Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

焦らず、委ねる

2020年08月30日 | 日記
近所の方より、おいしいぶどうを頂きました。果物や野菜は買ったり頂いたりして食べる分にはあまり感じないことですが、実際自分で育てようとすると、実がなるまでどんなに大変な世話がいるかを実感するものです。そして、世話以前に、当たり前のことですが、全ての植物は木や幹に繋がっていないと、すぐに枯れてしまい、実はなりません。

 下記の聖書の箇所は、ブドウの木と枝をキリストと私たち人間に譬えてイエス・キリストが弟子達に言われたことばです。キリストにつながっていれば実を結ぶが、繋がっていなければ何一つ出来ない。何一つ。ここでの「実を結ぶ」というのは、もっと内面的なこと、つまり聖霊の実を結ぶこと*1や、人の魂がキリストを信じて救われることに関してだけを言われていると思ったのです。しかし、結局社会生活をする上で、生きていく上で、全てのことにおいてキリストに繋がっていることがどんなに大切かと、最近しみじみと思わされます。

 若い時は傲慢だったので、自分で努力すればある程度は成果が出せたし、仕事でも、頭の回転をくるくる回して同時に沢山のことをこなせると思っていました。一方、人間関係はそうはいかず、大体うまくいかなかった人間関係は諦め、距離を持つことでその場をしのいでいたように思います。ところが、中高年になると(年を言い訳にしたくはないのですが)転職して新しいことを覚え、忙しくともミスなくテキパキとこなすということが、以前のように出来にくくなっています。自分が情けなくなり、自信がなくなります。最近は頻繁に仕事のことで、神様に具体的に祈り、助けて下さいと祈るようになりました。祈って、祈って、助けて頂いて、日々なんとか過ごしているのが現状です。

 教会での働きに関して、神様の御心にそって日々何をなすべきかと日々夫と共に祈っています。傍からみると、見える部分での成果も見えず、コロナ感染防止の為に積極的な活動も出来にくい状況で、このままでいいのか、もっと何かしなければ。。と焦ってしまいがちです。しかし、自分達の思いや、他人の評価により焦ってはならない、むしろ、日々祈って神様に導きを求め、神様に示されたことを続けていこうと、夫と心を合わせて毎朝、食事のごとに共に祈っています。どんなに頑張っても、今の自分たちの能力や気質では限界がありますが、全ての状況・人間関係をコントロールしておられるお方に委ねるというのが大切なことだとお互い認識して祈れるのは幸いです。私独りだと、以前信徒伝道をしていた時よくありましたが、人からの評価により「もっと神様のために働かなければ」と追い立てられ、一種の強迫観念のような思いにかられて苦しみ、遂には投げ出したいと思ったことが何度もあったからです。これは、私のなかなか克服できない精神的弱さの一つでもあり、その弱さを補ってくれるパートナーを神様が与えて下さっていると感謝しています。

 人同士は、相手に依存してしまうと、お互い不健康になりがちです。しかし、人が神様には依存してよいのです。神様にははばかりなく依り頼み、必要をお願いし、助けを求めるという恵をキリストを通して与えられれていることは本当に感謝です*2。なぜなら、聖書を読んでいると神様の包容力は超自然であり、万能だからです。私は、自分の弱さや欠点、むしろ自分では得意だと思っていたことでさえも、全て神様に祈って指針を求め、助けを求めて行きたいと思います。すると私とキリストとの信頼関係はもっと深くされ、自分の願いや狙いを超えたところで、全てをコントロールされている神様がなんとかしてくださるからです。私のようなどうしようもない、取るに足らない者に、キリストの力が流れ、実を結ぶまでに至ることを忍耐を持って待ち望みつつ、祈り続けようと思います。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」ヨハネによる福音書15章5節

*1「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。 」ガラテヤ信徒への手紙5章22-23節

*2「この大祭司(キリスト)は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」ヘブル人への手紙4章15-16節 ()は追記

キッズシェルターの子ども達

2020年08月16日 | 日記
 暑さの厳しい日、先日、益子教会では久しぶりに、子供達の声で賑わうひと時がありました。この子供達のグループは、キッズシェルターといって、那須塩原市にあるNPOで、いわゆる育児放棄されていてる子供たち(小学生から中学生まで)を放課後の時間に預り、食事やお風呂を提供し、宿題を見てあげたり、家庭的な暖かさで子どもたちの居場所を提供しているところです。私の夫は西那須野にいた時からこのグループにボランティアとして関わり、夕食を一緒に食べたり、遊んだりしてきましたが、今回は夏休みの遠足として、バスを貸し切って子供達10名程と、ボランティアスタッフを含めた大人たちが益子のお店で陶器の絵付けをしたり、教会でお昼を食べたり、卓球をしたりしました。私は残念ながら仕事があり参加できませんでしたが、夫は子供達と会うのも数か月ぶりでとても喜んで、楽しいひと時が過ごせたようです。

