信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

草尾上野ぶどう畑上空からの風景&東筑摩郡村長会視察研修2日目

2024年09月30日 | 私の活動報告
 9月30日(月)は雲が多くも午後には日差しが届き、朝晩は過ごしやすく、昼間は少し汗ばむ体感になりました。

 東筑摩郡村長会視察研修2日目は、午前9時30分に与那原町役場に着き、最初にお忙しい中、照屋町長と城間副町長にお会いでき、視察対応の御礼の挨拶をさせていただきました。

 照屋町長からは、飾ってあった与那原町の戦前から現在までの航空写真を見せていただきながら、当町の歴史や産業等の説明や脱炭素先行地域に選定した場所などの説明を伺いました。

 我々は、東筑摩郡5村の位置や農業等の話をし、記念写真を撮っていただき研修室に移動しました。


 研修は、与那原町の脱炭素に向けた取り組みについて、企画政策課 安慶田参事、山城課長たちに説明をしていただきました。
 与那原町の概要として、場所は那覇市から車で約30分、大きさは5.18㎢キロメートルで全国4番目小さい町、人口は19,470人と近隣市町村に比べて少ないが人口密度は高い、施設は教育機関・病院・警察・商業などが揃っているとのことでした。

 文化、イベントは、440年余の歴史がある「与那原大綱曳」と与那原町大綱曳資料館、郵便与那原駅舎展示資料館等があり、特産品は、赤瓦・ヤチムン、天然ヒジキ、ソデイカ等で、与那原マリーナ等の観光施設や観光ポータブルサイトの構築、キャラクターの「つなひきかちゃん」等で観光振興に取り組んでいました。

 与那原町の現状と方向性として、「稼ぐ力が弱く、地域経済が循環していない地域となっている」ことにより、「地域で稼ぎ、地域で経済を循環(経済の地産地消)させるか」が重要とのことで、与那原町の東海岸を新たな価値を創造する「住む、働く、遊ぶ」を満たすエリアの実現を目指していました。

 そして、再生可能エネルギー技術の発展により、地域で使う電気を地域で創ることが可能となっていることから、エネルギー関連産業を創出し、稼ぐ力と地域経済の循環を図りつつ、環境問題に取り組まれたとのことでした。

 与那原町の脱炭素先行地域事業の取組として、脱炭素先行地域を「マリンタウンエリア」と「公共施設群」に設定し、令和5年度から令和9年度にかけて「再エネ導入・省エネの実施等」に取り組み、環境対策の他、①稼ぐ力不足、②災害・防災、③公共交通、④住民の健康といった課題への対策も行うこととしています。

 太陽光発電・蓄電池・充放電設備・省エネ住宅等の計画、太陽光発電設備の導入・省エネの実施・大型蓄電池の導入・その他の電源の導入・EV車の導入促進等の概要、与那原町による出資・サテライトオフィスの開設等のスケジュールなどの説明を伺いました。

 地域新電力の体制強化として、事業推進のため職員1名をおきなわパワーHD(株)(地域新電力会社)に派遣とサテライトオフィスを東浜地区コミュニティセンター内に開設し、地域新電力会社に25%の出資をされました。

 環境省にて特筆すべき取組事例として、「自治体側も、新エネルギー会社への出資及び職員派遣を確約することによって、事業推進体制の確立に成功している」と評価されたとのことでした。
 周知関連として、様々なポスターや桃太郎旗の製作、住民向け脱炭素の理解促進のため、役場1階ロビーで省エネパネル展や小学校において省エネ教室を行っていました。

 令和5年度実績として、公共施設太陽光パネル設置及び充放電設備設置、中学校高効率照明機器(LED)導入、蓄電池設置、令和6年度の取組として、ソーラーアーケード、大型蓄電池、風力発電、波力発電の実証などが予定されていました。

 与那原町が目指す脱炭素社会の経済面として、地域新電力を中心とした「エネルギー関連産業の創出」、MICEと連携した脱炭素ショールームによる「交流人口の増加」などを図り、マリンタウンエリアの開発とMICE施設イメージ、スポーツツーリズム イメージも説明していただきました。

 その後、新エネルギー会社への出資や派遣について、効果促進事業について、沖縄県が進めるMICEについて、与那原町の現状について、与那原大綱曳の歴史と現状についてなどの質疑応答をさせていただきました。

 その後、与那原大綱曳資料館(つなかん)にも寄って、与那原大綱曳について説明していただきました。
 与那原大綱曳は、那覇・糸満と共にいわゆる「沖縄三大綱引」のうちの1つに数えられていて、「綱引」は沖縄県内各地で広範に分布している習俗の1つで、それぞれの地域的特色をもって行われており、地域の人々を結集するうえで大切な役割を果たしているとのことでした。

 今年4月導入の360°フルスクリーンシアターで臨場感ある大綱曳映像を拝見しながら説明を聞きましたが、360°フルスクリーンの迫力ある映像で良い体験をさせていただきました。

 祭りの主役となるのは、それぞれの役割を担った町民の皆さんで、綱引きを通じて、人と人をつなぐ場としての役割を担うと供に、次の世代に与那原町の歴史をつなぐ場としての役割を果たしていました。

 照屋町長と城間副町長はじめ職員の皆さんには、大変お忙しい中、脱炭素に向けた取り組みを中心に、440年余の歴史がある「与那原大綱曳」まで、親切丁寧にご説明いただき感謝申し上げます。

 2箇所目の視察は、昼食を途中で取り、恩納村役場に向かいました。予定の時間より早く着きましたので、恩納村の高さ20メートルの琉球石灰岩の断崖とその上に広がる芝生の公園の万座毛に寄りました。

 琉球王、尚敬が「万人が座するに足る毛(野原)」として賞賛し、名前がついたと言われていて、琉球石灰岩の台地の上には、天然の芝が広がり、その周りの植物群落は、県の天然記念物に指定されている通りとても綺麗で雄大な景色でした。

 その後、恩納村役場に午後1時25分に着きますと、長浜村長はじめ職員の皆さんが出迎えていただき、村長室まで伺う間に全員の職員の皆さんから歓迎の拍手をいただき感銘しました。


