自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

故・西岡常一氏 語録 ( 再掲 )

2016年01月02日 | Weblog

 西岡常一、言うまでもなく宮大工の第一人者だった人物。法隆寺や薬師寺の建造物の建築や修復を見事にやってのけた稀有な人物。この人の木についての話には説得力がある。以下、失礼を顧みず拾い読みする。

 「樹にとって東西南北というのは大事なことだす。樹というものは生えてきたら動けん。つまり樹の命にとって東西南北はこの世から消えて無(の)うなるまでついてまわる。それですから樹の東の部分からとった柱材は、その建物の東のほうの柱に使わなあかん。西も北も南も同じだす。これをいい加減に使ったら、建物は間違いなく捩れてきます。これ、材が生きている証拠だす。
 家に伝わる口伝にこんなんがあります。一、堂塔建立の用材は木を買わず山を買え。一、木は生育の方位のまま使え。峠、中腹の木は構造骨組に、谷間の木は雑作材にせよ。まぁ今の大工さんは普通は山を買うなぞはできんし、材木屋で買うわけですから、その材の生育の方位などわかりまへんし、仕方がないといえばそうやけど、材の命が見えていたらこれは我慢できまへんわなぁ。」

 (「我慢できまへんわなぁ」。樹木の真実について頑固なこと、この上ない。僕なんかはとても真似のできない本当の頑固さである。)

 「法隆寺も薬師寺の東塔も材は千年檜ちゅうもん使うてます。生えて千年経ってる檜ということです。この千年檜の材というものは作ったときは弱い。それが年々強くなって、作ってから千年目が一番強い。」
  「法隆寺修復のときの端材の外側は灰色で煤けた色合いだが、それも一粍足らずで、その中は真っ白できっちりと締まる。」
 「この千年目を境にして材は徐々に弱くなり、二千年目にはじめの建造時の強度に戻ります。それから何とか五百年は持ちますさかい、まぁ二千五百年は持ついうことですな。コンクリートというものは、百年ほっといたら砂になります。・・・とにかく、檜というこんな丈夫な材を使うたさかい、法隆寺も薬師寺の東塔も今日まで持った。それはそうどすけど、それだけではおまへん。」
 東塔の屋根を支えている垂木の二、三寸おきに点々と小さな穴が幾つもあいている。
 「あれは今までの修復のときの釘穴どすわ。つまり修復のたびに、少しずつずらして釘を打ったんどすな。この垂木、まだまだ塔のなかにはずうっとのびてましてな、これを少しずつずらしながら修復していけば、そうどすなぁ、まだ千年や千二、三百年はでけるんとちゃうやろか。」
 「できてから、これから先、全部足し算したら二千五百年。これ、千年檜の材のちょうど寿命になりまっしゃろ。つまり千二百年前にこの東塔を建てた人たちはきちんと千年檜の寿命を識っていたちゅうことですわなぁ。」

 (樹を熟知している人にも、その樹にも、当然の事ながら、とてもとても太刀打ちできない。肯くだけである。)