Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

ヨベルの年:すべての囚われからの解放

2022年04月10日 | 日記
「まっ、過去には戻れないんだから」私が職場から帰ってきて、その顔色や様子で今日も大変だったのだろうと夫が察します。私は具体的内容について言いませんが、うまくいかなかったことで私が落ち込んでいることは分かり、夫がよく言う言葉です。そのとおり、落ち込んでも時間を戻すことができないので、気持ちを仕切りなおして前に進むことにしています。日々、悔い改めることは祈り、すでに起きてしまったことは神様に委ね、今後も助けてくださいと祈りながら、今の職場に勤め続けられるのは、神様の憐みと恵によります。

 昨日参加した、アジア学院という農村指導者養成専門学校の入学式の校長のスピーチの中で、創立50周年であること、この50という数字は聖書的に「ヨベルの年」といって、解放の年*1であることが話されていました。50年目ごとに、奴隷として売られた人は自由人になれる、借金が免除される等、神様がイスラエルの民に解放すべき年として律法に制定された年です。またこの解放が、後に救い主であるイエス・キリストによってなされる解放の予表であることを下記の聖書の箇所から思い起こしました。

 主がわたしを遣わされたのは、
 捕らわれている人に解放を、
 目の見えない人に視力の回復を告げ、
 圧迫されている人を自由にし、
 主の恵みの年を告げるためである。*2

 現代のように人権が尊いとされる時代であっても、物理的に奴隷状態の人がいますし、さまざまな障がいにより不自由な状態の人もいれば、精神的に縛られている人がいると思います。それが他者による束縛である場合と、自分自身で心を縛っている場合もあるでしょう。いずれにしても、イエス様は捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にして下さる、救い主であると、聖書は記しています。このことを信じれば、すべてのことからの解放が与えられるからです。

 もちろん、クリスチャンになったからと言って、すべてが順調にいくわけではなく、また信じたからといって突然性格や人格が変わるというケースはそう多くないと思います。多くの人は、キリストを信じて、救われた喜びを味わい、心が生まれ変わっても、その人をとりまく環境や状況が変わらない場合もあります。しかし、周りがかわらなくとも、信じた人の内側が聖書のみことばによって整えられ、徐々に神様の力で変えられていくという希望が与えられます。それが神様の約束だからです。内側から外側へとその影響が現れるのには時間がかかると思います。しかし、時間がかかっても、神様は忍耐を持って徐々に変えて下さり、過去を振り返って悔やむという後ろ向きな姿勢や、昔の他者に対して苦い思い出からも解放してくださる方であります。そして、なすべきことは、ひたすらキリストのために生きるという目標に向かって、時にはつまづきながらも、時にはうずくまって止まってしまうことがあっても、この世での歩みを聖霊の力によって助けられ前進していこうと、今日のみことばから示され、励まされました。

「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。 」フィリピ信徒への手紙3-13-14 (新共同訳聖書)

*1 レビ記 25章8節~10節
*2 ルカによる福音書4:18-19