 長浜村長から、恩納村の地形や観光客が年間400万人も訪れる観光等の村の概要、長野県川上村との「シンカプロジェクト」の経緯、農業や水産業の現状など歓迎の挨拶を頂戴しました。

 東筑摩郡村長会の会長として、私から、視察研修のご対応に御礼を申し上げ、東筑摩郡の歴史と農業が基幹産業である各村の特産品の紹介、長野県町村会のことなどの御礼の挨拶をさせていただきました。

 続いて、農林水産課 平安名課長達から説明していただきました。恩納村は沖縄本島のほぼ中央部西海岸側に位置し、面積が50.84㎢と広く海岸線は約46㎞と長く、移住者が多く、人口は11,275人と増え続け、住宅地価格が29%も上昇し日本一になったとのことでした。

 農林水産業費は、令和6年度一般会計当初予算に占める割合は10.92%であり、農業部門では、小菊・パッションフルーツ・ドラセナ・アテモヤ・観葉鉢物が沖縄県の拠点産地に認定されていて、作物別経営体では、花卉類・花木が141経営体と最も多く、県全体の1割強を占めていて、さとうきび・野菜・果樹類も栽培しているとのことでした。

 水産部門では、サンゴ礁海域を主な漁場としており、モズクなどの海藻養殖を主力として発展し、沖縄県の拠点産地に認定されているモズク、海ぶどう(クビレタス)、アーサ(ヒトエグサ)についてはブランド化に力を入れるとともに、資源管理型漁業の安定継続を目指していました。
 
 シンカプロジェクトとは レタスの一大産地の長野県川上村より、レタスの栽培技術指導を受け、恩納村で産地化を目指し、恩納村内のホテルや飲食店へ出荷し地産地消も推進していき、「シンカ」とは沖縄の方言で「仲間」を意味する「シンカヌチャー」から由来されています。

 シンカプロジェクトの始まりとして、恩納村の夏は亜熱帯気候で暑く、レタス栽培には適さない気候ですが、冬の気温は20℃前後と川上村の夏と似ていて、この温暖な気候と自然豊かな大地のもとで、川上村の長く培った野菜栽培技術を活用してレタス栽培に取り組むプロジェクトでした。

 シンカプロジェクトの役割は、村内のリゾートホテルや観光客の皆さんに地元産の安全・安心はおいしい新鮮野菜を提供し、若い農業者が定着し、遊休農地の有効活用を図っていきたいとして取り組み始めました。
 平成27年度に始まり、川上村の規格に適用できる農家が平成30年度に半減してしまいましたが、コロナ禍開けには2名の農家になってしまいましたが、収穫は当初より多くなって、大規模化になったとのことでした。

 レタス栽培の課題として、恩納村では栽培を行う上で北風の影響大きいことが分かり、圃場によっては、風速20~30mが2日間続き、潮風による影響でレタスの外葉が枯死してしまう現象が続いたとのことでした。

 また、冬になると「タイワンシロガシラ」という鳥がレタスをエサにして圃場に現れて、定食直後の苗から出荷前のレタスまで食害を発生させるほか、糞の付着など様々な害が発生していて、主な有効策として防鳥ネットを設置してもらっているが、強風の影響で設置後に破れることも多く、対策に苦慮しているとのことでした。

 出荷は、おんなの駅なかゆくい市場を通して「シンカレタス」として販売していて、シェフのレタスに対する評価は高いが、ホテルの購買担当がカット加工され消毒洗浄されたレタスを求めていることが分かり、当工場がなく大きな壁となっている。

 シンカプロジェクトの今後取り組みとして、販売体制の構築、安定供給体制の構築、生産者の増加の3点を改善できる取組を検討していくことが必要で、村内でも土質が違い栽培に苦慮されているなど、課題は多いとのことで、長野県の大規模な産地とは違い、ご苦労されているなどの話をさせていただきました。

 実際圃場に案内されて行きましたが、何筆かを集約した圃場でも面積は狭く、粘土土で水はけが悪く、定植する準備ができていない状況でした。

 定植後「タイワンシロガシラ」の防鳥ネットを設置して作業を行うとのことで、消毒や出荷作業などネットの下で行うことは効率も悪く、大型機械の導入もできず大変だと感じました。

 でも、栽培をされている農家の方は、明るい顔で説明していただき、農業に対して前向きな姿勢に感心しましたし、どうにか長野県川上村からご指導いただいているレタスが、沖縄県で沢山消費していただければと感じました。

 長浜村長はじめ職員各位には、お忙しい中温かく出迎えていただき、丁寧親切にご説明いただき御礼申し上げますとともに、有意義な視察研修になりましたことに感謝申し上げます。

△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めの朝霧の中から朝日が差してきた草尾上野ぶどう畑上空から風景です。
草尾上野ぶどう畑上空からの風景


 本日生坂村では、小学校でクラブ、中学校で振替休日などが行われました。


 上生坂上空からの風景&東筑摩郡村長会視察研修

2024年09月29日 | 私の活動報告
 9月29日(日)は雲が広りスッキリしない空で、朝晩は過ごしやすくても、昼間はジメジメと暑くなりました。

△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めの朝霧が立ち込めていた上生坂上空から風景です。
上生坂上空からの風景


 本日は朝4時45分に我が家を出発し、羽田空港には9時頃に着いて、11時35分発のANA471便に乗り、羽田空港の混雑で30分ほど遅れて14時40分頃に那覇空港に着きました。


 そしてさっそく首里城に向かい、令和元年10月31日未明火災に見舞われ、同年12月16日に視察した私は、復元がどの様に進んでいるか皆で視察しました。

 まず、首里城公園のインフォメーションセンターである首里杜館に行き、総合案内をしていただける方をお願いして出発しました。ここには、情報展示室のほか、レストランや売店などがあり、首里城に関する情報を学んだり、ゆっくりと休憩したり出来ます。

 次に、エレガントな外観が美しい守礼門に行き説明を受けました。「守礼」とは、「礼節を守る」という意味が込められている言葉で、「琉球は礼節を大切にする国である」というメッセージが詰まった門なのです。
 中国風の建築デザインも豪華で美麗な門の前で記念撮影をしました。


