いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

北京胡同トイレ物語2、 糞夫・時伝祥 9、ボランティア精神

2011年04月09日 15時18分17秒 | 北京胡同トイレ物語2、糞夫・時伝祥
時伝祥にはほかの糞取り作業員とは、一味違った仕事の順序があったという。
糞取りに行く前、まずはいついつ来るから、と住民に伝え、庭に物を出しておかないように
、万が一糞桶が触れて汚れたら大変だから、と注意を促す。

糞を汲み取る際は、作業が終われば周りを掃き清め、
中庭などに万が一、たれてしまった場合は、石灰を撒き、清潔になるよう、注意を怠らなかったという。


解放後まもなく、清潔隊の汲み取りにもトラックが導入される。
もう昔のように糞車を手で押して毎日数十kmも往復する必要はなかったが、
胡同の道幅は狭く、トラックが入れる道までは一定の距離があり、その間は相変わらず、背負って歩くしかない。


糞桶は大量の糞を入れても持ちこたえることができるように頑丈な木で作られている。
このため桶自体の重さだけでも20kgもあり、ひ弱な肉体なら空の状態で背負ってもふらふらするだろう。

ましてや中身がいっぱいになれば、最低でも100kgにもなる。
時伝祥の左肩には、長年背負ってきた糞桶の重さのために黒い大きな、かつ広いたこができている。
肉が破れ、化膿し、治癒しては再び破れ、同じことが繰り返された、他より厚く硬くなった皮膚の盛り上がりである。


が、すでに40過ぎのベテラン糞夫である時伝祥は、巨躯を凛と伸ばし、
軽々と100kgを超える糞桶を背負う。桶の中身はぴくりとも揺れることはなく、優雅かつ静かに背負われている。


時伝祥は隊長として、作業効率の向上にも頭を絞る。
その結果、それまでは7人1班だったのを5人1班に変えたほか、それまでは一人1日50桶しか背負えなかったのを、
80桶まで増産(?)、自分は90桶背負った。

1シフトで最大5トンの糞を背負い、住民は清潔なトイレ環境を堪能することができるようになった。
糞回収の間隔が空くほど、トイレは臭く、糞もあふれやすいことはいうまでもない。


処理能力が上がったのは、何も皆がそれまでさぼって糞桶を背負わなかったからではない。
つまり回収のトラックと人のタイミングを合理的に考え、うまくタイムロスがでなくなるように工夫したからである。

「作業員がトラックを待たず、トラックが作業員を待たない」ようにするにはどうしたらいいか、輸送の無駄をなくすシフト作りに頭を絞った結果である。



以下の話は、どうやら時伝祥が労働模範となり、かの劉少奇と握手した写真により一躍、全国的に有名になった前後のことかと思われるが、
やはり献身的な働きぶりが伝わっている。


これ以後、特に「臭い」話が続くが、ご了承を。

1959年の秋、連日の雨のせいで崇文門の花市大街の一帯は膝を越えるほどの大雨となった。

話はそれるが、今年の北京はゲリラ豪雨に襲われること無数、雨が降るたびに都市機能が完全に麻痺した。
華北の半分砂漠気候も入る北京地方は、乾燥が激しく、普段はほとんど雨も雪も降らないが、数年に一度ほど、ゲリラ豪雨の襲撃の恐ろしい年がある。

一度雨が降ると、ものの数分で道路のここそこに10cm、20cmの深さの水溜りができてくる。
下水道への排水口が少なく、雨の逃げ場所が少ない。
傘をさして、体の上は雨を防げたとしても、歩けば靴とズボンが確実に水浸しになるため、
雨がやんでも水が引くまで移動することすらできない。

さらには地面を掘り下げて半地下にして交差させている立体交差道路では、
瞬く間に水の深さが50cmを超え、自動車の浸水を怖がるドライバーがその目前で立ち往生、
その後ろは数十kmにも渡る大渋滞、車はぴくりとも動くことはない。地下鉄の入り口から浸水し、地下鉄の運行停止もあった。

