Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

人生のレースを走り続ける

2020年10月17日 | 日記
 新型コロナウイルスは誰でもかかる可能性があります。有名な政治家でも、普通の子どもでも。
重症になる人もいれば、無症状や軽症の人も。善い行いをしている人、立派な人もかかり、いわゆる悪人と人々からレッテルをはられるている人もかかります。最近、クラスターが起きたであろうとされる、アメリカ大統領の主催のパーティに参加した、ある牧師さんもコロナに感染したというニュースをみました。その牧師さんは神様に大いに用いられている人で、コロナ禍で礼拝に集まれない信徒たちのために、また不安の中にいる人々に向けてITの技術を駆使し、リモートで多くの宣教活動を行い、結果、今迄彼が開いてきた集合型伝道集会の時よりも、多くのアメリカ人が信仰に導かれたという報告を聞くたびに、励まされ喜んでいました。ですから正直なところ、「え?彼もかかってしまったの?!」という反応はあります。その方の回復を祈りつつ、かかってしまったというネガティブにとられる状況を通しても、神様はプラスに用いられると信じております。
 
「私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」* 

 何のために私たちは人生というレースを走るのか。それはイエス・キリストの為に走っているのです。このレースは他の競技者と競い合う必要はありませんが、競技者たるもの、レースではベストを尽く、賞を目指して走ります。そのように、信仰のレースは自分の自身において、神様の前にベストをつくそうと努めているかどうかが問われると思います。私達は自分の自己実現のために、もしくは誰か自分を必要としている人の為に走るのではなく(結果的には誰か人の為になりますが)、わたしたちを暗闇から光へ、死から命へと導き救って下さった方のために、走り続けようと、この聖書の著者も励ましています。

 生きていれば、辛いことはあります。私は心が弱く、特に職場ではくよくよし、落ち込むことがあり、聖書のみことばで励まされ、なんとか引き上げられている日々です。多くの方は、もっと大変な状況:病気や経済的困難、災害に被災するという状況にあると思います。しかし、状況についても他者との比較ではなく、神様は個々人の大変さ、抱えている問題に寄り添い、助けて下さる方なので、平安と安堵を与えられます。この神様にすべてを委ねつつ、信仰の創始者であり、完成者であり、助け主であるキリストを目指して、人生のレースを走り続けようと、互いに励ましあっていけれたらと願います。

*「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 」 ヘブル人への手紙12章1-2節 

この時だからこそ

2020年10月10日 | 日記
 現代は世界中のほぼどこへでも、交通手段の発達のおかげで行くことが出来、またIT技術により、たとえその場所に行けなくとも、スマホがあればリモートで顔を見てコミュニケーションが可能な時代となっています。一方で、その技術を何のために使うかによって、話は異なってきます。残念ながら、これらの技術が人々の益となるだけではなく、悪用され、犯罪も巧妙になっているというのも事実です。また便利だからとは言え、ネット社会においてその便利さが人々の心に様々な影響を与える可能性があり、そのことによる「ひずみ」も生じています。

 NY在住の日本人の友人から、NYの治安が最近悪くなっているとの報告がありました。その原因は、昨今の抗議デモ後、警官の配備が以前より少なくなったこと、またコロナ禍により失業する人々が増え生活苦を抱える人が増大していることなどがあるそうです。以前は夜中に地下鉄に乗っても問題なかったのですが、今は遅い時間に地下鉄に乗ると、襲われるという事件や銃を伴う強盗、殺人が増え、最近NY在住の日本人ジャズ・ミュージシャンが被害にあったというニュースを見た人もいることでしょう。社会で何か問題が起きた時こそ、お互いが協力し、助け合っていく世の中が理想ですが、残念ながら、その混乱に乗じて犯罪に走ってしまう、自分の保身しか考えず、他者のことまで考える余裕がなくなってしまうというのが現実です。個々人の心に平安や希望が必要です。

 光は周りが暗ければ暗いほど、輝きます。こんな暗い時だからこそ、どんな小さな光でも必要です。それも、一時的でなく、いつまでも続く光が。 心を照らすことの出来る、そのような光とは何でしょうか。信仰と希望と愛だと思います。「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」*1とみことばにあるように、キリストの光を今だからこそ、世界の全ての人に伝える最大のチャンスだと思わされます。もちろんこれからも、もっとIT技術は発達するかもしれませんが、ネットで聖書がどこでもアクセスでき、牧師の説教も聞くことができ、集まる事が出来ない状態でも、リモートで礼拝もすることが出来る時代だからです。そして何よりも、人々の心が今一番飢え渇いている時だと思います。目に見えないウイルスの脅威にさらされ、これから完全に守られるという保証もなく、今迄当たり前にできたことができない社会情勢の中で、何が生きる上で大切かを求め、それが神様を求めることに繋がるはずです。

 イエス様が私たち人間の罪を贖うために十字架にかかり、死なれて3日後によみがえられ、弟子たちに現れ、天に帰る前に弟子達に言い残した言葉。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 」*2 これは牧師や宣教師だけに言われている命令ではなく、本当にキリストを信じ、キリストに従っていこうと決めた人であれば、「自分」にもイエス様が言われていることだと受けとめることが出来るのではないでしょうか。特別な知識や技術は、皆に必要なわけでなく、今それぞれが置かれた場所で出来ることがあるはずです。全世界に出かけていけなくとも、ネットで配信できる福音のメッセージや証し(証とは神様がどんなに自分に恵深く、憐み深くしてくださったか、信仰に導かれた経緯や、その人におこった神様の業を分かち合うこと)が可能です。また、たとえ人前で話すのが苦手な人も、言葉で表現するのが得意でない人でも、その人の態度や言動でキリストの愛、希望、信仰を表すことが可能です。

 私は良い人格ではないし、欠点もあり、神学校教育を受けてはいません。聖書には、全ての人が教師になる必要があるとも書いてありませんし、かえって使徒の働きという書簡には、使徒や弟子達だけでなく、普通の信徒が、迫害の中においても口コミでキリストの福音(良き知らせ)を伝えていることが記されています。普通の信徒であっても、聖霊が私の内側におられて共にいてくれるので、祈って、聖霊のより頼めば、自分が思った以上のことで神様の力が注がれて、奇跡が起きると信じています。最大の奇跡は、人がキリストを救い主だと信じられるということだと思います。これは聖霊の力によらなければ起こりえない現象ですし、人の説得で、強制や洗脳という操作では起こりえないことで、神様は求めている人を必ず様々方法や人を使って導き、信仰を与えて下さります。今が、本当の神様を求める時。私は、日々この奇跡が世界中の全て人々の間で起こるように祈り、私のような小さい存在であっても、神様のすばらしさ、愛をもっと発信していきたいと願っています。

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイによる福音書28章19-20節


*1 第一コリントの手紙13章13節
*2 マルコ福音書16章15節    (引用 新改訳聖書1965年版)