 園比屋武御嶽石門は、琉球の石造建造物の代表的なものであり、1933年国宝に指定されましたが、沖縄戦で一部破壊され、1957年に復元されました。現在は、国指定重要文化財となっていて、2000年には世界遺産へ登録されました。



 歓会門は、首里城の城郭に入る前の最初の正門で、「歓会」には「歓迎する」という意味があり、創建は、1477年~1500年頃。沖縄戦で焼失したものを1974年に復元しました。
 魔除けのために、一対のシーサーが設置されているところも見どころです。
 次に向かったのは、「立派な泉」という意味が込められた端泉門です。石造かつアーチ状の歓会門とは異なり、門の上に直接やぐらが乗っています。これは日本本土でもよく散見される建築様式ですが、やぐらの中央にある扁額が琉球らしさを醸し出していました。


 続いて、「福を行き渡らせる」という意味がある広福門に向かいました。建物全体が門になっており、これは首里城の城門における特徴でもあります。非常に眺めがよい場所に設置されているため、龍潭の池・円覚寺の総門・虎瀬山などが見下ろせるところも注目です。


 奉神門は、首里城正殿がある「御庭」に入るまでの最後の門です。1562年以前に建設されたと考えられており、現在は首里城公園を管理する改札所として利用されていました。

 火災の影響を受けながらも奇跡的に立っていた大龍柱。補修作業のため台座から取り外し、仮設補修作業場へ移動して大龍柱の本格的な補修作業が行われました。補修された大龍柱は、新しい令和の大龍柱の見本として活用するまでの約2年間、下之御庭の補修作業場で公開しています。


 続いて、復元工事をおこなっている今しか見られない復元工事エリアに向かいました。職人たちが木材の加工などをおこなう「木材倉庫・原寸場見学エリア」で、補修が完了した「大龍柱補修展示室」などが見学できました。大型モニターでは、大龍柱の補修の様子を映像で視聴可能でした。


 建築中の正殿を雨風や埃から守るための建物「素屋根」です。この素屋根の中に、工事の様子を間近で見られる見学エリアを設けて、正殿にあわせて3階建てとなっている見学エリアからは、復元工事の様子を臨場感たっぷりに視察できました。


 復興工事についてもっと詳しい情報を学べるのが、復興展示室です。2020年10月にオープンし、火災時の残存物や、残った瓦を使った屋根などを展示しています。VTR「首里城 復興へのあゆみ」を放映しているほか、解説パネルや実際の素材といった展示物も充実していました。






 国王の家族などが居住していた、御内原の中にある世誇殿。琉球王朝時代に即位の儀礼がおこなわれていた部屋です。2019年に外観が復元されました。現在は休憩スペースで、琉球王国の歴史と首里城正殿跡の魅力について学べる映像資料を18面モニターで放映していました。


 今後の復元予定として、2026年秋の正殿完成を目標に作業が進められていました。
 その際には、正殿内部にて、2022年の公開以来、二度目の一般公開がなされるとのことで、現在も、2026年に完成予定の正殿の復元作業が行われている現場や復元過程は一般公開されていました。



 本日生坂村では、しべつあきあじまつりに出展、リビング・ウィル講演会などが行われました。


第55回かしわ祭&小舟集落の曼珠沙華の風景

2024年09月28日 | 生坂村の催し
 9月28日(土)は日差しの少し届きましたが、雲が優勢の空でも、昼間は少し汗ばむ体感でした。

 午前8時30分からの第55回かしわ祭は、オープニングセレモニーとして、生坂龍翔太鼓の演奏発表がありました。

 春から講師の白澤さん、宮入さんの指導のもと、一生懸命に練習を重ねてきて、みんなで力を合わせて演奏され、「生坂」は「ドンコ・ドンコ」に乗ってリズミカルに叩いていました。






 「龍翔」は「サントコ・ドッコイ」の下打ちに大太鼓、中太鼓の上打ちの音が重厚で、龍が山清路の岩を砕く回転打ちが素晴らしく、全力で迫力のある演奏をしていただき、心に響き感動して、皆さん大きな拍手を贈っていました。







 開祭式は、なかなかアイデアを出さないなかで、かしわ祭が行えるかの葛藤が伺えましたが、皆で助け合ってかしわ祭を盛り上げていこうという思いが一つになり、そして「かしわ祭」の開会が宣言されました。



 そして、皆で力を合わせて作り上げたステージバックが披露され、ステージバックの作成の説明を聞き、一生懸命に作成した素晴らしいステージバックに感心しました。

 今年のスローガンは、「開花~33の花になれ~」です。このスローガンはそれぞれの色や形の花を咲かせ、33人が自分の持っている才能を開花できるような「かしわ祭」するという思いを込めているとのことでした。

 私からは、今年度も伝統ある「第55回かしわ祭」が開催され、私が中学2年生の時に始まり、私の時は同級生が80人いましたが、生徒数が減少してもかしわ祭を継承し、生坂龍翔太鼓は、平成元年に村おこしの一環で出来、白澤さんと私だけが最初からのメンバーになってしまいましたが、かしわ祭のように継承していくことが大事であると考えます。

 今後、世界に羽ばたく方、生坂村のために働く方などそれぞれの道に進みますが、今回のかしわ祭のために頑張ってきた取組は、これからの人生に役に立つと思いますし、見事に開花して素晴らしいかしわ祭になりますことを願っておりますなどの挨拶をさせていただきました。

 Ikusaka学の発表では、生坂龍翔太鼓の他に「食」をテーマに、生坂の伝統や食材を生かした新たなメニュー開発や提案をしていただきました。



 おやき、フルーツサンド、おからドーナツグループの3つのグループに分かれて、材料や調理法を工夫して、試行錯誤を繰り返してきた途中経過を発表していただきました。


 次に「新・再発見」グループでは、生坂の豊かな自然からものを作り上げたり、たくさんの生き物について調べたりしました。



 実際に生坂村の様々な場所を散策し、気づいたこともたくさんあり、この発表で生坂村の魅力を伝えていただきました。


 それぞれの発表は、4月から生坂村のことを考え、一生懸命に取り組んできた学習の成果が感じられ、先生方や村民の皆さんのご指導にも感謝の気持ちが伝わり、素晴らしい発表内容だと感じました。


