『南部の人』(ジャン・ルノワール監督、1945年)を観た。
アメリカ南部の移住農業労働者、サム・タッカー一家の物語。
綿花の摘み取り作業中に倒れた叔父の死をきっかけに、サムは独立しようとボスから河岸近くの土地を借り受ける。
希望に燃え、妻ノーナと幼い子供2人、それに年老いた祖母で到着した場所は、荒れ果てた地にある廃屋だった。
それを見た気難しがり屋の祖母が愚痴をこぼす。
サムは早速応急処置に掛かり、ノーナはどうにか住めそうになった家で、コーヒーを入れるのだった・・・
自立しようとする希望と努力、それに対する現実。
まず、肝心の井戸が使えない。
そのために、隣人のデイヴァーズに井戸を使わせてもらうよう頼むが、隣人は偏屈な態度をとる。
デイヴァーズのその態度は、子供のジョディーが栄養失調になり牛乳を分けてもらおうとする時も同じである。
挙げ句は、刃物を使ってのケンカまでに発展する。
そればかりか、農場開拓に付きものの自然を相手とした苦労がサムを襲う。
やっと夫婦の苦労が報われる時期になっての、突然の豪雨。
ぬかるみと化した畑は、見る影もない無惨な姿。
諦めて農業をやめようと考えるサム。
このような現実の中でも、なぜかこの作品はそんなに陰気くさくならない。
例えば、酒場でのドタバタとか、他にも何かにつけジャン・ルノワールらしさがあって、登場人物はめげてしまわない。
隣人のデイヴァーズとの関係でも、あわやと言うところで御都合主義的に改善されてしまいサッパリする。
そして、何といってもタッカー家の夫婦の愛情表現がいい。
こんな夫婦関係だったらお互い頑張ろうかと、自然と納得させるところが憎い。
この作品は、ジャン・ルノワールがナチスを逃れて、アメリカに行って撮った作品の中でも評価が高い。
成る程ラスト近くの、豪雨後の大量に流れる河で、牛を助けようとするサムと友人のシーンを見ると、まさしくルノワールの作品だなと思う。
そして、悲惨な境遇に挫けず希望を持つところがアメリカ的であるようでいて、ルノアール的だなと勝手に解釈する。
『意地悪』
葡萄が一杯実っていた.おばあちゃんが大好きな葡萄が一杯ある、けれど・・・・・
けれども、ほら、おばあちゃんの大嫌いな蛇も・・・・・可愛い女の子が意地悪をした.
それはさておき、『意地悪』とは.
意地悪とは、わざと人を困らせること.
豚を畑に連れてきて、畑を荒らした.
やっと綿花が実ったと思ったら、大雨が降って全部流されてしまった.
酒代を店の主人がごまかしたら・・・・・
では、意地悪の反対は.
さりげなく、助け合うこと.
『工場で働いているものは、百姓が作ったものを食べ、百姓は工場で作られた農機具を使って作業をする』
皆、知らず知らずの内に、助け合って生きているのだ.