谷沢健一のニューアマチュアリズム

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初試合顛末記(その5)

2006-03-07 | YBC始動
 初試合には取材陣も多かった。NHKの「おはよう日本」の千葉放送局・戸田ディレクター、東京中日スポーツの小原記者と整理部の加藤記者(CP会員)、朝日新聞の安藤記者、スポニチの記者も(私も年のせいか、なぜか今お名前を思い出せない、失礼! お詫びに今度奢ります)。選手たちも素晴らしい励みとなったことであろう。
 YBCのモットーは、攻守交代は全力疾走だが、まだ不十分である。攻撃時におけるベンチ前の一声もどこか不揃い。遠慮しているのか、照れくさいのか、いろいろと観察していると興味深い。不揃いなところ、キレイにまとまらないところが楽しさをおぼえる瞬間とも言える。いずれ、選手たちの総意の下で、選手会長かキャプテンが決まっていくのであろう。私がそれを指名することは全く考えていない。これもYBC流だ。今のところ、吉田・松尾両君が先頭に立ってやってくれているし、松村、山崎、木藤君の大声も選手たちを鼓舞している。5、6試合こなしていけばチームとして態を成していくと思う。
 ビジターとしての礼節を済ませ、全員を送り出してから、加藤副部長、勝原トレーニングコーチと共に、日大習志野グランドに向かった。残留組が練習をしているのだ。蔵重チーフコーチのもとに、上村コーチも合流。16人の選手たちが練習を積んだ。すでにグランド整備をしていた選手たちが集まってきて、試合の結果に聞き耳を立てていた。
 残留組の選手たちに話をした。東大戦をよそに、よくぞこれだけ多くの選手が参加して練習してくれた。このグラウンドは日大OBの根本マネが懸命になって確保したのだ。初試合を見たかったという思いを抑えて練習した君たちの姿勢が、これからのYBCの基盤を支えてくれる。ありがとう。
 「長くも楽しき1日」が終了した。

初試合顛末記(その4)

2006-03-07 | YBC始動
 試合中はダッグアウトの最前列(2列しかない)に陣取っていた加藤副部長が、ホームページ上の「試合結果」で、詳細な戦闘経過を披露してくれたので、私は指揮官としての立場で感想を述べる。
 第1に攻撃。笠原、松尾、杉野の3君に共通するのが、積極性に欠けることだ。特にスコアリング・ポジションに走者がいるときに、甘いコースを打ち気を見せることなく見逃してしまうことだ。これは、私も経験しているだけに、その対処を一緒に考えてやらなければならない。また、左投手に弱い左打者もいるので、その対策法も伝授していこう。
 第2に守備。内外野手とも一歩目のスタートが遅いようだ。左中間を破られて一点を献上したが、3塁打にはしたくなかった。投球がバットに当たる瞬間に集中すること。西武のコーチだった時には、メニューの中に「実弾捕球」を組み入れた。じつは簡単なことで、打撃練習時に、外野手は「生きた打球を追え」ということだ。
 第3に走塁。エンドランを一度試みたが、走者が早くスタートを切ろうとして牽制球で刺された。この辺は初めての試合で、まだゲーム感の薄いためだ。7回にエンドラン失敗の後、一死から四球を選んだので、代走に17歳の川上(50m走5秒8の俊足)を起用した。準備をするよう告げると、彼はファールゾーンでスタート練習を繰り返し、戻ってくると、曰く「あの投手ならいつでも走れます」と言い放った。「よし、初球から走れ」と送り出した。公言した通り、「初球」、見事にやってのけた。阪神の赤星君を目標としているだけに、発会式の背番号争いでは「53番」に固執して勝ち取った、楽しみな高校生である。
 最後に、投手陣は、芳賀君が49球、谷野君も2イニングまでという香川ヘッドの進言もあったが、「もう一回投げさせてください」と訴えてきたので行かせた。思った以上に内容が良かったなどといえば、本人は「まだまだです」と不満を述べるかもしれない。首都リーグ一部の筑波大で2桁勝利の戦績を残しているだけに、自負心は強いはずだ。
 リリーフした小田君は走者をためて降板したが、練習では落ち着いた投球をみせているだけに悔いが残っただろう。彼には、緩急の使い分けを憶えてほしいと思う。次の登板のチャンスまでに少しでも研究してもらいたい。モンゴル出身のホソバヤル君は前のクラブチームの時より随分成長した。満塁のピンチから登板させたが、一点で切り抜けてくれた。最後は木藤君、8,9回をピシャリと抑え込んだ。投手陣の中では兄貴分だけに、皆をぐいぐいと引っ張ってくれている。これからも頼むぜ。

初試合顛末記(その3)

2006-03-07 | YBC始動
 数日前から打順のイメージができ、久保田コーチには伝えておいた。投手起用も25日のシート打撃でおおよその目安がつき、香川ヘッドとの打合せ+雑談のうちに、その継投策も出来上がっていた。しかし、記念すべき試合でもあるから先発投手には伝えておこうと思った。なかなか連絡がつかなかったが、夕方、私の携帯が鳴った。
 「おはようございます」と第一声が飛び込んできた。「午後5時におはようとは、少しずれてるなー」とは思ったが、「どうだ体調は?」、「はい、大丈夫です」、「明日、先に行くからな。4、50球でいいな」、「はい、よろしくお願いします。今からバイトに行ってきます。」
 一瞬、「おいおい、試合前日の夜にバイトかよ」と思ったが、これがクラブチーム選手の生活の現状であり、この2年間の経験で、私も慣れている。先発の芳賀君は、高校時代は春選抜の準優勝投手で、早大では和田(ソフトバンク)に匹敵する逸材と期待されたが、肩の故障などもあって、不満足な4年間を過ごしたはずだ。トライアウトの時に、「もう一度夢を追います。このままでは仙台にも帰れません」と語っていたが、概してその気になるのが遅い後輩たちである、「そろそろだぜ」と言いたいところだが、うまい水を飲ますためとはいえ無理に水辺に引っ張って行くというのも、YBCの考え方に反することになる。