 私はIkusaka学の発表で失礼しましたが、生徒会企画と午後の音楽会のプログラムも良かったのではと思いました。



 休憩中に、かしわ祭のポスター展示や教科展示を拝見しましたが、体育館と多目的室に全校の作品が展示されていて、4月からそれぞれに取り組んできた成果が伺えました。




 今年度も歴史と伝統ある「かしわ祭」を、しっかり継承して開催された生徒達と、ご指導をいただいた先生方、村民の皆さんなど関係各位に感謝を申し上げます。




小舟集落の曼珠沙華の風景
△▽ 毎朝恒例の撮影は、ほぼ満開になっていた小舟集落の曼珠沙華の2回目を撮影しました。






信濃十名勝「山清路」の風景&長野県町村会先進地視察3日目

2024年09月27日 | 私の活動報告
 9月27日(金)は雲が目立つ空で昼間は暑くても、朝晩は過ごしやすい体感でした。

信濃十名勝「山清路」の風景
△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めした大きな奇岩と犀川の流れの山清路の風景です。


 長野県町村会視察研修3日目は、宿泊したホテルの近くの二条市場に行きました。

 明治初期、石狩浜の漁師が新鮮な魚を売り始めたことがきっかけで開設されたと言われる「札幌二条市場」です。かつては創成川の対岸、西1丁目から東2丁目にかけて、ずらりと市場が並び、次第に青果店や居酒屋などが集まり現在のかたちとなりました。

 現在も市民の台所として愛され続けていますが、マチナカという立地の良さもあって、北海道土産を求める観光客や旅行者で賑わっていました。

 四方を海で囲まれた北海道は、海の幸の宝庫で、道都である札幌には、北海道の各地から新鮮な魚介がここに集まってきています。
 現在、二条市場には約15店舗ほどの水産会社や鮮魚店が立ち並び、その日仕入れた活きの良い魚介を販売していました。カニにホッケ、ホタテなど海産物が並ぶ様は目にも鮮やかで、店舗ごとに扱う種類も異なり、見くらべて歩くのも楽しみのひとつでした。

 札幌二条市場と言えば、海鮮と思われがちですが、市場内には野菜や果物を扱う店もあり、北海道の特産品・メロンをはじめ、豊かな地で育ったブドウやリンゴなど、いずれも美味しそうでした。

 帰りは、早めに新千歳空港に行き、そのお陰で、環境省の課長とも脱炭素先行地域づくりの件について要望が出来、お土産も買えて良かったです。そして、FDA216便 14:55発に乗り、16時35分頃に着き、役場には1時間後に行けて、決済や打合せをすることが出来ました。近くに空港があることは、帰ってから一仕事出来て良いなあと思いました。

 長野県町村会先進地視察は、羽田会長はじめ役員の皆さん、事務局の皆さんにはお世話になり、素晴らしい施設や取組等を研修でき、有意義な先進地視察になりましたことに感謝申し上げます。

 本日生坂村では、小学校で6年生中学校見学、中学校でかしわ祭前日集会・前日練習・準備・体育祭(6年生参加)、せせらぎ公園作業、生坂村農業公社理事会、例月出納検査、教育委員会定例会などが行われました。




グリーンパークブリッジ周辺からの風景&長野県町村会先進地視察2日目

2024年09月26日 | 私の活動報告
 9月26日(木)は晴れて、日差しがたっぷりと降り注ぎ、昼間は気温が上昇し、汗をかく夏の暑さが戻りました。

グリーンパークブリッジ周辺からの風景
△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めの朝日が差してきたグリーンパークブリッジ周辺からの風景です。


 長野県町村会先進地視察2日目は、ホテルを午前9時15分に出発し、余市町に伺いました。余市町の先進地視察として、齊藤町長はじめ橋端課長や職員の皆さんにご対応をいただきました。

 最初に我が長野県町村会羽田会長から、視察対応に対しての御礼や、23町35村の長野県、ワインバレー構想の話などの挨拶をされて、北澤次長から出席者の紹介をしていただきました。

 次に齊藤町長から北海道179市町村で後志総合振興局内で20市町村であり、フルーツ栽培が盛んでリンゴからぶどうに転換され、果物栽培がとても盛んであるなどの歓迎の挨拶をいただき、続いて余市町の産業振興について説明していただきました。

 齊藤町長は外務省に入省され、在ロシア日本国大使館など、内閣総理大臣官邸国際広報室、北海道天塩町副町長の後、余市町長になり、現在2期目でした。
 余市町は明治時代からにしん漁で栄え、肥料として使い農業を行い、当時のにしん御殿は、銀座三越と同じくらいの価値があったとのことでしたが、にしんが獲れなくなってきて、リンゴの商業産業として取り組み始めました。

 しかし、リンゴも青森県に抜かれ、リンゴからぶどうとワイン用ぶどうに変わってきました。1974年に最初のワイナリーが出来てから、36年後の2010年に2件目のワイナリーが出来、今は19件になっているとのことでした。
 それは、ワイン特区を取得したこともありますが、長野県小布施ワイナリー次男の曽我貴彦さんが行った研修制度で、家族で移住してきた門下生達が独立して増えてきたとのことでした。

 町長として6年目になり、産業振興には、戦略策定と資金、外交の3本を考えて取り組んできて、町の税収は約16%であり、全国平均は約35%ですが、北海道後志総合振興局では、4番目の自主財源比率であり、多くが当地区では3~4%とのことでした。

 信州ワインバレー構想の長野県の予算付けは、独自ブランディングが出来て素晴らしいと言われ、当町はドイツ系ワイン用ぶどうから、人気のあるシャルドネとピノ・ノワールに植え替えると1.5倍の補助を出し、栽培農家の意見は二つに分かれたとのことでした。

 デンマークコペンハーゲンに視察に行く機会があり、食事の傾向を考え、世界のベストレストランの「ノーマ」に飛び込みで余市ワインを売り込みいき、見事に気に入られ、6年前定価4,000円のワインが、プレミアが付いて、9,000円だったワインが、今では90,000円になっていて、なかなか手に入らす、ふるさと納税は10億円近くになり、その内ワインは3割ほど占めているとのことでした。

