信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

草尾上野ぶどう畑上空からの風景&東筑摩郡村長会視察研修2日目

2024年09月30日 | 私の活動報告
 9月30日(月)は雲が多くも午後には日差しが届き、朝晩は過ごしやすく、昼間は少し汗ばむ体感になりました。

 東筑摩郡村長会視察研修2日目は、午前9時30分に与那原町役場に着き、最初にお忙しい中、照屋町長と城間副町長にお会いでき、視察対応の御礼の挨拶をさせていただきました。

 照屋町長からは、飾ってあった与那原町の戦前から現在までの航空写真を見せていただきながら、当町の歴史や産業等の説明や脱炭素先行地域に選定した場所などの説明を伺いました。

 我々は、東筑摩郡5村の位置や農業等の話をし、記念写真を撮っていただき研修室に移動しました。


 研修は、与那原町の脱炭素に向けた取り組みについて、企画政策課 安慶田参事、山城課長たちに説明をしていただきました。
 与那原町の概要として、場所は那覇市から車で約30分、大きさは5.18㎢キロメートルで全国4番目小さい町、人口は19,470人と近隣市町村に比べて少ないが人口密度は高い、施設は教育機関・病院・警察・商業などが揃っているとのことでした。

 文化、イベントは、440年余の歴史がある「与那原大綱曳」と与那原町大綱曳資料館、郵便与那原駅舎展示資料館等があり、特産品は、赤瓦・ヤチムン、天然ヒジキ、ソデイカ等で、与那原マリーナ等の観光施設や観光ポータブルサイトの構築、キャラクターの「つなひきかちゃん」等で観光振興に取り組んでいました。

 与那原町の現状と方向性として、「稼ぐ力が弱く、地域経済が循環していない地域となっている」ことにより、「地域で稼ぎ、地域で経済を循環(経済の地産地消)させるか」が重要とのことで、与那原町の東海岸を新たな価値を創造する「住む、働く、遊ぶ」を満たすエリアの実現を目指していました。

 そして、再生可能エネルギー技術の発展により、地域で使う電気を地域で創ることが可能となっていることから、エネルギー関連産業を創出し、稼ぐ力と地域経済の循環を図りつつ、環境問題に取り組まれたとのことでした。

 与那原町の脱炭素先行地域事業の取組として、脱炭素先行地域を「マリンタウンエリア」と「公共施設群」に設定し、令和5年度から令和9年度にかけて「再エネ導入・省エネの実施等」に取り組み、環境対策の他、①稼ぐ力不足、②災害・防災、③公共交通、④住民の健康といった課題への対策も行うこととしています。

 太陽光発電・蓄電池・充放電設備・省エネ住宅等の計画、太陽光発電設備の導入・省エネの実施・大型蓄電池の導入・その他の電源の導入・EV車の導入促進等の概要、与那原町による出資・サテライトオフィスの開設等のスケジュールなどの説明を伺いました。

 地域新電力の体制強化として、事業推進のため職員1名をおきなわパワーHD(株)(地域新電力会社)に派遣とサテライトオフィスを東浜地区コミュニティセンター内に開設し、地域新電力会社に25%の出資をされました。

 環境省にて特筆すべき取組事例として、「自治体側も、新エネルギー会社への出資及び職員派遣を確約することによって、事業推進体制の確立に成功している」と評価されたとのことでした。
 周知関連として、様々なポスターや桃太郎旗の製作、住民向け脱炭素の理解促進のため、役場1階ロビーで省エネパネル展や小学校において省エネ教室を行っていました。

 令和5年度実績として、公共施設太陽光パネル設置及び充放電設備設置、中学校高効率照明機器(LED)導入、蓄電池設置、令和6年度の取組として、ソーラーアーケード、大型蓄電池、風力発電、波力発電の実証などが予定されていました。

 与那原町が目指す脱炭素社会の経済面として、地域新電力を中心とした「エネルギー関連産業の創出」、MICEと連携した脱炭素ショールームによる「交流人口の増加」などを図り、マリンタウンエリアの開発とMICE施設イメージ、スポーツツーリズム イメージも説明していただきました。

 その後、新エネルギー会社への出資や派遣について、効果促進事業について、沖縄県が進めるMICEについて、与那原町の現状について、与那原大綱曳の歴史と現状についてなどの質疑応答をさせていただきました。

 その後、与那原大綱曳資料館(つなかん)にも寄って、与那原大綱曳について説明していただきました。
 与那原大綱曳は、那覇・糸満と共にいわゆる「沖縄三大綱引」のうちの1つに数えられていて、「綱引」は沖縄県内各地で広範に分布している習俗の1つで、それぞれの地域的特色をもって行われており、地域の人々を結集するうえで大切な役割を果たしているとのことでした。

 今年4月導入の360°フルスクリーンシアターで臨場感ある大綱曳映像を拝見しながら説明を聞きましたが、360°フルスクリーンの迫力ある映像で良い体験をさせていただきました。

