芸多才ぶりもまたかっこいい。
キャスターのついた「移動畳」のアイデアに驚く。内も外も関係なくボーダーフリーに敷居を横断する畳。庭の木漏れ日の下にだってすいすいと運べてしまう。清家清ってこういうキワモノ的な発想を恐れない人だったんだなあ。そのくせ人間工学への造詣も深くて、自ら被験者となって浴槽の最適寸法をしつこく測定したりもしている。「そこなの?」という妙なこだわりと、「そこまで?」という過激な提案。でも本人はきっとどちらも素朴に発想し、移動畳のようにすいすいと自由にそれらを横断していただけなのだろう。家の中を土足にしようとするも、客人があまりにも汚い泥靴で入ってきてしまうことがあったため挫折。でも懲りなくて、逆に庭をはだしで歩けるようにしてしまう。ここでも内と外はボーダーフリーだ。グロピウスにスカウトされアメリカにひょいと渡ってしまうのもボーダーフリー。「普通の家をつくって」と息子に嘆願されてつくったという「倅(せがれ)の家」のネーミングセンスにも脱帽。インタビュー映像に出てきたその息子さんは父親と瓜二つな面構えをしていたけれど、でも建築家にはならなかったようだ。


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なぜかなつかしい

2005-08-26 23:58:05 | 留学準備
今日は一日コンペ作業はお休みし、読書会の準備。
しかし思いっきり寝過ごしてしまい日が暮れてからようやく作業開始。

アルファベットとのにらめっこに疲れ、構内のローソンへ夜食を買いに行く。
なにげなく覗いたアイスコーナーで「ホームランバー」を見つけた。懐かしくて思わず買ってしまう。当たりが出たらもう一本もらえるというアレ。味はいたって普通なバニラ味なのだが(しかもたいしておいしくない)、「同点ホームランならもう一本、逆転ホームランならもう二本」という演出が子供心(大人心?)をくすぐる。でもここではたと気づいた。ホームランバーは確かに懐かしい。でもいくら記憶をたどってみても、初めて出会ったときからすでにホームランバーは懐かしかったような気もするのだ。これってもしかしたら「ホームランバー=懐かしい」という刷り込みによるただの条件反射なのかも。

藤森照信フリークの友達によれば、「日本人が懐かしいという感情をもつようになったのは稲作文化が根付いたときからだ」とふじもりさんは言っているという。狩猟によって生きていた時代は転々と狩場を移動する生活だったから、すべては刹那的だった。しかし稲作が定着すると、狩りに出た男たちには帰るべき場所ができた。命がけの狩りに出て獲物をしこたま手に入れた男たちが戻り、山の上から久しぶりに我が家を見下ろしたときに生じた感情。それが「懐かしい」なのだという。
「でも」と僕は思う。例えば新宿のしょんべん横丁。あそこは懐かしさを感じさせる場所である。でも僕らの記憶をいくらたどってもあのような風景は出てこない。僕らよりも上の世代にとってはあのような場所は幼少時代によく目にした風景として記憶に残っているのだろうけど、僕らにとっては初めから特殊な場所である。それを「懐かしい=戻ってきた」とは感じないだろう。それでもあの場所を僕らが懐かしいと思うのは、ただの刷り込みなのだろうか。あるいは日本人のDNAのなかにはあのような場所を本能的に「懐かしい=心地よい(?)」と感じる何かがインプットされているのかもしれない。だとしたら懐かしさを感じさせるものは生命にとって有益なものだということか。じゃあ、あのまずいホームランバーも…?

そんなことを考えながらレジで会計をしていると「からあげクン」が目に入ったので追加で買ってしまった。思い出すのは小学校時代のあの日。サッカーの試合で後半へとへとになり、その後に待つ昼飯のことが僕の頭の中をぐるぐる回っていた。試合終了後倒れこむ僕に駆け寄る監督に対して息も絶え絶えに僕がつぶやいた言葉「からあげが…、食べたいです…」。からあげ見るとそのときのことがよみがえり、気恥ずかしい思いになる。サッカーボールを夢中で追い掛け回していたあの頃に自分を戻してしまうから、からあげは僕にとって正真正銘懐かしいもの。
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自分の弱さを自覚すること

2005-08-26 08:58:24 | 留学準備
計画案に物語を与えるスタディ。
「天声人語」を信じ、模型をつくりながらかわしまくんと夜通し語り合う。現在建築がおかれている状況をどう思うかから始まり、それぞれの人生観や生い立ちまで。コンペに関係あることないこといろいろしゃべりまくった。生き方としてのパンクスピリッツも、ふじもとそうすけさんの建築思想も、ナンバーガールのむかいしゅうとくさんの「心がざわざわする」言葉も、自分の弱さ/人間の弱さを自覚することから始まるのかもしれない。話しているうちに、今こうして二人で夜を徹してまでコンペをやるようになったいきさつを思い浮かべた。一つ一つは偶然のような出来事/人との出会いをきっかけにして、奇跡的に今僕らは二人こうして共同作業するに至ったのだという事実。でも人生ってこんなものなのかもなあ。節目節目には必ず衝撃的な出会いがあった。人と関わるのを恐れないこと。それは自分の弱さ普通さを自覚することとも関連しているのかもしれないな。
最後にポツリと一言「こみ、人から話引き出すの上手だな」。
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嵐の夜、もどかしさ