 人財戦略では、地域おこし協力隊として、マスターソムリエの方などを雇い、オーストリアのリーデル社と日本で初めて連携協定するなどマーケティングを屈指してきて、ワイン産業は観光、建設など裾野が広く、人口減少の状況に地域に富を蓄積して、持続可能な町にしたいとのことでした。
 その他にも様々なお話をお聞きし、我々とも担い手の確保や農業所得の向上等の農業問題、6次産業化、地方創生、外国からの参入などの意見交換をし、とても勉強になる研修ができましたことに感謝を申し上げます。


 余市町は日本のウイスキーの父と呼ばれるニッカウヰスキー創業者「竹鶴政孝氏」が、第一の蒸溜所建設の地として選びました。日本のスコットランドと称される気候と豊かな自然の中、創業時と変わらない伝統の技を今に受け継ぎ、力強く重厚なモルト原酒をつくりつづけて90年になるとのことでした。

 普段は見学コースになっていない、余市蒸溜所正門の2階会議室に招いていただき、机も椅子もガラス等の当時のままで、歴史を感じる趣のある室内は別世界のようでした。

  2022年2月、キルン塔(第一乾燥塔)をはじめとする複数の施設が、日本のウイスキー産業発展におけるかけがえのない歴史的資産として認められ、重要文化財に指定されました。

 発芽した大麦をピートでいぶしながら乾燥させ、麦芽をつくる施設の乾燥塔(キルン塔)は、今は使用していませんが、いぶした臭いが感じられました。

 もろみをポットスチルと呼ばれる単式蒸溜器で2回蒸溜し、余市蒸溜所では伝統的な石炭直火蒸溜により、力強く重厚なモルトウイスキーがつくられていました。


 創業者・竹鶴政孝氏の執務室として1934年7月に建てられ、ニッカウヰスキーの原点となった旧事務所の看板の「大日本果汁株式会社」の日本の「ニ」と果汁の「カ」を取って、「ニッカ」と付けたとのことです。

 竹鶴政孝氏がリタ夫人と暮らした余市町の郊外山田町の住居を、2002年に移築し、和洋折衷のスタイルは夫妻の生活様式を反映していました。特別に室内も案内していただき、お二人の生活の様子をお聞きし、記念撮影をさせていただきました。


 創業時に建てられた貯蔵庫のある場所は、元は余市川の中洲で、床は土のままで適度な湿度が保てるよう、また、外壁は石づくりで夏でも冷気が保てるように設計されていました。

 ニッカミュージアムは、ウイスキーづくりの時間の流れをブレンダーに焦点を当ててご紹介するコーナーや、ニッカウヰスキーを代表する4つのブランドに関する展示を通して、ニッカウヰスキーの魅力に触れていただくことのできる見学施設でした。
 テイスティング・バーは、蒸溜所限定商品を含むニッカウヰスキーの様々なおいしさをお楽しみいただけるコーナーでした。

 スペース中央に実際のポットスチル(蒸溜器)を配し、蒸溜から長い年月の貯蔵を経て生まれるウイスキーの時の流れに想いを馳せながら楽しめる空間演出を施していました。

 工場長さんはじめ関係の皆さんには、普段視察出来ない場所までご案内いただき、丁寧に詳しくご説明いただき、ニッカウィスキーの創業者・竹鶴政孝氏の足跡と伝統の味を継承している技術などを研修でき感謝申し上げます。

 2日目の最後は、広大な牧草地で羊たちが草を食む、北海道らしい牧歌的な風景が広がり、眼下には石狩平野の雄大な景色を一望できます「さっぽろ羊ヶ丘公園」に行き、1976年、ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ、大志を抱け)の言葉で有名な北海道開拓の父「ウィリアム・スミス・クラーク博士の立像の前で記念撮影をしました。

 本日生坂村では、小学校でイクサカラットリンタイム・金管練習、中学校でかしわ祭準備45分短縮特別日程③・放課後リハーサル(生徒会)、乳幼児お下がり会、健康応援隊in小立野、民生児童委員協議会定例会などが行われました。



日岐と小舟上空からの風景&長野県町村会役員会及び先進地視察

2024年09月25日 | 私の活動報告
 9月25日(水)は日差しが届いて、朝晩は涼しくなりましたが、昼間は暑く感じられました。
△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、青空が広がり朝日が差してきた日岐と小舟上空からの風景を撮影しました。
日岐と小舟上空からの風景


 本日は朝7時20分に我が家を出発し、信州まつもと空港には1時間弱で着いて、9時20分発のFDA211便に乗り、11時ちょっと前には新千歳空港に着きました。


 さっそく札幌からのアクセスが良い人気の観光地、小樽市に向かいました。石造り倉庫やガス灯などレトロで趣のある小樽運河、旧銀行街など文化財に指定された歴史的建造物が多く、情緒ある街並みが人々を魅了しています。


 江戸時代から北前船が寄港する漁村で、明治時代に入り、ニシン漁による繁栄で小樽経済の基盤を築きました。


 小樽市鰊御殿は、1897年(明治30年)積丹の泊村に建てられ1958年(昭和33年)に現在地へ移築復元したものです。 移築後の1960年(昭和35年)には「北海道有形文化財ニシン漁場建築」として、文化財に指定されました。 明治時代の原型をとどめており、華やかな往時を偲ぶ貴重な鰊漁場建築です。


 小樽運河は、大正12年に完成、北海道の開拓を支えた港湾都市「小樽」の海運を支えた水路で、水路に沿って昔ながらの倉庫が立ち並ぶ、歴史ある場所です。運河としての役割を終え、昭和61年に一部埋め立てを行い、散策路や街園が整備された現在の姿となりました。


 運河沿いの散策路には63基のガス灯が設置され、夕暮れ時には運河や石造りの倉庫がライトアップ、日中とはまた違った雰囲気を味わうことができます。


 小樽のメインストリート「堺町通り」は、レンガや石造りの歴史ある建物や古民家が、商業施設としてリノベーションされた、街歩きがとても楽しいエリアです。

 北海道ならではの美味しいスイーツや小樽らしい雑貨など、ショッピングやお土産探しにもうってつけの場所で、歴史とロマンの感じられる堺町通りは、小樽に来たならマストで訪れたい場所です。ノスタルジックな雰囲気を味わいながら、時間の許すかぎりショッピングを楽しみましょう。

