命。「これをイメージして絵を描いて下さい」と言われましたら、どのような絵が頭に浮かぶでしょうか。ハート♡、赤ちゃん、植物の芽。。。 命のイメージは個々に異なるでしょう。大きな災害や戦争を経験した小さい子に命のイメージを描かせると、真っ黒に紙を塗りつぶした絵を描くことがあると聞きました。命という概念は、それ自体目に見えないですし、言葉で表現しようとしても漠然としてますが、よく使われる言葉です。
一方、命を守るために、私たちは出来るだけのことを、いや、出来ないことでも必死にしようとします。コロナウイルスのように、目に見えない脅威から、自分の身を守ろうと私たちは必死になります。感染したら死に至るかもしれないという、恐れがあるからです。このように、命は「生きている」ことに関連し、この肉体が死ぬと命はなくなると一般的には考えられています。では、命はどこから始まりどこで終わるものなのでしょうか。このことをよくわからないまま、生きている人の方が多いと思います。何事でもはっきり見えて、こうなると予め把握出来、それを信じられたら、多くの恐れは軽減されるかもしれません。
イエス・キリストは「命」という言葉をよく使われました。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」*1ここでは、死んだら終わり、生きてなんぼという意味ではありません。なぜならイエスは別の箇所で、弟子たちに「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」*2と言われ、体しか殺せない「人」を恐れるな、むしろ体も魂も滅ぼすこともできる、神を恐れなさいと言われているからです。つまり、お金や名誉、権力、また死んだらなくなる命に執着することより、魂に関連する「命」を与える神を求めよと示しています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る為である。」*3ここでの「世」とは人間のことを指し、神は独り子イエスの命を犠牲にして、世(人間)を救い、永遠の「命」を与えるために、キリストが十字架で死に、3日後に復活するという計画を実行されました。
一度生物学的に死んだら、どんなにお金を支払っても生き返らせることできません。しかし、神には人の命を買い戻すことができる、ということが先ほどの言葉の背後にあります。(なお、単に「買う」と「買い戻す:贖い」とは異なります*4。)イエス・キリストは、全ての人の、罪のゆえに霊的に失われていた命を買い戻すために、十字架でご自分の命を代価として捧げられました。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」*5 このキリストによる贖い、救いを信じる人に、永遠の命が与えられます。
このキリストの復活は、キリストご自身が復活されたことで終わらず、キリストを信じる者が後に霊的な体が与えられ復活することを意味すると、使徒パウロは説明しています*6。イエス・キリストを信じている限り、この命は永遠に続くという約束を信じて、日々様々な恐れや思い煩いの要素となるものに心乱されず、今日という日を、神様に感謝して過ごしたいと願います。私の命のイメージは、「神と共にある永遠」です。
*1 マタイによる福音書16章26節
*2 マタイによる福音書10章28節
*3 ヨハネによる福音書3章16節
*4 買い戻すとは、贖いともいい、本来は、奴隷の状態にあった人をお金を払って自由にすることを言う。聖書は、人は皆、罪の奴隷であったので、そのような状態から解放するため、神は代価(キリストの命)を払ってく買い戻し、自由にして下さったと記している。 第一コリント6章20節、エペソ1章7節
*5 マルコによる福音書10章:45節
*6 第一コリント人へ手紙15章
一方、命を守るために、私たちは出来るだけのことを、いや、出来ないことでも必死にしようとします。コロナウイルスのように、目に見えない脅威から、自分の身を守ろうと私たちは必死になります。感染したら死に至るかもしれないという、恐れがあるからです。このように、命は「生きている」ことに関連し、この肉体が死ぬと命はなくなると一般的には考えられています。では、命はどこから始まりどこで終わるものなのでしょうか。このことをよくわからないまま、生きている人の方が多いと思います。何事でもはっきり見えて、こうなると予め把握出来、それを信じられたら、多くの恐れは軽減されるかもしれません。
イエス・キリストは「命」という言葉をよく使われました。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」*1ここでは、死んだら終わり、生きてなんぼという意味ではありません。なぜならイエスは別の箇所で、弟子たちに「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」*2と言われ、体しか殺せない「人」を恐れるな、むしろ体も魂も滅ぼすこともできる、神を恐れなさいと言われているからです。つまり、お金や名誉、権力、また死んだらなくなる命に執着することより、魂に関連する「命」を与える神を求めよと示しています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る為である。」*3ここでの「世」とは人間のことを指し、神は独り子イエスの命を犠牲にして、世(人間)を救い、永遠の「命」を与えるために、キリストが十字架で死に、3日後に復活するという計画を実行されました。
一度生物学的に死んだら、どんなにお金を支払っても生き返らせることできません。しかし、神には人の命を買い戻すことができる、ということが先ほどの言葉の背後にあります。(なお、単に「買う」と「買い戻す:贖い」とは異なります*4。)イエス・キリストは、全ての人の、罪のゆえに霊的に失われていた命を買い戻すために、十字架でご自分の命を代価として捧げられました。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」*5 このキリストによる贖い、救いを信じる人に、永遠の命が与えられます。
このキリストの復活は、キリストご自身が復活されたことで終わらず、キリストを信じる者が後に霊的な体が与えられ復活することを意味すると、使徒パウロは説明しています*6。イエス・キリストを信じている限り、この命は永遠に続くという約束を信じて、日々様々な恐れや思い煩いの要素となるものに心乱されず、今日という日を、神様に感謝して過ごしたいと願います。私の命のイメージは、「神と共にある永遠」です。
*1 マタイによる福音書16章26節
*2 マタイによる福音書10章28節
*3 ヨハネによる福音書3章16節
*4 買い戻すとは、贖いともいい、本来は、奴隷の状態にあった人をお金を払って自由にすることを言う。聖書は、人は皆、罪の奴隷であったので、そのような状態から解放するため、神は代価(キリストの命)を払ってく買い戻し、自由にして下さったと記している。 第一コリント6章20節、エペソ1章7節
*5 マルコによる福音書10章:45節
*6 第一コリント人へ手紙15章