初合宿はいくつもの成果を生んだ。川島理事の合宿参加もその一つだ。合宿を終えた翌日(13日)、彼から連絡が入った。「谷沢ぁ、体の節々が痛いよぉ。でも、心地よい痛みだよ。野球はいいねぇ」(私を呼び捨てにするのはYBCでは彼だけである。大学野球部で私と同期だからだ。)かつて、日本IBM野球部の監督として東京都の社会人野球で戦っていた経歴の持ち主だが、長年、白球を握っていなかったという。その彼が「来週の練習はどこでやるか決まったか?」と気負い込んで言う。私は切ない気持ちで答えた、「いや、まだ決まらんよ・・・」
実は、私は当日の早朝、自宅を出て、9時に柏市の練習候補地の検分を終え、加藤副部長に連絡した。「副部長っ! 3月から使用許可が下りているグラウンドは現状では使える状態ではないですねっ」私は怒りを副部長にぶつけ、「今から、柏市のスポーツ課に電話を入れますから」と言い切った。「理事長、怒るのは分かるけど待ってほしい、私がすぐに電話をしますから」
この地は、11月末に柏市の関係の方が、私と副部長を案内した場所である。私は3度目の視察であり、よく理解しているグラウンドだけに(理解しているとはグラウンドの善し悪しだけでない)、「柏市の施設が全く使えなければ、我がチームは神出鬼没球団のままになってしまう。YBC柏どころか、YBC南関東と改名せざるをえないのか」という心境なのである。
まもなく、副部長から事情説明と宥和(ゆうわ)の連絡が入ったものの、私は怒りを抱えたまま待たせていたタクシーに乗り、ついでにもう1ヶ所のグラウンドを見てから、都内に戻った。
このニュースが、幹部スタッフの耳に入った。「監督ばかりに負担を懸けさせ続けられない」という優しいメンバーたちが、グラウンド探しに奔走してくれた。(この悩みはYBCだけでない。首都圏のチームは随分と遠くまで練習場所を求める。)
その結果、川島理事曰く、「合宿でみんなのモチベーションが上がっている。それをここで低下させたくない。蔵重から連絡入ってなぁ、神宮の室内球場を2日間抑えようよ」と、わずかに静岡訛りの優しい口調で、川島が言う。体にかなりの痛みを感じながら指導者としての味を想い出したのか、私にとっては思わぬ所からの嬉しい反応であった。
後で聞けば、すでに6日に根本マネージャーが副部長に「最悪の場合は、神宮室内の使用しかない」と打ち合わせており、それを藏重コーチに提案し、さらに川島理事に伝達され・・という流れだったという。この敏速なスタッフの意志の疎通は、まさに合宿で「同じ釜の飯を食った」せいだろう。
実は、私は当日の早朝、自宅を出て、9時に柏市の練習候補地の検分を終え、加藤副部長に連絡した。「副部長っ! 3月から使用許可が下りているグラウンドは現状では使える状態ではないですねっ」私は怒りを副部長にぶつけ、「今から、柏市のスポーツ課に電話を入れますから」と言い切った。「理事長、怒るのは分かるけど待ってほしい、私がすぐに電話をしますから」
この地は、11月末に柏市の関係の方が、私と副部長を案内した場所である。私は3度目の視察であり、よく理解しているグラウンドだけに(理解しているとはグラウンドの善し悪しだけでない)、「柏市の施設が全く使えなければ、我がチームは神出鬼没球団のままになってしまう。YBC柏どころか、YBC南関東と改名せざるをえないのか」という心境なのである。
まもなく、副部長から事情説明と宥和(ゆうわ)の連絡が入ったものの、私は怒りを抱えたまま待たせていたタクシーに乗り、ついでにもう1ヶ所のグラウンドを見てから、都内に戻った。
このニュースが、幹部スタッフの耳に入った。「監督ばかりに負担を懸けさせ続けられない」という優しいメンバーたちが、グラウンド探しに奔走してくれた。(この悩みはYBCだけでない。首都圏のチームは随分と遠くまで練習場所を求める。)
その結果、川島理事曰く、「合宿でみんなのモチベーションが上がっている。それをここで低下させたくない。蔵重から連絡入ってなぁ、神宮の室内球場を2日間抑えようよ」と、わずかに静岡訛りの優しい口調で、川島が言う。体にかなりの痛みを感じながら指導者としての味を想い出したのか、私にとっては思わぬ所からの嬉しい反応であった。
後で聞けば、すでに6日に根本マネージャーが副部長に「最悪の場合は、神宮室内の使用しかない」と打ち合わせており、それを藏重コーチに提案し、さらに川島理事に伝達され・・という流れだったという。この敏速なスタッフの意志の疎通は、まさに合宿で「同じ釜の飯を食った」せいだろう。