谷沢健一のニューアマチュアリズム

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千葉県立柏北高に感謝(その4)

2006-03-22 | YBC始動
 3月19日の日曜日、柏北高での練習集合時間は8時30分とした。夕方まで使用できる点を大いに活用したかったからだ。それで、サードチームとトップ・セカンドチームの集合時間を別々にした。「やっと予てから念願だった、レベルに即した(見合った)練習ができる!」私は心の中で叫んだ。
 8時30分にはサードチームのメンバーばかりでなく、トップ・セカンドの木藤、高木、内村、川上、樫田、小林らの各選手も集合した。
 グランドの石拾いと清掃からスタート。ブルペンにはゴミや枯れ葉などが多く散乱しており、それを綺麗に片づけ、ホームベースも土を掘り起こして設置し直し、マウンドも土を盛って固めた。打撃ゲージの大小2台も移動して、使い勝手のいいように配置した。数多くの防御ネット類が用意されていたので、打撃2箇所のゲージ・セッティングが可能であるとふんだからだ。これらの準備作業の中で、特に木藤君は率先垂範をみせてくれた。骨惜しみなく体を動かし、高木君らに指示しながら、私の意を汲んでどんどん事を進捗させてくれた。
 準備に40分ほど時間を費やしたが、サードチーム参加者15名の練習が始まった。基本的な練習をと思いながらも、投内連携や2ヶ所ノックで、実戦と体力補強の重要性を指摘しながらのメニューであった。
 11時には、トップ・セカンドがグランドに入ってきてウォーミング・アップも始まったが、サードチームには一通りの練習が終えるや否や、皆を集めてキャッチボールの指導を始めた。まさに「野球教室」である。30分ほどだったが、このような初歩の初歩にあたる練習時間自体を作ってやれなかっただけに、選手たちはいつも以上に生き生きと取り組んでいるように見えた。意欲のあるものは、午後の練習まで手伝いを兼ねて練習を続けていた。
 トップ・セカンドチームの選手たちは、(YBC創設から今日まで全員の合同練習ばかり行っていたので)やっと自分達の求めるレベルの実戦練習ができるのを感じ取ったのか、前日の練習試合の敗戦など吹き飛ばすように熱が入っていた。バントシフトや重盗防止、中継プレーのサイン確認、声のかけ方まで、時にはプレーを中断してマウンドに集まり、チームのために何が必要かを話し合った。
 打撃練習が始まると、吉田君や鈴木君が真っ先に捕手の防具をつけて、打撃捕手に納まっていた(わがYBCも他のクラブチームと同じく捕手が少ないのだ)。2時頃、全体練習を終えると、吉田君を筆頭に選手たちが「何時まで練習できるんですか」と聞いてきた。「暗くなるまでいいぞ」という声に意を強くしたのか、各自、重点練習に入っていった。スタッフたちもすぐさま、選手たちの意図を掴んでサポートに入った。
 かくして、YBCのチームづくりも、いよいよ本格的になる。

千葉県立柏北高に感謝(その3)

2006-03-22 | YBC始動
 3月7日は、加藤副部長も同行して、柏市野球協会の方々との昼食会を終えてから、柏北高に向かった。約束の2時前には余裕を持って到着。野球部顧問・駒形先生に勿論(もちろん)連絡をとり、まず校長先生とお会いすることになった。
 校長は退院直後という感じがお顔にも表れていた。おそらく公務のために無理をなさっているのだろう。さっそく今回の目的の説明を始めたとたん、外線の電話が鳴り、その対応に時間を費やしていた。やがて、女性の教諭が部室に入ってきて何やら打合せをしていた。
 女性が退室してからも、なかなか話の核心に入れず、私も困惑していたところ、教育事業が本職(仙台育英学園、青森山田高、埼玉の栄グループなどのコンサルティングをしてきている)の副部長が、校長先生の校務について話をしているうちに本題に向かって進展し始めた。2年後には廃校となるだけに、それまで処理しなければならない事項が、校長先生の両肩にずしりと託されており、かなり煩雑な問題が山積しているようだ。
 グランド使用についてはひじょうに好意的に考えていただけた。通常なら、外部者の利用はそう容易ではないのだが、駒形先生のご配慮とボランティアスピリットで、「19日は学校で朝早くから研究活動(理科の教諭)をしますので、その時間帯なら結構ですよ」と言ってくださった。公立高校だけに、つまり公の施設だけに、やや面倒なことが多いが、事務長先生のご配慮もあって兎にも角にもグランド使用が実現することになった。

千葉県立柏北高に感謝(その2)

