いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語23、ヌルハチの手勢まだわずか

2018年11月17日 13時36分50秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
「賊はその勇猛なる勢いに縮み上がり、皆遁走す。
 この時、のパハイ(帕海)が窓の下で寝ていたが、賊に刺し殺された」。

文中の「」は、同文の満州語版では、「ボウイ・ニヤルマ」つまりは家奴と書かれている。
この単語が後には短縮されて「包衣(ボウイ)」という八旗の中の特殊な集団をあらわす言葉となる。

「家内奴隷」として、対外的に権力を振るう集団となるのである。

この刺客到来のごく短い文章からは、当時のヌルハチの境遇がいくらか想像できる。

ヌルハチが父親からほとんど身一つで追い出されたことは、すでに述べたとおりだが、
確かにこの文章を見ると、財産の目安となる「アハ・ウルハ(奴隷・家畜)」は、
犬一匹と奴隷一人しか登場しない。

奴隷が多くいたなら、ヌルハチが自ら飛び出して賊に対応しなくてもよいわけで、
どうやら奴隷は一人ではないにしろ、せいぜい数人しかいなかったらしい。

妻、息子二人に娘一人、数人の奴隷と犬の慎ましい家族構成が浮き彫りとなる。


これは万暦十一年(一五八三)九月の出来事、
ニカンワイランのトゥルン城を襲撃したのはその年の五月であるから、
蜂起してすでに四ヶ月たっていても身の回りを警護する壮丁も十分でない状態が続いていたことが伺える。

この様子を見るにつけ、「兵百人」の大部分は、同盟者の連れてきた手勢であり、
戦いが終わると同時に主人とともに引き揚げていったことが想像できる。


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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮の街中



まずは町の食堂で腹ごしらえ笑
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