信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

古坂区上空からの風景&鯉のぼりや五月人形の飾り付け

2024年04月28日 | 生坂村の風景
 4月28日(日)は晴れてお出かけ日和となり、強い日差しが照り付け気温はグングンと上昇しました。

△▽ 毎朝恒例の撮影は、新緑が鮮やかな生坂村全体の風景を撮ろうとし、本日は古坂区上空からの風景を撮影しました。
古坂上空からの風景


 生坂村誌によると、古坂の地名は古い峠からできていて、山清路が通れなかった明治10年代までは、本村から寺沢を登り、峠を越えて柳久保に出たとのことです。

 古坂区の戸数は、寛政元年(1789年)30軒、明治の末頃から昭和14~5年頃までは48戸を数えました。その後は過疎化が進み、現在は10戸ほどになってしまいました。

 古坂区の集落は生坂村の最北部に位置し、犀川の西斜面一帯に散在しています。昭和58年の台風10号災害で上の平地区の上部より発生した甚大な地すべりは、地区内の道路を破壊し、住居の全壊1戸、半壊3戸、危険避難1戸という地区の過疎化に追い打ちをかけるかのような大災害となりました。

 同地区の被害家庭を含む移転希望家庭の7戸は、生坂村過疎地域振興事業に沿って集団移住に踏み切り、移住先を下生野新田地区に求めました。
 村では昭和59年度事業で約5,000㎡の土地を取得し、上下水道完備の宅地造成をし、60年度には住宅建設をして同年10月に完成しました。

 過疎化は進んでいましたが、平成30年6月26日には「生坂村古坂地区介護予防拠点施設」の竣工式を行いました。
 古坂区の介護予防拠点施設については、当村北部の村民が介護予防サービスや教室に参加できます介護予防拠点にするとともに、地域住民の交流施設として整備しましたので、古坂区の皆さんには地域の絆を大切に守り育てていただきたいと思います。

 私は、毎朝の撮影とSNSの発信を済ませ、家族で力を合わせて、鯉のぼりや五月人形の飾り付けを行いました。

 今年は昨年11月に3番目の孫が生まれて吹き流しが一つ増えましたが、6年目になりますのでスムーズに鯉のぼりは上がりました。

 しかし、幟の飾り付けは、なかなかポイントが掴めず、ロープ二つ使いワッコを通すロープや幟を通すロープを息子と試行錯誤しながら、どうにかポールに付けられました。

 内飾りの五月人形も一つ増えましたが、一緒に並べないで、初めて玄関近くの大黒柱の横に飾ってみました。

 お兄ちゃん二人の内飾りは、今まで通りにお座敷に頂戴した五月人形と一緒に飾り、とても華やかになり、3人が健やかで逞しく賢く育って欲しいと願いました。

 我が家の内孫は男の子3人になり、子育てを大人4人でそれぞれ頑張っていますが、なかなかヤンチャでして毎日騒ぎで大変です。でも、子どもは社会の宝ですし、誰かは生坂村に残って我が家を継いでくれたらと思います。


 本日生坂村では、道の駅いくさかの郷及びハンガリー村5周年記念イベントなどが行われました。