いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語13、ヌルハチの祖父と父の死の謎

2018年10月11日 17時34分06秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
仕事が急に忙しくなり、いきなり4ヶ月も間が空いてしまいました汗。

時間が空きすぎて、これまでの流れを思い出せない、という方のために、
本シリーズの過去リンクを貼っておきますねー笑

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語1、民族誕生伝説
マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語2、モンケテムールと朝鮮
マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語3、モンケテムール、明に帰順
マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語4、モンケテムールの死と次男ドンシャン
マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語5、朝鮮に逃げ込む拉致被害者たち
マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語6、女真族使節、紫禁城で大暴れ
マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語7、非儒教集団に接する戸惑い
マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語8、貿易不均衡
マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語9、ドンシャン征伐される
マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語10、祖父ジェチャンア
マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語11、ワンガオの勢力
マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語12、ワンガオ一家とジェチャンア一家の因縁


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ヌルハチの祖父ジェチャンア(覚昌安)と父タクシ(塔克世)が死んだグロ(古勒)城の戦いには、
もう一人、鍵となる人物がいる。

史料に「ニカンワイラン」(尼堪外蘭)と出てくる人物である。


「ニカン」とは、満州語で「漢人、南人、南蛮」の意、
「ワイラン」は、漢語の「外郎」、秘書という意味だという。

つまりは「漢人の秘書」の意であり、名前というよりは、通称または官名のようでもある。

この人物は建州女真部の出身であり、明朝の開いた交易市場である撫順にほど近いところにトゥルン(図倫)城を建て、
そこの城主をしていた。


明の交易拠点ちかくに城をかまえることからもわかるように、
明との関係を重視、最優先にした人物のようである。


史書には、ニカンワイランが
明の遼東総兵・李成梁に自ら進んで贈り物をし、
最も多い時には、一回に馬五十頭、高麗人参数百斤、貂皮(ミンクの毛皮)数十枚、鹿の角という規模だった、とある。


どうやら酋長の家系でもない身分の低い庶民の出から、漢人に取り入ることにより、
急速に勢力を拡大させた「成り上がり者」であったらしい。


グロ(古勒)城の戦いの際、アタイとアハイ兄弟の征伐を決めた李成梁は、
まずは撫順城に向かい、ニカンワイランを呼び出した。

アタイ兄弟の動きを事前に察知し、明側に密告していたのはニカンワイランだと言われており、
それなら道案内をせよ、と命じたのである。

こうして明の官軍がグロ(古勒)城を幾重にも取り囲み、攻防戦が始まったのであるが、
難攻不落の城がなかなか落ちず、戦局が膠着状態となった時、
ニカンワイランが進み出て、城内に向かって、こう叫んだという。

「城主を殺した者を次の城主にしてやる」


この言葉が、戦いの流れを一気に変えることとなる。
城内の兵士らが動揺を始め、ある兵士が城主のアタイを殺し、城門を開け放ったのである。

しかし明軍は約束を守らないどころか、
城内にいた女子供老人の非戦闘員に至るまで、二千二百人全員を皆殺しにしたのである。


ヌルハチの祖父ジェチャンア(覚昌安)と父タクシ(塔克世)は、
どうやらこのどさくさに紛れて、いっしょくたに殺されたということらしいのだ。


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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮へ向かうまでの道




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
更新ありがとうございます (Crain)
2018-10-14 10:11:42
初めまして、クレインと申します。日本のとある場所からマンジュの森を楽しみに拝見しておりました!
ご本業その他お忙しいとは存じますが、また更新お待ちしております~。
返信する
Crainさんへ (yichintang)
2018-10-14 11:39:25
書き込みをありがとうございます。

楽しみにしてくださる方がおられると思うと、励みになります!

今後ともよろしくお願いいたしますー!
返信する

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