谷沢健一のニューアマチュアリズム

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対流通経済大戦(その2)

2006-03-11 | YBC始動
 ユニフォームに着替えて、グランドに降りていき、打撃投手をしていた大田垣監督と挨拶を交わした。監督は佐藤氏について「早大とうちとはよく試合をしましてね。根気よく真面目にチーム力向上に取り組む姿をみておりましたから、早大監督を辞任した後、すぐに指導に来てほしいとお願いしたんですよ」やはり、眼力のある人は見ているものである。
 この恵まれた施設についても「大学当局もほんとうに多大なバックアップをしてくれています。室内練習場もおみせしたいくらいのものが完備しており、お蔭で各地の高校から良い選手が来てくれますよ」「うちの神戸(191cmの左打者)を見てください。飛ばしますし、肩も強いですよ」(この言葉は、試合で思い知らされることになった)
 恰幅のいい(若い頃のハリさん=張本勲氏を穏やかにしたような顔の)大田垣監督からこのような話を聞かされては、今日は10点くらい取られるだろうとひそかに覚悟した。

対流通経済大戦(その1)

2006-03-11 | YBC始動
 オープン戦第2試合の流通経済大戦は、同大学の臨時コーチ・佐藤清氏のご紹介で実現した。佐藤氏が早大の学生の頃、松倉氏(元フジテレビ・アナウンサー)の自宅屋上でスイングを指導したことがあった。大学時代は、マックス佐藤と呼ばれ、(法大の江川らから)通算14本塁打を打って当時第4位の記録ホルダーのスラッガーだったのだ。もしプロ入りしていたら、名球会会員になっていたにちがいない。
 佐藤氏が早大監督だった時は、私はしばしばグランドに出かけ、部員たちについてアドバイスをした。そんな縁があるだけでなく、多忙でなければYBCの助監督を引き受けてもらいたいとさえ思っている技能と人格を有している。
 牛久グランドに到着すると、打撃ゲージの後ろに立っていた佐藤氏は、すぐに気づいてくれて挨拶を交わした。「仕事が忙しいので、流経大の選手に接するのも月に1回くらいなんですよ。今朝も朝6時半に起きて来ました」という。やはり、誠実で熱意のこもった指導をする人である。
 加藤副部長も佐藤氏と早大監督時代に関わりがあり、しばらく思い出話やYBC創設の楽しさを語っていたようだ。
 流経大の部員たちは、誰もがはっきりと挨拶をしてくれ、大田垣監督の指導の徹底ぶりが感じられた。マネージャーに招き入れられたプレハブ2階の監督室は応接間のようであり、そこで冷えた麦茶をご馳走になりながら、副部長、久保田コーチと、しばらく眼下のグランドできびきびと練習に励む流経大の選手たちを眺めていた。我々3人は、つい異口同音に「将来こんな施設をつくりたいね」と語った。