1945年の今日は、日本政府がポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書に調印した日。そこで、米国、英国、フランス、カナダなどでは、今日が「終戦の日」とされている。
心を新たにして、否応無く戦争で死んでいった学生たちを偲ぶ。
太平洋戦争下の軍隊という特殊な環境で、国家のために否応無く「死ぬ」運命に投げ込まれた学生たちの、不合理かつ非人間的な現実との葛藤と苦悩を、残された手記から再現したのが、『きけわだつみのこえ――日本戦没学生の手記』である。
学生たちは「遂に全ての人から人間性を奪ってしまう」軍隊で、上官や古参兵からしばしば奴隷や機械のように扱われ、「気持ちも死人同様」となる。「一層の事自殺でもしたら」と思う。しかし、「母がいる」、「年老いた御両親がある」からこそ生き続けた。
或る者は「肉体的・・・精神的苦痛」から逃れるため、こうした時代に生きた自らの運命を呪い、迫り来る死を静かに見つめる。残酷な運命よりも、残される両親、兄弟姉妹、恋人に感謝し、彼ら彼女らの幸福を祈った。
学生たちの多くは強く勉学を志しながら、途中で断念せざるを得なかった者たちである。だから、軍隊内での「前頭葉の脱落症状」、「人間の獣性」、「中枢神経をなくした人間」という異常性から脱するために、わずかな時間をぬすんで読む書物が唯一の清涼剤であり、それさえ出来ない文字に飢えた者は、古新聞や薬の効能書を繰り返し読み、人間回復を図ろうとした。
死を前にした一人は「日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死にきれないが、日本国民全体の罪と非難を一身に浴びて死ぬと思えば、腹も立たない。笑って死んで行ける」と語った。
苦悩に満ちた彼らの想いを共有することができれば、本書には単なる反戦の書というだけではなく、平和と戦争、生と死の奥深い意味を問い直す、人生の書という性格があると言えよう。
(今日は、掲示板に投稿してくださる忠さんが出品されている平和美術展を観てきます。)
心を新たにして、否応無く戦争で死んでいった学生たちを偲ぶ。
太平洋戦争下の軍隊という特殊な環境で、国家のために否応無く「死ぬ」運命に投げ込まれた学生たちの、不合理かつ非人間的な現実との葛藤と苦悩を、残された手記から再現したのが、『きけわだつみのこえ――日本戦没学生の手記』である。
学生たちは「遂に全ての人から人間性を奪ってしまう」軍隊で、上官や古参兵からしばしば奴隷や機械のように扱われ、「気持ちも死人同様」となる。「一層の事自殺でもしたら」と思う。しかし、「母がいる」、「年老いた御両親がある」からこそ生き続けた。
或る者は「肉体的・・・精神的苦痛」から逃れるため、こうした時代に生きた自らの運命を呪い、迫り来る死を静かに見つめる。残酷な運命よりも、残される両親、兄弟姉妹、恋人に感謝し、彼ら彼女らの幸福を祈った。
学生たちの多くは強く勉学を志しながら、途中で断念せざるを得なかった者たちである。だから、軍隊内での「前頭葉の脱落症状」、「人間の獣性」、「中枢神経をなくした人間」という異常性から脱するために、わずかな時間をぬすんで読む書物が唯一の清涼剤であり、それさえ出来ない文字に飢えた者は、古新聞や薬の効能書を繰り返し読み、人間回復を図ろうとした。
死を前にした一人は「日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死にきれないが、日本国民全体の罪と非難を一身に浴びて死ぬと思えば、腹も立たない。笑って死んで行ける」と語った。
苦悩に満ちた彼らの想いを共有することができれば、本書には単なる反戦の書というだけではなく、平和と戦争、生と死の奥深い意味を問い直す、人生の書という性格があると言えよう。
(今日は、掲示板に投稿してくださる忠さんが出品されている平和美術展を観てきます。)
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