欠席者続出で読書会が中止になってしまった。
せっかく徹夜で資料作ったのに…。おおたさんに読書会中止をお願いする失礼なメールを出すのはつらかった。次回は絶対にこんなことにならないようにしたい。
気持ちが切れてしまい憂うつな気分だったので、遊びに行ってしまうことにした。どうせ今日は夜からコンペ作業に戻るつもりだったし、気分転換が必要。
「いいね。どこ行く?」「わかんない。でもとりあえず大学から離れたいんだ…」
とりあえず本郷三丁目駅まで歩いているうちに、汐留でやっているはずの清家清展を思い出した。そうだ、それを観に行けばいいんだ。建築学科的発想の呪縛を感じながらも、大江戸線に乗り込む。
汐留に着いて「夢眠」で昼飯。僕はこういうさらさらとしたカレーが大好きである(日本のカレールーのどろどろとしたあの感じが時々ちょっと苦手)。さらさらルーに浮かんだぶつ切りの大きめ野菜たちがこれまたよい。どろどろと充実した毎日の中で最近思っていることを、整理しないままぶつ切りに、さらさらと話し合ったら気分が晴れた。
松下電工汐留ミュージアムで開かれている「建築家 清家清」展。「建築家」とわざわざクレジットされているけど、清家清は自ら好んでそう名乗っていたのかな?展示された清家清の雑誌原稿には表紙に「建築家 清家清」の署名が入っていた。「建築家なんて名乗ったらいやらしいかなあ」なんて考えずに、さらりとそう名乗ってしまうその自然体な感じがかっこいい。でもネスカフェのCM(その求道者然とした立ち居振る舞いがまた文句なくかっこいい)などのメディア露出で「建築家の象徴」のような存在に祭り上げられてもいたようなので、本人が望むか否かにかかわらず“建築家”であったという意味もこのタイトルには込められているのかもしれない。一緒に行った友達は最近バイク購入を考えているせいもあってか清家清のバイク(本物)に夢中だった。その多芸多才ぶりもまたかっこいい。
キャスターのついた「移動畳」のアイデアに驚く。内も外も関係なくボーダーフリーに敷居を横断する畳。庭の木漏れ日の下にだってすいすいと運べてしまう。清家清ってこういうキワモノ的な発想を恐れない人だったんだなあ。そのくせ人間工学への造詣も深くて、自ら被験者となって浴槽の最適寸法をしつこく測定したりもしている。「そこなの?」という妙なこだわりと、「そこまで?」という過激な提案。でも本人はきっとどちらも素朴に発想し、移動畳のようにすいすいと自由にそれらを横断していただけなのだろう。家の中を土足にしようとするも、客人があまりにも汚い泥靴で入ってきてしまうことがあったため挫折。でも懲りなくて、逆に庭をはだしで歩けるようにしてしまう。ここでも内と外はボーダーフリーだ。グロピウスにスカウトされアメリカにひょいと渡ってしまうのもボーダーフリー。「普通の家をつくって」と息子に嘆願されてつくったという「倅(せがれ)の家」のネーミングセンスにも脱帽。インタビュー映像に出てきたその息子さんは父親と瓜二つな面構えをしていたけれど、でも建築家にはならなかったようだ。

せっかく徹夜で資料作ったのに…。おおたさんに読書会中止をお願いする失礼なメールを出すのはつらかった。次回は絶対にこんなことにならないようにしたい。
気持ちが切れてしまい憂うつな気分だったので、遊びに行ってしまうことにした。どうせ今日は夜からコンペ作業に戻るつもりだったし、気分転換が必要。
「いいね。どこ行く?」「わかんない。でもとりあえず大学から離れたいんだ…」
とりあえず本郷三丁目駅まで歩いているうちに、汐留でやっているはずの清家清展を思い出した。そうだ、それを観に行けばいいんだ。建築学科的発想の呪縛を感じながらも、大江戸線に乗り込む。
汐留に着いて「夢眠」で昼飯。僕はこういうさらさらとしたカレーが大好きである(日本のカレールーのどろどろとしたあの感じが時々ちょっと苦手)。さらさらルーに浮かんだぶつ切りの大きめ野菜たちがこれまたよい。どろどろと充実した毎日の中で最近思っていることを、整理しないままぶつ切りに、さらさらと話し合ったら気分が晴れた。
松下電工汐留ミュージアムで開かれている「建築家 清家清」展。「建築家」とわざわざクレジットされているけど、清家清は自ら好んでそう名乗っていたのかな?展示された清家清の雑誌原稿には表紙に「建築家 清家清」の署名が入っていた。「建築家なんて名乗ったらいやらしいかなあ」なんて考えずに、さらりとそう名乗ってしまうその自然体な感じがかっこいい。でもネスカフェのCM(その求道者然とした立ち居振る舞いがまた文句なくかっこいい)などのメディア露出で「建築家の象徴」のような存在に祭り上げられてもいたようなので、本人が望むか否かにかかわらず“建築家”であったという意味もこのタイトルには込められているのかもしれない。一緒に行った友達は最近バイク購入を考えているせいもあってか清家清のバイク(本物)に夢中だった。その多芸多才ぶりもまたかっこいい。
キャスターのついた「移動畳」のアイデアに驚く。内も外も関係なくボーダーフリーに敷居を横断する畳。庭の木漏れ日の下にだってすいすいと運べてしまう。清家清ってこういうキワモノ的な発想を恐れない人だったんだなあ。そのくせ人間工学への造詣も深くて、自ら被験者となって浴槽の最適寸法をしつこく測定したりもしている。「そこなの?」という妙なこだわりと、「そこまで?」という過激な提案。でも本人はきっとどちらも素朴に発想し、移動畳のようにすいすいと自由にそれらを横断していただけなのだろう。家の中を土足にしようとするも、客人があまりにも汚い泥靴で入ってきてしまうことがあったため挫折。でも懲りなくて、逆に庭をはだしで歩けるようにしてしまう。ここでも内と外はボーダーフリーだ。グロピウスにスカウトされアメリカにひょいと渡ってしまうのもボーダーフリー。「普通の家をつくって」と息子に嘆願されてつくったという「倅(せがれ)の家」のネーミングセンスにも脱帽。インタビュー映像に出てきたその息子さんは父親と瓜二つな面構えをしていたけれど、でも建築家にはならなかったようだ。


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