『牝犬』(ジャン・ルノワール監督、1931年)を観た。
メリヤス会社社長の叙勲の祝宴の後、会計係のルグランは二次会を断り帰路につく。
すると夜道で、若い女リュリュが愛人のデデに殴り倒されているところに出くわす。
リュリュを助けたルグランは、彼女を家まで送って行き、再会の約束をもらう。
恐妻家のルグランは、家に居れば妻アデルから邪魔者扱いにされている。
だが、絵の趣味がありそれで癒やされている。
リュリュは、金がないデデを援助しながらも熱烈に愛している。
そのヒモ生活のデデがリュリュに、ルグランから金をせしめるようそそのかして・・・
若いリュリュに夢中になったルグランは、金を工面しせっせと貢ぐようになっていく。
ある日、仕事を終えたルグランの前に、妻アデルの前夫アレクシが現われる。
金をせびるアレクシに、夫の座を譲り渡したルグランは、自由の身となってリュリュのもとへと急ぐ。
しかし、リュリュの部屋でルグランが目にしたものは、リュリュとデデの姿。
よくある話の、悲劇の始まりである。
リュリュに我を忘れ、人生を崩していくルグラン。
だがルグランからすれば、この時が一番充実した人生でもあったはずである。
ルグランの盲目の愛は、リュリュのデデに対する愛にも繋がる。
どちらも愚かさが混じり合っていて。
ジャン・ルノワールの話の繋ぎは実にうまい。
そして、さえない中年男のルグランを演じるミシェル・シモンがこのような情景を作るうえでとてもいい。
悲劇ではあるが、ストーリーは単なる悲劇にはなっていかないのが凄い。
まず映画の冒頭で、男は内気な中年でバカ正直なお人好しで、
女は色気と俗っぽさを備え悪気はないがウソつき、と前口上がある。
そしてこれは悲劇でも喜劇でもない、登場人物は英雄でも悪党でもない皆と同じ哀れな人間の話となっていて、
ホントにそうだよねと、ラストのルグランとアレクシの浮浪者姿に、人生これでいいんじゃないかと納得させられる。
映画の世界には、このような傑作がまだまだ沢山埋もれているんだなと痛感させられる一品だった。
メリヤス会社社長の叙勲の祝宴の後、会計係のルグランは二次会を断り帰路につく。
すると夜道で、若い女リュリュが愛人のデデに殴り倒されているところに出くわす。
リュリュを助けたルグランは、彼女を家まで送って行き、再会の約束をもらう。
恐妻家のルグランは、家に居れば妻アデルから邪魔者扱いにされている。
だが、絵の趣味がありそれで癒やされている。
リュリュは、金がないデデを援助しながらも熱烈に愛している。
そのヒモ生活のデデがリュリュに、ルグランから金をせしめるようそそのかして・・・
若いリュリュに夢中になったルグランは、金を工面しせっせと貢ぐようになっていく。
ある日、仕事を終えたルグランの前に、妻アデルの前夫アレクシが現われる。
金をせびるアレクシに、夫の座を譲り渡したルグランは、自由の身となってリュリュのもとへと急ぐ。
しかし、リュリュの部屋でルグランが目にしたものは、リュリュとデデの姿。
よくある話の、悲劇の始まりである。
リュリュに我を忘れ、人生を崩していくルグラン。
だがルグランからすれば、この時が一番充実した人生でもあったはずである。
ルグランの盲目の愛は、リュリュのデデに対する愛にも繋がる。
どちらも愚かさが混じり合っていて。
ジャン・ルノワールの話の繋ぎは実にうまい。
そして、さえない中年男のルグランを演じるミシェル・シモンがこのような情景を作るうえでとてもいい。
悲劇ではあるが、ストーリーは単なる悲劇にはなっていかないのが凄い。
まず映画の冒頭で、男は内気な中年でバカ正直なお人好しで、
女は色気と俗っぽさを備え悪気はないがウソつき、と前口上がある。
そしてこれは悲劇でも喜劇でもない、登場人物は英雄でも悪党でもない皆と同じ哀れな人間の話となっていて、
ホントにそうだよねと、ラストのルグランとアレクシの浮浪者姿に、人生これでいいんじゃないかと納得させられる。
映画の世界には、このような傑作がまだまだ沢山埋もれているんだなと痛感させられる一品だった。
会社の社長は『お金で間違いをしたのだから、次はお金と縁のない仕事にしなさい』、こう言って、過ちを優しく諭しました.
ルグランと元夫の曹長は、気が合いました.曹長はルグランの稼ぎを横取りするような酷い奴だったけれど、二人は気が合ったのです.
なぜか、二人共に、自分が愚かな人間であることを知っていたからです.
芥川龍之介の『蜜柑』.青空文庫にあると思います.YouTubeに朗読も有ります.十分も有れば読める短編ですから読んでみてください.
人間の愚かさを蔑んで見ること、愚かさに付け入る行為、それが一番愚かなことである.