Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

ゴスペルは熱いが、暑さを吹き飛ばす!

2019年08月17日 | 日記
 栃木県の那須は避暑地として、以前は知られていましたが、ここ最近の気候の変動により、もはや暑さを避けられなくなってきたようです。私はこちらに住んで3年目ですが、今年は那須の山のエリアも湿度・気温共に高く、ましてや私たちが住む市街地は東京とほぼ変わりなく、寝室にエアコンのない我々は、寝苦しい夜を過ごしています。

 先日、私たちはこの暑い夜に、エアコンもないチャペルでのゴスペルの練習に参加しました。ミンゴス(みんなでゴスペルの略)というグループが毎週火曜日に、このアジア学院内のチャペルで練習を開催していますが、指揮者にリードのもとに暑さを吹き飛ばす勢いで、ゴスペルソング”The Lord is my rock”(主はわが岩)等を英語と日本語交互にを歌いました。一時間程でしたが、とても楽しかったですし、元気になります。また、このグループは誰でも歌いたい人は気軽に参加でき、アジア学院の学生等。様々の国の人がいて、国際色豊かです。ゴスペルソング自体は神様に捧げる賛美ですが、賛美をしている側にも力が与えられます。毎週来ている私たちの友人は、その日仕事でどんなに疲れていても、ここに来て歌うと、元気になって帰宅できると言ってます。
 
 ゴスペルの歌詞は、多くは聖書の詩編という詩の中から引用されています。たとえ、那須塩原がもはや避暑地でなくても、このミンゴスの練習場所は気温やエアコンに関係なく、まさに暑さを吹き飛ばせる場所であります。なぜなら、この詩編で歌われているように、神様ご自身が、どんな状況からも私たちが身を避けることができる岩であり、盾であり、救いだからです。私は様々な困難な状況に直面する時、神様に助けを祈って叫ぶと、必ず逃れの道、場所を備えて下さったということを今迄経験しているので、だからこそ、神様にありがとう!神様はすばらしい!と、心を込めて歌えるのです。そして、ゴスペルソングを歌った後は、しばらく頭の中で歌の余韻が流れ、益々神様の恵を感謝して、自身の心が引き上げられます。

 これからも、出来るだけ参加し、もっとたくさんのゴスペルソングが心に書きつけられて、いつも口ずさむことができたらと願います。日常生活で様々な事が起こります。心身ともに疲れ、心が引き下げられたり、不条理なニュースを見て「何故?」と心が痛んだり。。しかし、それらの気持ちを引きずらないで、下を向かず、目を挙げて、イエス・キリストに心を向けることはとても大切です。このことは現実逃避ではなく、気晴らしでもなく、逆に、これらの状況に向き合う為にも、心を強くし、励まされるため、キリストが救い主であること、またこの方にあって、どんな状況でも希望を持つ事ができるということを確認する必要があるからです。まさに、主は私の避け所、岩、盾、私の救い主です。

 日本各地、特に都市部では、ゴスペルのグループはいくつかあると思いますので、お勧めです。多くのグループはクリスチャンでない人も多く、単に歌うのが好きな方々が集まり、熱く歌っているそうです。ミンゴスの場合、今の季節、水分補給は必要なので、タンブラーかペットボトルを持参で。(今回うっかり忘れてしまいました。。)
 
「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。」 詩編18篇2節  (注:「主」とは聖書で神のこと)

悪を憎んで人を憎まず

2019年08月02日 | 日記
 今年も暑い8月が始まりました。日本では多くの平和のための行事が、各地で行われていると思います。私たちの教会でも毎年8月は平和月間として、今年も平和に関する講演を講師を招いて開催する予定(講演のタイトルは「平和の反対語は?」)で、また礼拝中には特に平和のための祈りを捧げています。さて平和の反対語はなんでしょうか。戦争、争い?
 「私は、日本に再び戦争をもたらそうとしている安倍総理は赦せないし、『悪を憎んで人を憎まず』と言われても難しいです!」先日の教会での聖書勉強会で、あるご婦人がこう発言されました。牧師がちょうど、聖書の箇所から「人を憎むのではなく、悪を憎む、つまりその人の背後にいる悪魔を憎み、人は憎む対象ではなく、愛する対象です。」と説明したことに対するコメントでした。現在の日本では、経済的豊かさを保ってくれる政治家が支持され、結果、世界で唯一の平和憲法を変えてしまっても、やむをえない、仕方がないと考える人が多い中、若い時から戦争のない平和を求て活動してきたの彼女にとって、きれいごとを言っていられないのだと思います。
 「どうしたらよいんですか?」と彼女は続けて牧師に質問しました。牧師は「安倍総理が変えられるよう、祈ることです。」と答えました。イエス・キリストは、「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 」*と教えられました。これは感情的には不可能なことです、キリストを信じて、その教えに従おうと決めている者にとって、いつもチャレンジです。しかし、神様が相手を憎まないように、「私たち」の心を変えて下さることを願え、またその祈りはきかれるのが感謝です。また、神様を信じる者にとって、人ではなく、悪自体を憎むべきが今日の箇所から示されます。そして、神様は悪を憎む者の命を守り、悪い人たちから攻撃されても助け出してくれるというのです。この聖書に記される神様の約束が、私たちのような弱い存在の心を支え、平安を与えてくれます。
「祈るなんて、現実的ではない。何か具体的にしなければならない」と思われるかもしれません。もちろん、国民としての意志を選挙等で表明したり、なすべきことはたくさんあり、無関心にならず、どんな小さなことでも平和的な活動をされることは良いことです。また、神様に世界平和を祈ってもすぐには聞かれないかもしれません。しかし、神様の御心にかなう祈りは必ず聞かれると聖書は記しています。ただ、神様の答えられるタイミングと方法が、私たちの想像するものと異なる可能性が高いのです。
 世界政治を操る大きな悪の力に対して、一番効果的なのは、実は祈りなのです。なぜなら、愛と平和と正義を人の社会に臨まれる神様が、そもそもこの世界を創り、支配されていて、その大きな存在が祈りに答えるからです。神様は、一つの点だけを見ているのではなく、大きな時の流れを同時に見ることが出来る方です。人間の視野は狭く、時間によって限られていますから、一時だけみると、戦争や不条理なことがたくさん起きて、本当に神なぞいるのか?と疑ってしまいがちです。しかし、世の中の不条理なこと、戦争は罪ある人間がしていることであって、神様がしていることではないことを認識し、神様のせいにしてはならないと思います。神様は公平・正義な方で、最終的には悪を裁かれ、いつかキリストにある平和が支配する時がくることを信じ、忍耐強く祈りを怠らないようにしたいと願います。

 「主は悪を憎む者を愛し、その聖徒のいのちを守り、これを悪しき者の手から助け出される。」 詩編97篇10節  (注:「主」とは聖書で神のこと)

*1 マタイによる福音書5章44節