 私たちは益子教会での活動に一つとして、将来的にこの地域で「これこれの境遇の子ども(人)」と特定せずに、近所の子も含めて子供達が集まって、卓球をしたり、DVDを見たり、自由に遊べる場所として、教会を平日提供できたらと願っています。今は、コロナ禍で積極的に人を集めて活動をすることは困難ですが、いつかワクチンや治療薬が普及し行動制限がなくなる時期が来ると願い、状況を見つつ、このような単発や小規模の集まりから始めていきたいと願っています。

 先日、私の職場にアジアの方が来て、日本語が話せないので私が通訳をする機会がありました。私は簡単に通訳しただけですが、その方は非常に喜んで「親切にしてくれてありがとう」と何度も言っていました。日本に在住する人は、日本語が使えなくて不便な場面が多いのだろうと思い、私もアメリカ在住の時、アメリカ人の方々に色々助けてもらったり、親切にして頂いたことを思い出しました。この地域で、自分が出来ることで、少しでも日本在住の外国人の方の助けになれる機会が与えられるといいなあと思いました。

「主は寄留の他国人を守り、みなしごと、やもめとをささえられる 」*下記の聖書の箇所にあるように、神様は古代のイスラエルの民に、寄留の外国人とみなしごを不当に取り扱ってはならないという戒めを与えました。つまり、これらの社会的弱者は、昔から差別され、不当に取り扱われていたからこそ、あえて神様は言われたのだと推測します。神様は社会的な支援を必要としている人や弱い立場の人を守り、支えられてきました。西洋諸国では教会が中心に孤児院、病院、学校などをミッションとして設立してきたという歴史がありますが、このような聖書の教えが今日の社会福祉の原点となっています。神様いつも弱い立場の人々を顧みて下さる方です。私たちは自分たちのことで精一杯で、在留の外国の人々ことや、社会の中で虐げられている人々、困難な家庭環境にある子供達のことになかなか目が届かず、政府がやるべきだと任せきりになりがちです。もちろん政府が社会福祉制度を十分に拡充できれば理想ですが、現実は限界があります。従って、多くの福祉的、慈善的活動を行うNPOが設立されていて、政府の支援策からこぼれている人々を助けているというのが現状だと思います。ましてや、教会がそのような働きに積極的に取り組んでいく必要はあると思わされます。

 私たちキリストを信じる者は、キリストが私たちを大切に思い、ご自身の命まで犠牲にして愛して下さったことを信じていますが、私個人としてはその愛を受けるばかりで、周りに分かち合えていないのが正直なところです。神様から受けたことを「やらなければ」という強制感でははく、神様から受けた愛に感謝し、その応答として、キリストの愛を行動を持って周りに示していきたいと願い、神様にそうなれるように祈り求めたいと思います。

「寄留の他国人または孤児のさばきを曲げてはならない。寡婦の着物を質に取ってはならない。」申命記24章17節

*詩編146編9節

世界をひっくり返す影響力

2020年08月08日 | 日記
 私は平日、車で約30分弱の通勤をしていますが、日々あるラジオ番組を聞くことを楽しみとしています。この番組は米国フィラデルフィアにあるカルバリー・チャペルという教会の牧師が、過去に話てきた創世記から黙示録まで聖書全体を順にメッセージをしている内容が30分に編集されたプログラムで、朝の通勤時間帯に地元のラジオ局で40年近く続けられている番組です*1。続き物の番組というのは、TVの連ドラと同様、毎回「次はどうなるのだろう。。」という期待感があって、短時間であっても継続的に楽しめるもので、聖書のメッセージもしかり。このラジオを何気なく、朝の通勤時に聞き続け、多くの人々がキリストを信じる信仰に導かれてきたそうです。私は10年程前アメリカに在住していた時も車通勤でしたので、このラジオをよく聞いていたものです。運転中なので全て集中して聞けませんが、それでも一日を始める上で、心の糧を得られ、今日も頑張ろうという思いが与えられてきました。現在はスマホのアプリから聞いていますが、IT社会の恩恵を神様に感謝しています。

