サザンのレコーディングにお邪魔したとき、桑田さんは、ギターやカセットテレコとともに、ブースにおられ、作曲の最中であった。
「できねぇなぁ~」と言いながら出てきて、コンソールでシンセのダビング中の曲への指示をされ、少しすると、また、ブースに戻られる。
そのとき録音されていた曲を、あとになってアルバムで聞いて、今も聞いていれば、あのときの様子がよく思い出される。「逢いたくなった時に君はここにいない」という曲である。
日本青年館で、何かのコンサートを見、そこでドラムのヒロシさんとお会いし、レコーディングに来るかいと、誘っていただいた。ビクター・スタジオまでの道を歩きながら、ヒロシさんに、「女神たちへの情歌」のリズムについて、質問したりして、それも嬉しい時間であった。
桑田さんが、あのとき「できねぇ」と言っておられた曲は、どの曲になったのだろうと、今でも思う。
僕は、そのとき従妹と一緒であった。従妹が将来のことなどについて、夢を語ったりしてくれていたのが、ほほえましく思い出される。
僕は、また早起きして、ギターを録音したり。自分のレコーディングは、何かのモデルがあるというわけではないのであるが、小学生のころから好きだったサザンのレコーディングを見させていただけたことは、非常に幸せなことである。洋司
「できねぇなぁ~」と言いながら出てきて、コンソールでシンセのダビング中の曲への指示をされ、少しすると、また、ブースに戻られる。
そのとき録音されていた曲を、あとになってアルバムで聞いて、今も聞いていれば、あのときの様子がよく思い出される。「逢いたくなった時に君はここにいない」という曲である。
日本青年館で、何かのコンサートを見、そこでドラムのヒロシさんとお会いし、レコーディングに来るかいと、誘っていただいた。ビクター・スタジオまでの道を歩きながら、ヒロシさんに、「女神たちへの情歌」のリズムについて、質問したりして、それも嬉しい時間であった。
桑田さんが、あのとき「できねぇ」と言っておられた曲は、どの曲になったのだろうと、今でも思う。
僕は、そのとき従妹と一緒であった。従妹が将来のことなどについて、夢を語ったりしてくれていたのが、ほほえましく思い出される。
僕は、また早起きして、ギターを録音したり。自分のレコーディングは、何かのモデルがあるというわけではないのであるが、小学生のころから好きだったサザンのレコーディングを見させていただけたことは、非常に幸せなことである。洋司