 北一ガラスは、小樽運河から少し南にあるガラスショップ。オリジナルガラス製品のほか、石油ランプや酒類も販売しており、小樽で人気の観光スポットのひとつとなっています。 重厚な石造りの倉庫は、1891年(明治24)に漁業用倉庫として建てられた歴史あるものです。


 当時、北海道の家庭のあかりは電気ではなくガラス製の石油ランプが主流で、ガラス工場では、ガラスくずを使用してランプを覆う筒のほか、瓶や金魚鉢などの家庭用雑器が生産されました。

 また江戸後期から大正時代まで、北海道の一大産業だったニシン漁に使うために開発された「ガラス製の浮き玉」を中心にガラス製品の製造が発展していきました。その後、電気の普及やニシン漁の衰退などで、その需要は減少傾向になりました。

 小樽市は平日にも関わらず、多くの観光客で賑わっていました。インバウンドの外国人も多く、ガラス製品を見たり、お菓子を購入したり、ソフトクリームを食べたりとそれぞれ楽しんでいました。

 午後3時からは、長野県町村会10月役員会を開催し、第39回定期総会提出議題の決議(案)について、長野県市町村職員共済組合の議員等候補者の推薦について、11月役員会の日程(県への要望運動含む)について、12月役員会の日程について協議をしました。

 報告事項として、令和6年度災害共済関係事業の加入推進運動について、長野県自治体労働組合からの要請について、令和6年度市町村振興宝くじ(サマージャンボ)の販売実績等について説明を受け協議しました。

 本日生坂村では、小学校で教育課程、中学校でかしわ祭準備45分短縮特別日程②、標津町訪問事前検診(2年13:30~)・下校15:10、おじさま倶楽部役員会、議会だより編集委員会、高津屋森林公園役員会などが行われました。


ゼロカーボン推進プロジェクト会議&知恵の輪委員会

2024年09月24日 | 生坂村の会議
 9月24日(火)午後1時30分からは、ゼロカーボン推進プロジェクト会議を開催しました。

 最初に私から、9月21日から(株)いくさかてらすに田村君が正式に入社して、今日から村民の皆さんに対して、個別のお問い合わせに対応する様に進めてまいります。17日には(株)いくさかてらすの取締役会を開催しまして、色々な件について協議し方向性も決まってまいりました。今日もその内容を説明させて頂いて、情報の共有を図りたいと思います。

 多くの事業を実施していますので、中々分かりかねるところもあるかと思いますが、その都度しっかり協議して皆さんと情報共有しながら、この脱炭素先行地域づくり事業を進めていきたいと思います。

 PPA事業関係は平林建設(株)の方で進めていまして、そのスケジュールも今日報告をして頂きますし、契約等も徐々に進めて、契約数を多く取らなければ、(株)いくさかてらすの経営が順調にいかないという事ですので、皆様からご意見を頂いて進めていきたいと思います。

 また、EVシェアの関係も方向付けをしなければなりません。1世帯で2台くらい自動車を所有している当村の実情で、どのようにEVシェアを村民の皆さんに利用して頂くかも考えていかなければなりません。まだ色々な検討事項がありますので、この会議でしっかり決めていきたいと思いますのでよろしくお願いしますなど挨拶をさせていただきました。

 協議事項
1.(株)いくさかてらすに係る諸報告
(株)いくさかてらすの事業実施体制、PPA供給までの流れ、スケジュールについて説明がありました。
主な意見と質問の概要は、
 PPA供給は民家をどの様にしていくか質問があり、民家は状況をみて対応していくと説明がありました。
その際契約について1回で終わるように調整していけば良いのではと意見がありました。

2.公用車EVシェアリングについて
 EVシェアリング運営体制、EVシェアリングの普及についての生坂村の状況とEVシェアリングについて、普及促進案について、施策の検討方法、EV活用アイディアについて説明がありました。
主な意見と質問の概要は、
 次回の会議までにEV車の事業所への貸し付けについて詳細を調べ報告する様に意見がありました。

3.ソーラーカーポートについて
 ソーラーカーポートの概要、ソーラーカーポートの事業化について説明がありました。
 主な意見と質問の概要は、
 環境省と設置内容等を詳細に調整し報告するように意見がありました。
4.その他
 令和6年9月から令和7年1月までのPPA事業の工程について、自営線マイクログリッド構築事業について説明がありました。
意見質問はありませんでした。


 午後3時30分からの知恵の輪委員会を開催し、最初に私から、第3期生坂村まち・ひと・しごと創生総合戦略を策定するために、第2期のKPI達成は、順調にいっている案件やなかなか難しい案件もあり、それを加味していかなければなりませんし、村民アンケートも行って、その結果も反映させて策定したいと考えております。

 また、生坂村第6次総合計画といくさか村づくり計画との整合性をもつことと、大きな脱炭素先行地域づくり事業を記載していかなければならないなど、村政の現状に合わせて策定するために各部署で協議をしていただき、村民の皆さんのために実効性のある生坂村まち・ひと・しごと創生総合戦略を策定するために、この知恵の輪委員会でもしっかりと協議をしていただきたいなどと挨拶させていただきました。

協議事項
・生坂村まち・ひと・しごと創生総合戦略について
・生坂村まち・ひと・しごと創生総合戦略の策定作業の依頼
 村の総合戦略を更新するにあたり、生坂村総合戦略のKPI達成状況一覧等を参考に、現行戦略の記述に、それぞれ担当課にて、見直すべき点を書き加えていただきますようお願いしました。

 総合戦略に関するアンケート調査の実施については、高校生以上の全ての皆さんを対象に実施し、ご本人が記入できない場合は、ご家族の方などがご本人のお考えを聞きながらご記入いただく様にお願いする予定です。

 設問では、肯定的な考えと否定的な考えの両方を併記しては如何かという意見がありました。
 各部署では、総合戦略の施策項目以外でも、村民運動会や脱炭素などの設問を挙げていただくことにしました。



