ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

「杉山千佐子」という方について

2016年08月19日 | 社会一般
先日、テレビのローカルニュースで杉山千佐子さんのことを取り上げていた。
昨年10月に自宅で転んで入院し、退院後は一人暮らしをやめて老人ホームに入居してみえるとのこと。
画面を見る限り、部屋のベット生活が多そうに感じた。

杉山千佐子さんは1915年生まれ。来月で101歳になられる。
1945年3月、杉山さんは名古屋空襲で鼻の上部をえぐられ、左目を失った。29歳の時のことである。

私が若かった頃、国への抗議・要求のための集会、デモがよくあった。
そのデモの最後尾に、大きな眼帯を片目にした一人のおばさんが歩いてついてくる。
当時、変なおばさんがついてくるなあと不思議でならなかった。

その後30歳代の時、労働組合の動員で、野党の県本部へ衆院選挙の応援に行った。
一人で電話番をしていると、あのおばさんが入って来て、部屋の中をあちこち歩きながら何やらひとりでしゃべる。
歩くのをやめると私にも話かけながら、最後に、「傷痕」(全国戦災傷害者連絡会機関誌)を2、3冊くれた。
この時が、杉山千佐子さんの名をはっきり知った時である。

杉山さんは、57歳の時の1972年、戦中に傷ついた民間人は何の支援も受けられず放置されているとして、
全国戦災障害者連絡会(全傷連)を結成し、空襲による戦災障害者に対しての国の救済を求める運動を起こす。
それを受け73年から89年に14回、「戦時災害援護法」案が野党から提案される。

遡れば、軍人、軍属には1952年に「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が制定され救済されるようになった。
また、原爆の被爆者援護施策としては、1957年に曲がりなりにも「原爆医療法」が制定され、「被爆者援護法」への流れを作った。
しかし、この「戦時災害援護法」案に関して、国(与党)は、「内地は戦場ではない、民間人は国との雇用関係がない」と応じず、結局は廃案にした。

2006年、杉山さんの軌道を追ったドキュメンタリー映画『人間の碑~90歳、いまも歩く~』(林雅行監督)がミニシアターで上映されたので観に行った。
映画の出来としては、正直、そんなに感心しなかったけれど、やはり、このような映画を作るということは、貴重だなと感じた。
しかし残念なことに、関連する第二弾の作品『おみすてになるのですか 傷痕の民』(林雅行監督、2010年)は見落としてしまった。 

2010年、杉山さんも老齢のため、全傷連は全国空襲被害者連絡協議会に合流。

100歳の誕生日の翌日の昨年(2015年)9月19日、安全保障関連法が成立。
杉山さんの「百歳までに」との願いは、とうとう届かなかった。
そして、旧軍人軍属や遺族には恩給や弔慰金を50兆円支払うことができても、民間人は今だ無視されたままとなっている。

それでも杉山さんは、
「戦争は兵隊だけがするんじゃない。空襲で被害を受けたのは、女子どもと老人です。
弱い者が最後まで放ったらかし。このまま死ぬわけにはいかない。

この援護法を作っておけば、国民も軍隊と同じように保証すべきであるということが決まってくる。
戦争をやろうと思ってもどえらい金が必要になりますから、この前の戦争のように、国民を塵芥のように使って使い捨てすることができないようになる。
私の時に実現できなくても、世の中にこういうことを言い続けた女がいたと、誰かが引き継ぐ。活動をはじめたときからそういう考えです」
と希望をもつ。

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2 コメント

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戦争の被害者 (ろこ)
2016-08-20 02:09:01
こんにちは。
 この方について、この記事を拝読するまで存じませんでした。
 戦争を知っている方が少なくなってきて、その恐ろしさを語る人がいなくなります。
 「「戦争は兵隊だけがするんじゃない。空襲で被害を受けたのは、女子どもと老人です」
 は、まさに至言ですね。
 
>ろこさんへ (初老ytおじ)
2016-08-20 09:15:31
この方の名を私はたまたま知りましたが、ろこさんが書評で書かれている
「道徳心や犠牲的な心、信念を曲げずに進もうとする気高さ」の人は、世の中にまだまだたくさんみえるでしょうね。
ただ、私が知らないだけで。

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