Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

約束を守る

2023年04月23日 | 日記
 約束は守られるものでしょうか。「では、今度それをお渡します」と仕事上なされた約束は、支払いが伴うので期日までになされ、約束が守られるということはあります。では、支払いのない家庭内ではどうでしょうか。親が子どもにした約束、例えばどこかに家族で出かけるという約束が、親の都合でなされないこともあります。また、大人同士でも支払いを伴わない約束、つまりボランティア的な好意で何かを相手にしてあげるという口約束がなされた場合、それが必ずなされるでしょうか。私は経験上、特にお忙しい方は残念ながら「口だけ」の方もいるということを知り、そしてあまり期待しないようにしています。なぜなら、忙しい相手に時間をさいて、好意を要求できないですし、もしして下さったら有難いと感謝するという程度にしています。

 一方、キリスト教の神様は人と約束をされる方(契約を結ばれる方)であり、人と異なり、約束は必ず守られる方であります。約束の内容は、神様が恵み深いことを示しています。どのように守られているかが分かるかというと、神様の約束はキリストを通して私たち人間を罪から救うという内容で、それがイエス・キリストが人となってこの世に来られ、十字架に架かられて死んで3日後によみがえったことにより約束が果たされています。またその他のたくさん神様の約束、例えば神様は祈ったことは必ず聞かれる、祝福と平安を与える、守って下さるという約束が聖書に記されていて、これも先に信仰を持った人たちの経験からその約束が果たされてきたことが聖書に示されており、神が真実であることを知ります。そして彼らと同じ経験が、時代を超えて今に生きる自分にも当てはまるということを「知って」神様に委ねる、それが神に対する信仰であると思います。

 「知る」とは自分が神様の約束の成就を体験して「ああ、神様は今も生きていて、本当なのだ」と納得し、神様に対する信頼が増す、つまり信仰が強められていくというものではないでしょうか。宗教改革者のルターさんは「信仰とは、約束する神を信頼することとほぼ同じこと」と言っています。神は存在するという単なる科学的、哲学的存在証明だけでは人は神を信じることは困難でしょう。信じることは、神との人格的な関係であり、神が真実であることを体験的に知る必要があり、そこには神の霊(聖霊)がその人の理性と思いに働きかけるという面があると言われています。そしてその聖霊は求める人の心に与えられるというのも神様の約束の一つです* 。求めれば必ず与えられ、そして信仰に導かれる、すべて神様から頂けるというのはなんと幸いでしょうか。

「神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方(キリスト)を通して「アーメン」(そのとおり)と唱えます。」 コリントの信徒への手紙2  1章20節  ()は追記
(引用 新共同訳聖書)

*ルカによる福音書22章9-13節 「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

イースターエッグ

2023年04月11日 | 日記
 イースターエッグ。キリスト教の文化を持たない日本であっても、ここ数年にディズニーランド等で導入されているイースター・イベントの影響なのでしょうか、一般の人々向けに様々なイースターグッズが販売されています。キリスト教文化を持つ西洋では、イースター(キリストの復活をお祝いする日)に、子供向けに「エッグハンティング」といって、飾りつけをしたゆで卵(イースターエッグ)を教会の庭等に隠して、それを子供たちが籠を持って探す遊びを行い、イースターバニーというウサギのぬいぐるみがプレゼンされています。元来、卵やひよこ、うさぎというイメージはキリストの復活という聖書由来でなく、キリスト教以外の春の豊潤のお祭りが由来していると言われています。

 クリスチャンにとって、イースターはクリスマス以上に重要なイベントです。本当は、この日だけでなく、日々、キリストが復活されたことを覚えている必要があると思います。しかし、キリストの復活が私たち個人の生活と何の関係があるのかを知らなければ、また知ってそれを信じなければ、イースターはただの子供向けの行事になってしまいます。一方、子どもというのは言われたことを素直に吸収するという面があります。益子教会でもイースターエッグを用いて、牧師がイースターの意味を子どもに説明しようと、「この卵はなんの意味か知っていますか?」と4歳の子に質問しました。するとまだ説明されていないのに、「永遠の命」とポツリと答えたのに、一同驚かされました。おそらく前に、聞いいた言葉を覚えていたのでしょう。

