万暦十一年(一五八三)五月、ヌルハチはわずか三十人の武装兵とともに兵を起こし、
ニカンワイランのトゥルン(図倫)城を囲み、攻撃をかけた。
これが清朝建国につながる最初の戦いとなっていく。
これまで見てきたとおり、この時ヌルハチは
突然の祖父と父の死により、属民をすべてニカンワイランに取られただけでなく、
さらには明から謀反の意あり、という濡れ衣まで着せられていた。
このまま行動を起こさねば、どのみち明とニカンワイランの連合軍に
攻めて来られて皆殺しの目に遭う、というのっぴきならぬ状況まで追い詰められていたということである。
寝込みを襲われるのを座して待つくらいなら、
こちらから奇襲をかけた方がわずかながらも生き残れる可能性があると判断したのだろう。
武装蜂起とは言え、この時のヌルハチの兵力は、なんともお気の毒な体である。
「甲兵」つまり防具をつけて武装した兵士は三十人、「兵士」は百人前後。
ここでいう兵士は、鎧などの防具をつける条件も持たぬ壮丁どもということだろうか。
ヌルハチはこの時、いくらかの同盟者を得ていた。
サルフ部のグワラ、その弟のノミナ、その手下のガハシャン、チャンシュ、ヤンシュ等である。
皆ニカンワイランに恨みを持つ点で団結し、
彼らはその後ヌルハチの最も初期の協力者として、清朝の功臣となってゆく。
百三十人の兵力は、彼らがかき集めてきた属化の壮丁らのようだ。
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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮の街中
まずは町の食堂で腹ごしらえ笑
ぽちっと、押していただけると、
励みになります!
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さらには明から謀反の意あり、という濡れ衣まで着せられていた。
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「甲兵」つまり防具をつけて武装した兵士は三十人、「兵士」は百人前後。
ここでいう兵士は、鎧などの防具をつける条件も持たぬ壮丁どもということだろうか。
ヌルハチはこの時、いくらかの同盟者を得ていた。
サルフ部のグワラ、その弟のノミナ、その手下のガハシャン、チャンシュ、ヤンシュ等である。
皆ニカンワイランに恨みを持つ点で団結し、
彼らはその後ヌルハチの最も初期の協力者として、清朝の功臣となってゆく。
百三十人の兵力は、彼らがかき集めてきた属化の壮丁らのようだ。
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