Yoga ~precious moment~

″いま、ここ″ を大切に

マハーバーラタ研究の最前線♪

2024-03-30 15:07:12 | yoga
火曜日には、『ブラフマニズムとヒンドゥイズム』のシンポジウム第10回:『マハーバーラタ研究の最前線』@京都大学に参加してきました。

雨でしたが、京大は卒業式だったようで、袴姿の方が大勢いらっしゃいました。



シンポジウムには京大を始め東大、大阪大学、龍谷大学、広島大学の教授がいらっしゃって、場違いの私は小さくなっていました💦


マハーバーラタは、叙事詩であり百科事典。
現に1巻には「ここにあるものは他にもある。しかし、ここに無いものは他のどこにも無い」と書かれてあります。人間同士の愛憎劇だけではなく、宇宙や生命の創造、神との関わり、自然の摂理、戦争と平和…
それまで口伝で伝えられてきたものが、紀元前4世紀ごろから写本が作られ始め、数百年かけて今の状態になったそう。
世界最長の物語で、全部の日本語訳はないそうです。残っているサンスクリット語の写本もそれぞれ微妙に違い、どれが正解なのか…?

マハーバーラタは誰が書いたのか?また、誰に向けて書いたのか?という質問が出て、この場では、「(祭式の詳細も書かれてあるので)バラモンに近い存在、例えばバラモンの家の次男とかが書き、そういった集団で共有されたのでは?」というお話でしたが、私の素人考えでは、もっと庶民(クシャトリヤとかバイシャ)に広められたのではないか?と思っています。なぜならば、特にバガヴァッドギーター等はクシャトリヤが聞いて響く物語だと思うからです。現にテレビ放映された1980年は庶民に大人気だった訳ですし。逆に殺さずの誓いを立てているはずのバラモンに向けて「殺せ」、しかも「汚い手を使え」なんて推奨して良いものでしょうか?

カルナが死ぬ場面で、アストラを「思い出せなくなった」のか「思い描けなくなった」のか?という議論は非常に興味深かったです。
シンポジウムでは"思い描けない"が適切だろうということだったのですが、なるほどと納得しました。だって我々ヨギーも、ナーディーやチャクラの存在は知っているけれど、それがありありと思い描けなければ使えないんですもの。(そこがyogaの難しいところでもあり面白いところでもあると感じます。)
また、「政治は正しさだけでは行えない」とのコメントも生まれて、響いたなぁ。だからクリシュナはアルジュナにルールを破らせたのかもしれません。(ほら!アルジュナは政治を担うべきクシャトリヤ。やはりクシャトリヤに向けて書かれていますよね?)

そもそもサンスクリット語自体が色んな取り方のできる言語で、解釈が難しいのだということが改めて分かりました。こんなにすごい先生方が集まってもまだ解けないんだもんね。

インドの二大叙事詩のもう一方:ラーマーヤナと似た箇所がたくさんあることも知ることができ、緊張しましたが有意義な時間となりました📖


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。