Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

丸投げ

2021年05月09日 | 日記
 仕事をしていて、自分の担当でないことを他者から「やっておいて」と頼まれることがあります。その人が上司であればやれと言われたことをするのは仕方ありませんが、例えば同僚同士の場合、その人との関係がよく、自分に余裕があるときは快く引き受けられます。が、そうでない時は「丸投げするなんて。。。」と思ってしまうこともあるでしょう。仕事はチームワークですから、特定の人に業務が偏らないよう、お互いが助け合って、分担しあい業務を終了していくのが理想ですが、現実は多忙な中、なんとかこなすのが精一杯ではないでしょうか。

 仕事の事なら手伝えますが、人間関係に基づく個人の抱えている内面的な問題ならどうでしょう。その人の話を聞くことはできますが、その解決方法を提供するのは困難ですし、その人の問題を引き受けることはできません。逆に、自分自身が思い悩む身である場合、他人の問題を聞いて聞き流せず、感情移入してしまうと厄介なことになります。また聴き手がカウンセリングのプロだとしても、結局は思い悩んでいる人自身の気の持ちよう、捉え方が変わらない限り、なかなか前には進めず、ぐるぐる同じところで思いが回ってしまいます。問題となっている相手が変わってほしいと願うより、自分を変えた方が早いのですが、その自分を変えられないから悩み、思い煩うわけです。しかし、思い煩いは心をさらに蝕み、悲観的な考えを拡大させ、良いことはありません。

 下記の聖書の箇所は「自分の思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」とあります。この「委ねる」と訳されている原語は「投げる」という意味であり、すると「自分の思い煩いを神様に丸投げしなさい」と訳せます。神さまは人と異なり、全能で、慈愛と忍耐に富む方であるので、全て投げても受け取られ、解決の方法へ導いて下さる方です。

 では、神様にどのように委ねればよいのでしょうか。イエス様が言われたように、自分が神様に祈ったことは全て聞かれている*1と信じ切ることだと思います。また、祈りの答えとして与えられたことを、受け取る覚悟が必要だと思います。自分の想う通りに神様が答えてくれると願っている限りは、神様に委ねていないのです。神様に問題を丸投げしたのならば、神様は各々にとって良いという方向へ導かれると信じ、それが自分の思い描いたとおりでなくとも、受け止めるということです。また、待つということも必要です。ただ待つのではなく、神様を「待ち望む」こと、なぜなら希望を持たなければ長いこと待つ事は苦痛であり、ついに諦めて、神様に対して「ああ、神様は結局聞いて下さらなかった」と不信感を持ってしまうからです。

「主を待ち望む者は新たなる力を得…走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」*2という神様の約束が与えられているのですから、この先の見通しがつかない時勢において、どんなことでも、全て神様に委ね、待ち望んでいきましょう。

「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。 」第一ペテロの手紙5章7節

*1 「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」マルコ福音書 11章24節
「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 」ヨハネ福音書15章7節
*2 「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」イザヤ書40章31節 (引用、口語訳聖書)