2006-03-22 | YBC始動
 校長先生との面談日が決まったが、それまでにクリアーしなければならない問題があった。プロアマ問題である。さっそく、千葉県高校野球連盟に問い合わせをした。
 担当の方が電話に出て、「お久しぶりですね。7、8年前になるかと思いますが、松戸さん(元県立成東高校・監督)が連盟会長の時に、指導者講習会で講演をしていただきました。あの時は私も事務局におりましたからね。谷沢さんのあとは、プロOBは誰もおいでになっておりませんよ。」私は、「講演は人のためならず」だなぁーーと思わず、過去の行いをふりかえった。
 「高校のグランド使用の件ですね。高野連の方に聞きまして、のちほど、お返事いたします。」10分もしないうちに、返答がきた。「何の問題もありません。校長先生が許可をくださればグランドは使用できます。細部のことは学校側と話し合ってください」。
 これで、堂々と校長先生と交渉できる。わたしの心に安堵感が走ったのは言うまでもない。

千葉県立柏北高に感謝(その1)

2006-03-22 | YBC始動
 3月19日(日)は、柏北高で初めて練習を行った。練習ができるようになった経緯を書き記しておきたい。
 話は昨年の12月に遡る。2度目のトライアウトの頃、柏市の関係者の方から、「柏北高は、2年後には柏西高と合併して廃校となりますが、野球のグランドは最適ですよ」と聞いたのが発端である。
 さて、年が明けて、今年の2月、旭市合宿を終えた翌日(以前ブログにも記した)、予てから使用を薦められていた柏市の利根川河川敷グランドの状態を調べに行った。2回目の現地視察だったが、私は愕然とした。硬式グランドとしては、あまりにも不備な点が多く(水道なし、トイレなし、物置なし)、無し無しずくめにがっかりして、待機していたタクシーに戻った。
 車内で東京事務局にいる副部長に電話で怒りをぶつけて八つ当たりしたあと、黙り込んでいると、運転手さんが話し掛けてきた。「お客さん、ここを何かに使うんですか? 雨季は、時によってこの先の水門が開けられましてね。川の氾濫を防ぐためですが、堤防内のグランドや田畑が犠牲になるんです。農家の方もそれを承知で、田畑を耕しているんですよ。上流に大雨が降ったときなど、心配で床につけないと思いますよ。」なるほど、そうであれば、グランドにネットやベンチなどを設置しても川の増水で元の木阿弥になるのだ・・・と考えていると、タクシーは柏北高の裏門(金網の出入り口)にさしかかっていた。ふと何かが閃いて、「運転手さん、ちょっと止めて。ここで降ります」と急停車してもらった。
 柏北高は入口が皆目見当がつかないので、上記の裏門の前に立って思案しかけたとき、校舎の方からジャージ姿で恰幅の良い先生が声を掛けてきた。「どちらへ行くんですか」と金網柵を開けてくれた。すぐにYBCの名刺を差し出して挨拶をし、「野球のグランドを拝見したいのですが」、「ちょっと待っていただけますか、野球部顧問を紹介しますから」と言いながら、正面玄関まで案内してくれた。
 このところ「つくばエクスプレス」に乗車する機会も多いので、車窓からグランドを見てはいたが、柏北高の周辺は造成地ばかりで、いたるところに塀や柵や網などが施してあり、生徒たちも駅から近いとはいえ、これでは不自由だろうなーーと同情したくなった。
 待つこともなく、長身の先生が来られ、「野球部の監督をしております駒形と申します。あのぉ、谷沢さんですか。本当に谷沢さんですか。私は谷沢選手があこがれの選手だったんですよ。グランドですか。どうぞ、見てください。」と言い終わらないうちにシューズに履き替えて外へ先導してくれた。
 「グランドとしては、土も入れたばかりですし、水はけもいいですよ。うちの学校も夏の県予選では、ベスト16まで進んだことがありましてね。その時は投手も良かったですよ。ご存知だと思いますが、廃校になりますので、部員も少なくなりました。今では10人足らずですね」。
 ホームベースの方へ歩いていくと、「ライトが少し狭いのですが、バックネットのこの位置まで下がれば、打撃練習でも一塁側のファールゾーンのネットからは、ボールは外に出て行きません」。グランドの周りは20mほどの高いネットで張り巡らせれており、ライトやセンター後方のネットから幹線道路までは、40~50mの距離があった。たしかに硬式のできるグランドであることを確信した。
 駒形先生曰く「廃校になっても、跡地利用は何も決まっていませんので、使用してもらうことは、私としてもうれしいことです。部員たちにも練習を見せてやりたいですよ」。そして、センター後方にある物置を指差して、「マシンは3台あります。使って頂いて結構です。使わないとかえって傷みますからね」。
 一塁側には、ネットで囲われたブルペンも用意されていたが、あまり練習もしていないせいか、散らかっていて、より一層現状を把握できた。ただ、最後の言葉が気になった。「じつは、校長先生が入院中です。3月上旬には退院してくると伺っています。許可を下すのも校長しだいですので、私から連絡致します」。
 私は深々と頭を下げて、北高をあとにした。しばらくは電車に乗っても、駒形先生の親切なやさしい応対にに触れた余韻にひたっていた。
 翌日、先生から連絡が入った。「校長も生徒たちの活動に支障がなければ、使用できる方向にで協力しますと、言ってくれています。もう少し待っていただきたい」。2月末になって、校長との面談が、3月7日と決定した。