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ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『セプテンバー5』を観て

2025年03月04日 | 2020年代映画(外国)

『セプテンバー5』(ティム・フェールバウム監督、2024年)を観てから、もう2週間経ってしまった。

1972年9月5日。ミュンヘンオリンピックの選手村で、パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエル選手団を人質に立てこもる事件が発生した。
そのテレビ中継を担ったのは、ニュース番組とは無縁であるスポーツ番組の放送クルーたちだった。
エスカレートするテロリストの要求、錯綜する情報、機能しない現地警察。
全世界が固唾を飲んで事件の行方を見守るなか、テロリストが定めた交渉期限は刻一刻と近づき、中継チームは極限状況で選択を迫られる・・・
(映画.comより)

早朝、銃声らしき音が聞こえたABCのテレビカメラクルー。
本来、報道班が行なう報道を、事件発生場所のミュンヘンオリンピック担当班が実況中継を行なうために本国とやり取りし、
そして、事件の全体を把握することができないまま、すぐそこで起きている事実を自分たちの判断で生中継していく。

「黒い九月」によるイスラエル選手団人質テロ事件。
オリンピック開催中での選手団11人が人質となり、この時点で2人が殺害されている。
その歴史的事実の再現。
それをテレビクルーが常駐するコントロールルームの一室を中心に描く。
だから事件そのものの全容は直接見えない。
そこにあるのは、刻々と過ぎていく時間の流れの中の緊迫感。

クルーたちはライブゆえに常に緊張を強いられる。
それを観ている我々観客も同感覚を体験させられ、その空気にドップリと浸かることになる。
そして、一日の時間は瞬く間に過ぎていく。

テロ事件の全世界向け実況生中継。
テレビクルーが行なう実況放送は犯人たちもテレビでそれを見ている。
情報が筒抜けであることに対して、果たして報道の自由とは何か、それに対する責任はどうなるのか、との問題提起が滲み出る。

この作品から受ける感覚は、歴史的事件報道の緊迫したやり取りは十分に堪能できるが、
視点が一室をメインとしているため外で起きている事件の客観性がぼやけ、そこが少し物足りない印象として残る。

それにしても私が20代前半の時のミュンヘンオリンピック。
オリンピックにそんなに興味があったわけでもなかったのか、最悪の結果を迎えることになるこの事件のことは左程印象に残っていない。
後々に、「黒い九月」を扱った『ブラック・サンデー』(ジョン・フランケンハイマー監督、1977年)をビデオで観てから多少関心を持ったが。



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