 今聞いている箇所は、使徒の働き(使徒言行録)で、キリストが十字架で死なれ、3日目に復活し、弟子たちに現れてから天に戻られた後のお弟子さんたちの宣教活動の様子が主に記されている書簡です。2千年前、ネットも、TVもラジオも何もない時代、人々は歩いて遠距離を移動していた時代に、エルサレムの小さなユダヤ教の一派と言われたグループが、どのように当時の世界に瞬く間にキリスト教を広めることが可能だったのか!?と驚かされます。しかも、自由に伝道できたわけでなく、いつも迫害されていたにも関わらず、クリスチャンは増えていき、とうとうローマ帝国もクリスチャンを迫害するより味方につけたほうが得策と考えたのか、キリスト教はローマ帝国で国教化されて容認されるまでになります。なぜこれほども影響力を持てたのか、その答えは、聖書に記されているように、人の力ではなく、神様の力、聖霊の働きで可能だったからです。

 この新しい宗教の布教に対する人々の反応は、素直にキリストを信じる者もいれば、既存の宗教で利益を受けていた人々のように恐怖を覚えた人もいました。後者は、なんとか使徒たちの宣教活動を阻止しようとしてきました。彼らが役人たちに彼らを訴えた時の表現は、「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます。 」*2、英語訳ですと「世界をひっくりかえそうとしている者たちがここにも来てます」*3であり、何とか罪状をでっちあげて、逮捕させようとしました。まさに、キリストの弟子達が口コミで、また講堂や会堂で宣べ伝えていた内容には、世界をひっくり返すような力があり、多くの人が信仰に入っていきました。当時の世界観、宗教観、個人の人生観とは全く異なる、それらを根底から覆すような宗教を。この現象は、彼ら自身に力があったわけではなく、彼らを通して働かれている聖霊の力によって、人々がひきつけられ、信仰に導き入れられ、そして信じたばかりの人々が喜んで他の人に伝えていくという口コミで広がって行きます。良いニュースも悪いうわさも、あっという間に広まりますが、「人のうわさは75日」と言われるように、あまり長く人々の記憶に残されません。しかし、グットニュースは何世代へと語り継がれます。

 福音(ゴスペル)とは、グットニュース(良い知らせ)という意味です。何が良い知らせなのでしょうか。キリストを信じるだけで救われるというニュース。つまり、どんな身分であっても、どんなことを過去にしてこようとも、どの人種であれ、誰であっても、罪と悪魔の力から心が解放されて自由になれること、そしてキリストにあって聖霊が与えられ新しく、神様ために、目的を持って生きるように変えられていくという素晴らしい知らせ。そのために、神様が御子イエス・キリストをこの世に遣わして、私たちの罪が赦されるために、十字架にかかり、3日後に復活させて下さいました。そして、信じたらその人で完結するのでなく、2千年前の信徒たちのように、周りに大きな影響力を持つ可能性があるのです。

 一方、信じている自分自身を見ても、そんな影響力を持ったことはなく、逆にこの世の影響を受けてしまいそうな弱さを見いだす時、これはあの時だけ、特別の人にだけ与えられただけのことと思ってしまいがちです。しかし、神様は一人一人に他者とは異なる、ユニークな役割を与えておられていると信じ、いつか聖霊の力が自分を通して働かれ、下記のイエス様のことばのように、塩味のような良い影響力を持てる者になりたい、そのようなチャンスがあることを祈って行こうと思います。個々人が変えられれば、教会も力を持つように変えられる。そのためにも、日々時間を見つけ、聖書の言葉が自分の心に書き込まれるように、どんな時でも短くとも神様に祈り、全てのことに感謝を捧げ、日々過ごしていきたいと励まされます。

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。 」マタイによる福音書5章13節

*1 The daily Bible teaching ministry, “Straight from the Heart”, by Senior Pastor Joe Focht of Calvary Chapel of Philadelphia. It began in 1981 when Pastor Joe Focht started a small Bible study in a catering hall. With a strong emphasis on teaching God’s Word verse by verse, the church has grown to minister to approximately 12,000 people weekly with a variety of outreaches and ministries.
*2 使徒の働き17章6節 新改訳改訂第3版
*3 Acts 17:6 “And when they found them not, they drew Jason and certain brethren unto the rulers of the city, crying, These that have turned the world upside down are come hither also;” (King James Version)