Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

人と争わないこつは:一番「したくないこと」をする

2020年12月19日 | 日記
 「切れる」ということばはいつから、日本語においてイライラした瞬間を表す用語として使われだしたのでしょうか。少なくとも、この2-30年位前ではないかと思います。ぶちっと堪忍袋の緒が切れたという表現からくるのかはどうかは不明ですが、「切れる」人が多い世の中で、切れて暴力的な行動・言動に出てしまうと、警察沙汰になってしまい、多くの人が被害を受けます。一方、切れた当人は自分の行為の正当性を主張します:相手が悪い、だから自分はこういう行動をしたんだと。しかし、どんなに相手が悪くとも、暴力で返してはならないのです。そこまでいかないとしても、だれでも、自分の想った通りに事が進まないとイライラし、相手にたいする口調がきつくなってしまうことがあり、それに対抗して相手もきつくなりと、人間関係の悪化のきっかけとなりえます。私も以前、短期な性格により、よくイライラしていましたが、今はその傾向性を自覚し、なるべく穏やかに、口調に気をつけ、たとえ不当な扱いをされても切れないで、忍耐しようと務めています。逆に、自分の言動や失敗で、相手をイラッとさせてしまい、冷たい態度を取られてしまうことがあります。素直に謝るべきことは謝り、自分からは穏やかに接し、相手との関係がよくなるように日々祈ります。
 人間関係における全ての争いのもとは互いに権利を主張することからくる、と言えるのではないでしょうか。自分がこうあるべき、こう扱ってもらうべきだと思った通りに事が進まないと、相手に訴えます。それにより、身体的もしく物質的に損害を被むれば、裁判という手段を用います。裁判はお金や時間もかかり、なかなか、判決も自分が勝訴したとしても、失ったものは元通りにはならないし、この世のやり方での争いの解決は、結局心の傷や後遺症が残り、さらに次の争いに発展するというケースがあることは、悲しい現実です。どこかで、自分が損した分を取り戻そうという主張を手放し、相手をとりあえず赦すということが、少なくとも自分の中で争いを終焉させる方法ではないかと思います。
 ここで下記の聖書のことば「互に従いなさい」に触れてみたいと思います。「従う」ということは、一番人間がしたくないことであり、仕事や学校、家庭で、仕方がなく従うことはあっても、自分のプライドがあるので、本当は他者が自分に従ってもらいたいと思う傾向性が誰にでもあるのではないでしょうか。しかし、キリストを信じる信徒に対して、キリストの使徒パウロは「互に」従いなさいと勧めています。片方だけでなく、互いに。これはなぜできるのかというと、人間関係において、私と相手という2者の間に、第3者の存在があり、お互いがその第3者を通して、互いにプライドが低くされ、仕えあおう、従おうという思いが与えられるからです。その第3者とは、イエス・キリストです。互いにキリストの愛を受けている者であれば、キリストが自分を赦し、良くして下さったことを感謝して、他者に対してもそうしようという思いが与えられます。「与えられる」としたのは、素の自分では出てこない思いだからです。キリストを信じた時に与えられる聖霊の働きにより、感情ではたとえ相手に従うのは納得できなくとも、キリストがそう言っていたから、そうしようと思い直すことができるからです。したくないけど思い直す、これが私の正直な反応です。もちろん、もっと信仰が練られている人は、思いなおさずとも、最初から自然にそう思えるのではないかと思います。そこまで自身の品性が変えられていくように願います。
 現代は、失うものが多く、大変辛い時勢です。多くの人が職を失い、経営状態が悪化しと、お互いの権利を主張し合います。そうしないと生きていけないからです。しかし、私たちの思いを超えた、見えない存在の全知全能の神様の存在を認め、神様がなんとかしてくださる、そして私たちに災いではなく、将来と希望を与える計画を用意して下さっているという約束*を信じられれば、どんな状況となっても、生きていけます。そして、「互に」こだわっていることを手放し、互いを尊敬できれば、争うかわりに、互いに助け合うことにつながるでしょう。それには、人間同士の美しい関係だけでは限界があります。やはり、イエス・キリストをまず信じること。これが全ての争いの解決の基盤となると思います。
 今日は、夫が那須のホテルでウエディングの司式の仕事をしているため、雪の積もった景色を見ながら、日々与えられるみことばを通して思わされたことをつづっています。今日、夫婦となるお二人に、夫の司式での短いメッセージを通して、お互いに敬い、愛し合えるご夫婦になられることを祈りつつ。。。

「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。 」 エペソ人への手紙5章21節

*「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」エレミヤ書 29章11 節 (口語訳聖書)