ポケットの中で映画を温めて

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忘れ得ぬ作品・6〜『ルシアンの青春』

2016年07月24日 | 1970年代映画(外国)
フランスのルイ・マル監督と言えば『死刑台のエレベーター』(1958年)となる。
私が映画を意識し出した当時、このルイ・マルは傑作を次々と発表し、それに歩調を合わせるように観たうちの中で、どうしても忘れられない作品がある。
それは『ルシアンの青春』(1974年)。

1944年6月。フランス南西部の片田舎。
17歳のルシアン・ラコンブは、町の病院の雑役をしながら住み込みで働いている。
父はドイツ軍の捕虜になっていて、母は雇い人の農場主ラボリと関係をもっている。

休暇で家に帰ったルシアンは、レジスタンス活動に参加しようとするが、年齢が若く拒否される。
病院に戻る途中、パンクした自転車を引いて町に着いた時は、すでに夜。
賑やかな感じのホテルの前に佇んだルシアンは、うっかり、ゲシュタポの者からスパイと疑われてしまう。

そのゲシュタポの部屋で酒をよばれながら、何の認識もないルシアンは、彼らに請われるままレジスタンスの教師の名前を答えてしまう。
そして、それがきっかけとなり、彼はドイツ警察・ゲシュタポで働き始める。
仲間のジャンは、ルシアンの服を新調するために、ユダヤ人の仕立て屋、アルベール・オルンの所へ連れて行く。
そのアルベールには、母親のほかに、娘フランスがいて・・・・

ルイ・マル作品だからと、当時、封切り上映館に足を運んで、観始めてみると、なぜか違和感が先立ってしまった。
普通、ドイツ・ナチス関係の映画といえば、レジスタンス側の心境から描くことが多い。
それが、ゲシュタポの一員となった青年が主人公である。
なんで、こんな人間の話を、わざわざ観なきゃならないのかと、一方的に拒否感がたってくる。

しかし、観進めていくと、一定の距離感を保ちながらも、自然とルシアンの心情に寄り添う形になる。
その時代に、社会で起きていること。
そのことに、冷静な客観性をもつことも、考えることすらも及ばず、情熱を傾ける対象を見つけるということ。
ルシアンにとって、権力の一部を手にすることが、小気味よい楽しみを発揮できる唯一の方法なのだろう。

映画の視点は、ゲシュタポ側からであるけれども、ユダヤ人のアルベールの、その状況の対処の仕方、態度に尊厳性が滲みでている。
このような権力と非権力の間柄のなかで、ルシアンとフランスが恋をする。
青年期の恋愛によくあるルシアンの想い。つかの間の喜び。
その後に来るルシアンの運命を考えると、この時がまさしく“ルシアンの青春”だった。

一昨年、ノーベル文学賞を受賞したパトリック・モディアノと、ルイ・マルが共同執筆したこの作品の脚本。
よく考え抜かれたこの優れた脚本は、何を本質的に言わんとしているか。
そのようなことを反復して思ったりしているうちに、いつしか私にとって、これは印象深い大事な作品となってしまった。

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