「新しく生まれなければ、神の国を見ることができない」とイエスが下記の箇所でも言われたように、この霊的な新生は、肉体的に再び母の胎から生まれることを意味するものではありません。キリストの復活は、キリストを信じる者が今生きている世界にて内面的に「新しく生まれる」ことが確証される出来事であり、同時に、将来自分の肉体が死んだ後、よみがえることを信じる信仰が与えられます。このように、キリストの十字架の死と復活により、そのことを信じるものに永遠の命が与えられるようにと、神様が計画してくださったのです。このイースターの良い知らせ(ゴスペル)を一人でも多くの方に伝えたいと思います。
 
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。…モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。 ヨハネによる福音書4章3.15節 (新共同訳聖書)

アイデンティティ

2023年04月06日 | 日記
 先日、地域のある会主催の勉強会に参加しました。お題は「人間と国家」で大学の先生を講師に招いて、日本という国の現状:安全保障や他国との関係、軍事についてお話を聞く機会が持てました。このような内容は普段の生活ではあまり話題にならない、先生いわく「日々の生活が忙しくて考えるのがおっくうになる」話題で、真剣に議論される場があまりなく見過ごされ、気が付くと法案が可決していて、いつでも戦争を行使できるように平和憲法が空洞化されつつあるという危険をはらむ、とても重要なことだと思わされました。TVで流れる報道はほんの一部であり、ネットで検索をあえてしない限り、これらの情報はなかなか入ってこない事柄です。具体的に何かすぐにできなくとも、まずは現状を「知る」ことが大事だと先生は語っておられました。また、「自分は日本国民である」というアイデンティティのほかに、自分が「何者であるか」という、いわゆるあなたのアイデンティティは何ですかと聞かれました。いくつか持っているのが普通であろう(「文人主義」で言われるような)、という話題にも触れていました。

 私は改めて自分のアイデンティティは、キリスト信徒であることだと思います。私の存在自体が、私が努力して作ったのではなく、偶然に生まれたのでなく、神様が私をこの世に存在するために送ったと信じているからです。信仰とは、通常自分自身が告白して信じることなので、自分で開始したかのように思われがちですが(実際、そういう面もありますが)、聖書によると信仰さえも、プレゼントだとされています*1。信じる心も与えられるということですね。もちろん、人は自由な意志があり、それを拒むこともできるでしょう。私は、日本人であるという意識以上に、神の民であるという意識がメインであり、この世で生きている生活は寄留者であると思っています*2。そうするとある意味、いろいろなことに拘らなくなりました。財産を残すことや自分のお墓もこともあまり考えないですみ、また今は健康ですが、命に係わる病気にかかったとしてもその先があることを信じる信仰で、思い煩い、悲しみが軽減されるでしょう。

 平日仕事の休みが取れる時、茨城県常陸大宮市にある教会で開催されているゴスペル教室に行っています。そこでは、ゴスペル(賛美歌)をただつらつらと歌うのでなく、「もっと、体幹に力を入れて、声を前にだして!」と先生に多くの指導をしていただき、魂の底から、思いを込めてゴスペルを歌うことを習っています。歌詞にこめられている神様のすばらしさをたたえ、神様が主イエス・キリストを通して私にしてくださった救いのみ業を感謝して歌っていると、本当になんとも言えない喜びと平安な気持ちに包まれる時であります。この社会で生きる上で、同時に多くのことを考えなければならないですが、それでも私は実に「神様を賛美するために存在する自分」というアイデンティティが、生活のなかにおいても、広がってほしいと願っています。そして、下記のみことばにあるように、たとえ私が賛美出来なくとも、天と地にある自然そのものが、つねに神様の御業を示すでしょう。

天は神の栄光を物語り   大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え   夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく  声は聞こえなくても
その響きは全地に  その言葉は世界の果てに向かう。   詩編19編2-5節


*1「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」 エフェソ信徒への手紙2:8-9 (新共同訳聖書)
*2 「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。」へブル人への手紙11:13 (口語訳聖書)