生坂農業未来創りプロジェクト会議&大日向上空からの風景

2024年09月24日 | 生坂村の会議
 9月24日(火)は日差しが届いて穏やかな空が広がり、朝晩は涼しく、昼間も過ごしやすい体感でした。

 午前10時からの生坂農業未来創りプロジェクト会議は、最初に私から、今月は3連休が2回あり、15日と22日にはJA松本ハイランドの山清路ぶどう即売会を盛大に行って頂きましたし、道の駅いくさかの郷の直売所もかあさん家も多くのお客様にお越し頂いて、記録的な売り上げが達成できまして、昨日の時点で昨年の9月の売り上げを越したという事でございます。

 生産者組合の正副組合長さんやJAの皆さん、ここにいる皆さん何人もお手伝いに来て頂き感謝を申し上げる次第です。村の関係の皆さんで多くのお客様を迎い入れないと、普段は人員的に少ないいくさかの郷ですので、この時期は皆で力を合わせて対応して頂いている事に御礼を申し上げる次第でございます。

 また、21日~22日には首都圏を中心に、12組23名のお客様が、農泊体験ツアーで、秋の農業体験をして頂きながら生坂村の秋を満喫して帰って頂きました。天気が心配されましたが稲刈りも出来ましたし、次の日はそば打ち体験と、急に村松さんにお願いしてぶどう園を見せて頂いてぶどうも購入できて、皆さんは大変喜んで帰られました。

 今後、秋は色々なイベントがありまして、週末に標津町の「あきあじまつり」に行きますし、この会の視察研修、ハンガリーフェスティバル、当然村最大のイベントであります「赤とんぼフェスティバル」もございます。
色々なイベントが続きますが引き続き皆様にご理解とご協力をお願いして、しっかり生坂村を盛り上げていきたいと思いますのでよろしくお願いしますなどの挨拶をさせて頂きました。

協議事項
  • 道の駅いくさかの郷について
直売所
 7月の収支は歳入が4,515,109円、歳出が4,597,765円で△82,656円だった。これは売り上げが前年に比較して落ちた事と、支出では備品購入費で大きな金庫を購入した事による。
8月の売り上げは8,823,851円で昨年に比較して111.7%、来客数が7,043人で113.5%になった。ハウスぶどう、夏野菜の出荷が始まり順調に売り上げが伸びた。
 9月は昨日で前年対比101%となった。残り7日を残し前年度の売り上げを超えたし、客数も伸びている。午後の時間帯もお客様が増えてきている。
 急激にお客様が増え需要に供給が追い付かなくなっており今後の課題となっている。また、10月8日に全国放送で道の駅いくさかの郷が紹介される予定なのでお客が増えることが予想されると説明がありました。

かあさん家
 8月の売り上げは、食堂1,616,066円、来客数が1,797名、おやき販売1,761,650円来客者数1,537名直売所2,898,890円で合計が6,276,606円で昨年度と比較して155,991円の増となった。食堂が前年を上回っている。おやきは昨年度の売り上げに及なかったが、全体で前年を上回っている。
 
主な意見と質問、その回答の内容は、
・ぶどうの供給が追い付かなくなることを利用して、品薄状況を打ち出して販売を行う事も検討すればどうかと意見がありました。
・出荷者としては売れ残りが心配なので、なくなった時に生産者に連絡はできないか質問があり、LINE等で対応できるように試行していると説明しました。
・10月の葡萄の出荷予定について質問があり、10月20日までブドウ部屋を行いたい。また、今後の状況を確認して対応していきたいと説明しました。
・ぶどうは日持ちが良いので、来客が多い日は前日から用意すればどうか意見があり、生産者と調整して行っていきたいと説明しました。
・ぶどうの売れ筋について質問があり、今年の傾向は贈答用の需要が伸びている。種類はナガノパープル、シャインマスカット、赤系のぶどうが良く売れていると説明しました。

  • 農山漁村振興交付金(農泊推進対策)について
〇秋のいくさか農泊体験ツアー
9月21日(土)・22日(日)に行い参加者23名
〇標津町あきあじ祭り出展
 9月28日(土)~30日(月)に標津町で行われ、生坂村からシャインマスカットや特産品を販売し村のPR活動を行う。
〇ハンガリーフェスティバル2024出展について
 10月26日(土)に東京都で行われ、道の駅いくさかの郷で販売しているハンガリー商品や村の特産品を販売する。
以上のような説明を行いました。
意見と質問はありませんでした。

  • 農山漁村振興交付金(最適土地利用総合対策)について
・地域ぐるみの話し合いの状況について、4月9日(火)から8月30日(金)まで34カ所で行った地区の内容について、また、地域計画で新たにまとまった地区の、下生野平・池沢の地域における農業の将来のあり方について説明を行いました。

令和6年度最適土地利用総合対策事業視察研修について
〇目的 
生坂村では農地の集約化等に向けた取り組みを加速させるため、農地の利用集積・集約化に関する実態調査を行い、地域に合った農地の保全や体制づくりを推進するため視察研修を実施する。
〇実施日
 令和6年10月24日(木)~25日(金)
〇視察先
  • 愛知県恵那市及び有限会社東野
  • 道の駅そばの郷 らっせいみさと
  • 岐阜県下呂農林事務所及び有限会社すがたらいす
  • 道の駅飛騨金山ぬく森の里温泉
〇視察報告書の提出について
 以上のように視察内容について説明を行いました。

主な意見と質問、その回答内容は、
・集約化について可能なのか質問があり、集団化して耕作している個所は集約しやすい。耕作条件が不利な農地は集団化については難しいと説明しました。
・農地を借りたい方はどのようにすればいいのか質問があり、農地を借りたい方は農業委員に相談して欲しいと説明しました。

  • その他
 今年の米の出荷はカメムシが大発生し2等が増えていると説明がありました。また、JA松本ハイランド生坂支所営農関連スケジュールで9月26日(木)の地元保育園への農産物寄贈食育活動から10月15日(火)生坂支所総代会の日程について説明を行いました。



大日向上空からの風景
△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、大日向北平の高台に行き、雲が多めの上空からの風景を撮影しました。

