谷沢健一のニューアマチュアリズム

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6月は大学との交流戦(その4)

2007-06-21 | YBC前進
 17日の城西国際大の水田球場(学園創立者・故水田三喜男氏に由来する)はJR外房線大網駅で下車し、車で10分程だった。
既に到着していた加藤副部長、久保田コーチが、今春から就任した佐藤清君とクラブハウスで談笑していた。
 じつはYBC創設の際に、佐藤君に助監督就任を依頼し、いったんは快諾を得たが、諸事情から実現しなかった。早大監督時代は、全国の高校を巡って、藤井、鎌田(いずれも現ヤクルト)、江尻(現日ハム)といった球児の心に「野球をやるなら早稲田」という思いを芽生えさせ、十二分にメンバーを整えたところで、野村氏に後任を委ねて潔く去った出処進退は見事だった。
 私はプロ経験者だし、まだ客員教授でもなかったから、関わることが禁じられていたため、可能なギリギリのところで援助するしかなかったが、その時に佐藤監督の作り上げたシステムをサポートした面々が山本氏や加藤氏であり、ともに参与、副理事長として今YBCを支えてくれている。
 山本参与は中学からの早稲田マンであり、「山本の頭を割れば脳みそが臙脂色しているだろう」とからかわれるほど、早稲田一色の言動の男だが、加藤副理事長(フェニーズ副部長)はもともと早稲田とはまったく関わりがないのに、小宮山君(現ロッテ)をはじめ、随分と早稲田野球部の面倒を人知れず見てくれていた。YBCの誕生はその時に運命づけられていたのかも知れない。
 その佐藤監督が就任したのだから、城西国際大は強くなるに決まっている。今年初めに就任内定という電話を貰ったときには、私もたいそう嬉しかった。JOSAI Internationalのユニフォーム姿に身を包み、満面の笑みを浮かべて迎えてくれた佐藤氏は、すぐに道方康友氏(JFE勤務)を紹介してくれた。マックスと異名を取った打撃王の佐藤監督の片腕として投手陣を指導する頼もしいコーチである。
 公式戦以外に、関西方面にも遠征して、城西国際大の名を広めていくとか、様々なプランを語る佐藤監督の目は、実に澄んでいて、アマチュア野球人の典型的な姿を見ている思いだった。試合は一勝一敗の五分に終わったが、来年ははたしてどうなるか、こちらも大いに腕を磨いて次回も対等に戦いたいと、ひそかに思わされたのだった。