何年も前のことですが、
ウィーンからハンガリーのブダペストに列車で移動した時のことです。
コンパートメントにリビア人の若者3人と乗り合わせました。
そのときはまだ冷戦が続いていて、ちょうどゴルバチョフがソ連の
書記長になったばかりで、オーストリアのアメリカ大使館か関連施設で
テロがあり、結構ピリピリしていた様に思います。
共産圏のハンガリーと西側のオーストリア国境もとても緊張していて、
越境するのもいろいろ面倒でありました。
先ずオーストリア側では、日本人は問題なかったのですが
リビア人の彼らへのチェックはただでさえ厳しいのに、ミシンのような小さな機械
を持っていたためか、さらに時間を掛けて所持品を調べられていました。
ようやく開放され、列車が動き今度はハンガリー側。
彼らほどではありませんが、今度は私がいろいろチェックされました。
一方、リビア人たちはほとんどフリーパス。
「ゴルバチョフ、カダフィ、イッツ オーケー」これでスルーしたのが
印象に残っています。
列車の中では、お互いへたくそな英語で情報交換してすっかり親しくなり
最後にはお互いの国で流行っている歌を披露し、なかなか楽しい時間でした。
後日、スナップ写真をリビアに送りました。確か町名は「ガソリンタウン」
だったと思います。さすがに石油の国ですね。
結局返信はありませんでした。
カダフィが居なくなった報道を見て
あのときの楽しい時間を想い出しました。