 その他生坂村では、中学校でかしわ祭準備45分短縮特別日程①、放課後リハーサル(吹奏楽部)、ゼロカーボン推進プロジェクト会議、知恵の輪委員会、6班の皆さんの元気塾などが行われました。

スカイスポーツ公園上空からの風景&我が家の草取り

2024年09月23日 | 生坂村の風景
 9月23日(月)は天気が回復して、朝晩は過ごしやすく、昼間は暑くても少し乾いた風に秋を感じられました。

△▽ 毎朝恒例の撮影は、久しぶりにスカイスポーツ公園に上がり、下界に朝霧が立ち込めていた上空からの風景を撮影しました。
スカイスポーツ公園上空からの風景


 スカイスポーツ公園は、昭和60年の台風6号豪雨で生坂村の総雨量は139mmに達し、ここ大倉地籍では山頂から犀川まで約5haの大規模な地すべりが発生した場所です。

 この地すべり地区という暗いイメージを一層するため、同地は上昇気流が発生しやすいことを利用し、パラグライダーができるスカイスポーツ公園として利用しています。

 今朝は、パラグライダーのフライトができない無風でしたので、ドローンを飛ばすにはちょうど良い天気でした。朝霧が立ち込めていましたが360度の眺望を楽しめて良かったです。

 当村は昨年3月から、スカイスポーツ公園内にライブカメラを設置し、当村ホームページの特設ページから園内や上生坂を昼夜問わずリアルタイムで見ることができます。

 ドローンの写真ほど高度はありませんが、公園敷地北東側の斜面近くに2基設けて、村の風光明媚な風景のPRと村中心部や公園の防災・防犯などにも役立てています。

 1つは園内の敷地を南向きに広く捉える定点観測用で、パラグライダー愛好家が映り込む吹き流しで風向きや風速を知ることができ、真っ暗な夜間も人の有無を判別できる高感度性能を持っています。

 もう1つは40倍光学ズームレンズを搭載したカメラで、向きも役場側からの遠隔操作で360度任意に変えらます。いずれも常時12時間映像をさかのぼることができます。

 今日も道の駅いくさかの郷は、朝早くから並んでいただきましたが、多くの皆さんにお手伝いをしていただき、レジや発送のところはそんなに混雑しなかったと思いました。
 私は毎朝恒例の撮影とSNSの発信を済ませた後、妻と一緒に残っていた庭の草取りをしました。スギナやヨモギ、クローバーなどが伸びていて、今年最後の草取りになれば良いと思いながら雑草を取りました。


 お昼まで4時間近く草取りをしてほぼ終了し、庭木を見ると今年は生坂シルバーセンターに剪定をお願いしなければと思いました。


秋の農泊体験ツアー2日目

2024年09月22日 | 生坂村の行事
  9月22日(日)はあいにくの雨になり、朝9時頃から草尾上野の観光農園で、農業公社の小俣さんが、前もって収穫した野菜の荷造りをしていただきました。

 今年も、栽培管理をしていただいた、さつまいもや茄子などを、丁寧に新聞紙に包んで荷造りしていただきました。


 続いてやまなみ荘そば打ち体験館において、5班に分かれて、そば打ち体験を楽しんでいただきました。

 そば打ち体験コースは、おじさま倶楽部の有段者のご指導を下、最初から詳しく教えていただきました。

 そば粉とつなぎ粉を指先でしっかり混ぜ合わせ、水を定量加えながら一つにまとめてそば玉にし、粘土遊びの感覚でこねていただき、子ども達も頑張ってこねていました。

 テーブルに軽く打ち粉をふり、生地を手のひらで押しながら円形状のまま薄くしていき、生地を手のひらで押しながら円形状のまま薄くしていきました。

 先生に教わりながら、回転させて同じ力加減で延ばしていくと、一回りしたころには一回り大きくきれいな円が出来上がり、その生地を再び麺棒に巻きつけてから、手前から上の方に手の甲にほんの少し力を加えながら転がして延ばしていました。


 延ばしたそばを3分の1ずつ重ね、切り幅を確認しながらゆっくりと切っていき、一本一本の蕎麦が均等の太さになるように切っていましたが、なかなか切り揃えることは難しいようでした。


 そば打ち体験が終わった頃に、雨が止んだので、参加者の希望により急遽、草尾上野の村松ぶどう園に行くことにしました。


 ぶどう棚の下で、村松君からぶどうの栽培方法やぶどうの種類など色々な話をしていただき、質問にもしっかりと答えていただきました。

 そして、直売所ではぶどうの種類を聞きながら試食もいただき、ナガノパープル、クイーンルージュ、シャインマスカット、巨峰など、それぞれお目当てのぶどうを購入していました。


 12時からは、健康管理センターおいて、女・人竹っこくらぶの皆さんがご用意をしてくださいました昼食を召し上がっていただきました。

 会長の竹内さんから、栗おこわ、すいとん、鶏の唐揚げ、秋野菜の煮浸し、野菜サラダ、トマトのゼリー、イチジク、漬物など、地元産の食材を沢山使ったお料理の説明をしていただきました。

 皆で「いただきます!」で食べ始めて、美味しいと言いながら、昨日の稲刈りや今日のそば打ち、ぶどう園のこと、生坂村のことなど様々な話しをされていました。



 最後は私から、天気が心配されましたが、ほぼ予定通りにそれぞれ稲刈りが出来て、ぶどう園にも行けて、参加された皆さんから良い評価をいただき嬉しいですし、今後のツアーも先にリピーターさんに通知を出して関係人口を増やしていきたいと思いますし、アンケートに気付いたことやこんなこともしてみたいなどを記入いただけば、今後のツアーに反映したいと思います。今回の参加された皆さん、それぞれの団体の皆さんや関係の皆さんのお陰で良い農泊体験ツアーになったことに感謝申し上げますなどの御礼のことばを申し上げました。
 二日間にわたり、秋の農泊体験ツアーに参加された皆さん、ホタルの里の会、おじさま倶楽部、農業公社、女・人竹っこくらぶ、やまなみ荘、いくさか大好き隊員、振興課の職員各位、その他関係各位のお力添えのお陰でほぼ予定通り実施できましたことに感謝申し上げます。