高度成長期に入って10年前後の中国。
こういったインフラを解決できるのは、もう少し時間がかかるのかもしれない、と感じる。



2011年でもそんな具合なのだから、
1959年の時点で膝まで浸かったというのは、さもありなん、と妙に納得してしまう。

崇文門の花市大街のある胡同は、長さ2kmもある上、道幅が狭く、まったくトラックが入ることもできない。
時伝祥の「やるぞ!」の掛け声を合図に作業員は糞桶を背負い、突進して行った。

時伝祥らは膝まで雨に浸かりながらも水の中を泳ぐように歩く。
車といわず、手ぶらであっても前に進むことも難しい中、夜明け3時から始め、午後2時まで11時間で糞桶を合計1000杯分も背負った。
膝まで浸かる中であれば、トイレの汚物は付近をうようよ泳いでいる壮絶な状態だったろうことは想像に難くない。



花市下四条に耿じい様というご老人がいた。
子供たちは同居していないご老人の一人暮らしだったところへ、この雨で家のトイレの壁が倒壊してしまった。

壁のレンガはすべてトイレの穴に落っこち、糞便があふれ返り、悪臭が周りに立ちこめていた。

壁はセメントではなく、ただの泥でレンガをつなげていた可能性が高い。
セメントは高価な上、普段の北京ならめったに雨も降らないので、意外と何年もそれで用が足りてしまうことも多いのだ。

それでも数年に一度の激しい雨では、このように崩れてしまうこともある。
所詮は露天のトイレ、しかもほとんどの場合、背の高さほどもないような壁なので、崩れても人が死ぬこともないだろうし、
雨がやんで乾いたら、また泥で固めるべ、という程度に考えている。

事実ほとんどの場合はそうする。
ただこのじい様のようにご老人の一人暮らしで自力で力仕事ができない場合は、やや厄介だろう。


時伝祥は、じい様宅のトイレの惨状を目の当たりにすると、
まずは穴も見えないほど雨水の入り込んだ部分を糞勺で水分を救い出し、
手を穴の中につっこんでレンガを一つ一つ拾い上げた。

糞をすべて救い出したところで、時伝祥の手は糞便だらけになっていたが、
水でレンガを一つ一つ丁寧に洗い、泥を練り直し(やっぱり泥つなぎだ!)、
レンガを積み上げて壁を元通りにして、じい様に引き渡したのである。

普段から老人の一人暮らしと知っているだけに、
自力では何もできないだろうことを予想しての心遣いである。


またある年の冬、北京第十一中学の校舎の三階のトイレは上水道の配管が壊れ、
糞便と汚水があふれてうようよと泳ぐ凄惨なる状態となっていた。

冬なので、それがさらに凍っているという絶望的な状態だ。
北京の冬は零下10-20度にもなる。
学生も先生もトイレを使うことができず、授業どころではなくなってしまった。


時伝祥はその噂を聞き、休日を利用し、部下の一群を引き連れていった。

まずはつるはしで氷を砕いた。
この作業は糞取り作業員にとってお手の物だ。

ほとんどが外にある北京城のトイレは、冬になれば、衝きもりなしに作業は進まない。
冬の回収は過酷な重労働だ。

がちがちに凍った巨大な塊になった汚物を、衝きもりでがんがんと突き崩し、一かけ一かけ取り出していく。

気も遠くなるような根気のいる作業だが、それが彼らの日常だ。
氷を突き崩すと、配管を直し、糞水を三階から背負っており、
トイレの修理を完了させ、ぴかぴかに掃除して去って行ったのである。

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映画『時伝祥』より。

映画『時伝祥』のシーンより。

雨の中を作業する。夏のゲリラ豪雨で臨時出動。




雨の中、レンガを積み上げる。




部下が手についた糞便を見て、嘔吐する。



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