ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『ボーダレス』を観て

2015年11月05日 | 2010年代映画(外国)
名古屋のミニ・シアターで『ボーダレス』(アミルホセイン・アスガリ監督、2014年)を観てきた。

場所はイランの国境沿いの川。国境の向うはイラク。
立入禁止区域内に放置されている廃船に、少年は寝泊まりしている。
そこで釣った魚や自分で作った貝殻の首飾りを金に換えて、少年は静かな毎日を送っていた。
そこへある日、一人のイラク少年兵が突然闖入してきた。
少年兵もここに住もうとして、船の半分にロープを張る。
言葉が通じない二人は諍いを続けるが・・・・

この映画の感想を書こうとすれば、どうしてもネタバレ(この言葉は好きじゃないけど)に近い話になってしまう。

舞台はほぼ船内だけである。
少年はホームレスみたいだけど、防水腕時計もしていてそんなに貧しそうでもない。
何かそこが不思議な感じもする。イランだとそれが一般的ということか、私には実情がよくわからない。
片や突然現れた少年兵は着の身着のままに近い。内線イラクの現状の象徴か。

この二人の言語は、少年がペルシャ語、少年兵(実は少女)はアラビア語である。
だから、言葉が通じ合わない。そのため敵意が剥き出しになる。
言葉ではコミュニケーションが取れないが、それでも徐々に意思が通じ合うようになる。
とそこへ、少女に危害を加えようとする形でもう一人が現れる。アメリカ兵である。
映画もこの辺りから一気に緊張感が高まり、本来のテーマが透けて見えてくる。

三者三様の言語。
彼らは人間としての個人であるのに、国家を背負うことを強制させられる。
特に国境付近となると、そのことが顕著、あからさまになる。
イランとイラクの関係。イラクとアメリカの関係。アメリカとイランの関係。
いざという時、常に犠牲者は一般の人々である。
権力者は物事を大局的に見ようとし、個人の悲惨さを無視する。
そして、どこかの国の首相のように相手を敵対視しながら、形だけの対話のポーズを取る。
そうでなく、難しくとも相手と根気よくコミュニケーションを取る大切さ、必要性を、この映画は静かに訴える。

このアスガリ監督はこれが初の映画とのことだが、ベテランの域に達している映像作りが素晴らしい。
このように、傑作をたくさん輩出するイラン映画界の層の厚さにも感心させられる。

このような映画を、一人でも多くの人が観ることを私は願ってやまない。








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