今朝は、いつも楽しみにかよっている、万葉集の講座に行ってきました。
巻十一の物に寄せて思いを陳べる歌が続いていまして、今日は、神に寄せる歌と、月に寄せる歌。
神というのは、神そのものでもあるけれど、神木、雷、社、など、神にまつわる物も含まれます。
例えば、雷なら、
天雲の 八重雲隠り 鳴る神の 音のみにやも 聞き渡りなむ (2658)
訳)天雲の 八重雲の奥で 鳴る雷のように 音(噂)ばかりを 聞き続けることか
雷は、今その正体がわかっていても、びっくりするぐらい、大きな音で、稲妻など光って、非常に怖いのに、当時、人の、自然への感覚がきっとずっと敏感だった頃は、どれほどだったかと、同情するほどです。
ここでは、八重雲の奥で鳴ってる雷、どんな雷だったんでしょう。
雷を聞くように、噂ばかりを聞く。
雷みたいな、噂だったわけではないでしょうけれど、ここでは恋の歌。
当時の人は、噂されたりすることを、極端に嫌ってたそうですから、なにか、そこにニュアンスが含まれてるのかもしれませんが、それも、よく調べないことには、ここでそうだとは、言えません。
さて、月。
当時は太陰暦で、月を中心にものごとを考えていました。
また、夜、外を歩くときの明かりとして、実用的なものでもあった月。
夕月夜、夕闇、月夜、有明の月夜、暁月、などの感覚、
その満ち欠けや、出ている時間帯のことなど、よく知らないと、
歌の本当の意味はわからない、ということになります。
夕月夜は、夕方の早い時間に、月が出ている夜。
そういう月の月齢は、十~十二、三日ころ。
夜中には沈んでしまう月。
だから暁闇、夜中過ぎから夜明けまでは真っ暗になるんですね。
夕月夜(ゆふづくよ) 暁闇(あかときやみ)の 朝影に 我が身はなりぬ 汝(な)を思ひかねに (2664)
訳)夕月夜の 暁闇の 薄い影のように ぼうっとわたしはなった あなたを思い余って
古典全集の訳、ここでは、「朝影に我が身はなりぬ」を、「ぼうっとわたしはなった」と訳しています。
ですが、どうも、本当のところは、朝の影のように、細長い、つまり、やせてしまった、ということのようです。
講座の先生から何度か、その話がでました。
手元にある、中西進先生の「万葉集 全訳註 原文付」の訳では、
夕月のころの夜明けの闇の後の朝の影法師のようにわが体はなった。お前を思い余って。
と。
夕月の心細さ、暁闇の暗さ、朝影の見の細さに共通した寓意がある、と。
二上(ふたがみ)に 隠(かく)らふ月の 惜しけども 妹(いも)が手本(たもと)を 離(か)るるこのころ (2668)
訳)二上山に 隠れる月のように 惜しいけれど あの娘の手枕を しないこのごろだ
「隠らふ」は、隠れて見えないのではなくて、隠れてゆく月。
手枕は、お互いの手を枕に寝る、共寝。
二上山に隠れてゆく月を見ながら、ふっと呟いたような歌。
一昨日、夜、外を歩いていますと、月がきれいに見えていました。
僕などにとっては、それまでのことですが、
万葉の頃だと、どれだけのことを、思ったことでしょう。
阿倍仲麻呂の百人一首の選ばれている有名な歌、
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも (古今406)
訳)大空をはるかに仰ぎ見れば 月が出ている 春日の三笠山から昇るのを眺めた月と同じ月なのだなぁ
753年、唐にすでに35年いた仲麻呂、奈良の春日で見た月と、同じ月なんだよなぁと。
さ、今日もやりたいこといっぱいです。
すっかり夕方ですが、がんばりましょう。
月は見えるかな。
素敵な夜を。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司