2005-08-25 21:03:54 | 留学準備
今日は東京は嵐。

模型をいじくりながら、その中での生活をイメージするというスタディを日がな一日続ける。

晩飯どきに少し雨脚が弱まったので、大学から少し歩いて、春日の「烈士殉名」でラーメンと炒飯のセットを食べる。以前なにかの評で「おいしいけど、ラーメンではない何かを食べたような後味がのこる」と書かれていたのをみてから気になっていた。食べてみると確かにそのとおりで、この麺の食感はロンドンのラーメンチェーンWagamamaで食べた麺に似ている。きのこ好きとしては、標準トッピングに炒めたきのこが入っているのがいい。女性客が多いのはこうしたヘルシー感を売りにしているからかな。麺のキャッチフレーズは「素朴なやさしさの中の生命力あふれる力強い食感」。ちなみに炒飯がとてもおいしかった。

大学に戻り、読書会用に評伝を読みすすめる。
ある建築史家(建築批評家)について書かれたこの本を読んでいると、自分では建築を生み出せない歴史家ゆえのもどかしさみたいなものを感じる。「建築はこうあるべき」みたいな思想を持っていても、自分では建築をつくらないから、その考えを具体的に説明するためには誰かがつくった建築を取り上げて支持するしかない。自分の語りたいことを語る上での挿絵として、自分の理想を他者で近似するわけである。でも他人はあくまで他人だから自分の思い通りになることばかりじゃないし、そのくせ、その建築/建築家に下される評価はそれを支持する彼にまで及んでくる。特に先が見えない同時代の建築に評価を下していくってのは大変な覚悟のいる行為なんだろうなあ。自分の信じていたものに裏切られ、「こんなはずでは…」って思ったこともあっただろう。今読みすすめている章はまさにそういうくだりであるような気がする。



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ひょうひょうと

2005-08-25 16:36:34 | 留学準備
歴史系院生室で休憩がてらメールチェックしてたら、先輩から差し入れでお菓子をもらった。ひょうひょうとした先輩だけど、実は、修論書くために海外で国家機密級の資料を扱うなど修羅場をくぐり抜けてきた強者だったりするから、歴史系はあなどれぬ。
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そろそろこのあたりで

2005-08-24 20:10:50 | 留学準備
晩飯で少しぜいたくをしてみるという試み。
「とんかつせんごく」で、ロースねぎカツ定食にカニコロッケのトッピング。ご飯とキャベツはおかわり自由。
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毛布とクッションさえあれば

2005-08-24 14:31:54 | 留学準備
寝れちゃうんだな、どこでも。
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途切れ途切れ

2005-08-23 19:28:06 | 留学準備
今週末の読書会に備え、コンペの合間を縫って某評伝の翻訳。
粗訳文をつくっているのだが、いちいち辞書を引いていても埒が明かないので、全文をOCRでスキャンして機械翻訳にかける方針に切り替える。しかし、一通り翻訳は終わったものの、途切れ途切れの短文が連なっているだけでまったく意味がわからない。しかたなく原文をまず読むことにした。要約文をつくってから訳文をつくることにしよう。まだまだ先が長い!!!
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怪しいものではありません

2005-08-23 01:09:57 | 留学準備
午後一時、歴史系院生室で机に突っ伏して寝ているところを起こされる。
環境系院生室に移動し、二人で模型をつくりながらスタディを再開。やはり行き詰る。なにか違う。これじゃないかも。

環境系の助手さんから、他の研究室に所属しているにもかかわらず環境系院生室に出入りする僕の存在が不審だから、きちんとしたエクスキューズを得るように、との注意を受ける。かわしまくんが院生室用メーリングリストに写真つきで僕の紹介文を流してくれた(僕はおもいっきり笑顔で写真を撮ってもらったつもり)。この写真の男は鈴木研のM1で、自分とコンペを一緒にやっていて頻繁に院生室に出入りしますが、怪しいものではありませんといった趣旨。同様の写真つき紹介文が院生室の掲示板にも掲示される(まるで尋ね人か指名手配犯みたいだ)。今までも院生室の人とは普通に挨拶していたので、いまさらあらためて貼り出されるのは気恥ずかしい。一ヶ月以上も毎日通いつめているんだから、もういまさら誰も不審に思ってないような気もするけどなあ…。でもまあ、これで堂々と環境系院生室に入っていってもいいのだなと思うと心は楽かも。

夕食休憩を挟んでからも、引き続きコンペミーティング。
二人でもう一度提案の原点に立ち返ってみると、なんだかいろいろなことがクリアーに見えてきた。ここ数日考えてきたことはやっぱりどこか違っていたようだ。進むべき方向性が見えてきたところで終電の時間。これから考えなければいけない事項を二人で確認しあってから解散した。建築を取り巻く環境は厳しくなる一方にも思えてしまうけれど、建築について考えることや建築を建てることは、本来もっとポジティブにとらえていい行為のはずなんだ。
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