 祭りの主役となるのは、それぞれの役割を担った町民の皆さんで、綱引きを通じて、人と人をつなぐ場としての役割を担うと供に、次の世代に与那原町の歴史をつなぐ場としての役割を果たしていました。

 照屋町長と城間副町長はじめ職員の皆さんには、大変お忙しい中、脱炭素に向けた取り組みを中心に、440年余の歴史がある「与那原大綱曳」まで、親切丁寧にご説明いただき感謝申し上げます。

 2箇所目の視察は、昼食を途中で取り、恩納村役場に向かいました。予定の時間より早く着きましたので、恩納村の高さ20メートルの琉球石灰岩の断崖とその上に広がる芝生の公園の万座毛に寄りました。

 琉球王、尚敬が「万人が座するに足る毛(野原)」として賞賛し、名前がついたと言われていて、琉球石灰岩の台地の上には、天然の芝が広がり、その周りの植物群落は、県の天然記念物に指定されている通りとても綺麗で雄大な景色でした。

 その後、恩納村役場に午後1時25分に着きますと、長浜村長はじめ職員の皆さんが出迎えていただき、村長室まで伺う間に全員の職員の皆さんから歓迎の拍手をいただき感銘しました。


 長浜村長から、恩納村の地形や観光客が年間400万人も訪れる観光等の村の概要、長野県川上村との「シンカプロジェクト」の経緯、農業や水産業の現状など歓迎の挨拶を頂戴しました。

 東筑摩郡村長会の会長として、私から、視察研修のご対応に御礼を申し上げ、東筑摩郡の歴史と農業が基幹産業である各村の特産品の紹介、長野県町村会のことなどの御礼の挨拶をさせていただきました。

 続いて、農林水産課 平安名課長達から説明していただきました。恩納村は沖縄本島のほぼ中央部西海岸側に位置し、面積が50.84㎢と広く海岸線は約46㎞と長く、移住者が多く、人口は11,275人と増え続け、住宅地価格が29%も上昇し日本一になったとのことでした。

 農林水産業費は、令和6年度一般会計当初予算に占める割合は10.92%であり、農業部門では、小菊・パッションフルーツ・ドラセナ・アテモヤ・観葉鉢物が沖縄県の拠点産地に認定されていて、作物別経営体では、花卉類・花木が141経営体と最も多く、県全体の1割強を占めていて、さとうきび・野菜・果樹類も栽培しているとのことでした。

 水産部門では、サンゴ礁海域を主な漁場としており、モズクなどの海藻養殖を主力として発展し、沖縄県の拠点産地に認定されているモズク、海ぶどう(クビレタス)、アーサ(ヒトエグサ)についてはブランド化に力を入れるとともに、資源管理型漁業の安定継続を目指していました。
 
 シンカプロジェクトとは レタスの一大産地の長野県川上村より、レタスの栽培技術指導を受け、恩納村で産地化を目指し、恩納村内のホテルや飲食店へ出荷し地産地消も推進していき、「シンカ」とは沖縄の方言で「仲間」を意味する「シンカヌチャー」から由来されています。

 シンカプロジェクトの始まりとして、恩納村の夏は亜熱帯気候で暑く、レタス栽培には適さない気候ですが、冬の気温は20℃前後と川上村の夏と似ていて、この温暖な気候と自然豊かな大地のもとで、川上村の長く培った野菜栽培技術を活用してレタス栽培に取り組むプロジェクトでした。

 シンカプロジェクトの役割は、村内のリゾートホテルや観光客の皆さんに地元産の安全・安心はおいしい新鮮野菜を提供し、若い農業者が定着し、遊休農地の有効活用を図っていきたいとして取り組み始めました。
 平成27年度に始まり、川上村の規格に適用できる農家が平成30年度に半減してしまいましたが、コロナ禍開けには2名の農家になってしまいましたが、収穫は当初より多くなって、大規模化になったとのことでした。

 レタス栽培の課題として、恩納村では栽培を行う上で北風の影響大きいことが分かり、圃場によっては、風速20~30mが2日間続き、潮風による影響でレタスの外葉が枯死してしまう現象が続いたとのことでした。

 また、冬になると「タイワンシロガシラ」という鳥がレタスをエサにして圃場に現れて、定食直後の苗から出荷前のレタスまで食害を発生させるほか、糞の付着など様々な害が発生していて、主な有効策として防鳥ネットを設置してもらっているが、強風の影響で設置後に破れることも多く、対策に苦慮しているとのことでした。

 出荷は、おんなの駅なかゆくい市場を通して「シンカレタス」として販売していて、シェフのレタスに対する評価は高いが、ホテルの購買担当がカット加工され消毒洗浄されたレタスを求めていることが分かり、当工場がなく大きな壁となっている。

 シンカプロジェクトの今後取り組みとして、販売体制の構築、安定供給体制の構築、生産者の増加の3点を改善できる取組を検討していくことが必要で、村内でも土質が違い栽培に苦慮されているなど、課題は多いとのことで、長野県の大規模な産地とは違い、ご苦労されているなどの話をさせていただきました。

 実際圃場に案内されて行きましたが、何筆かを集約した圃場でも面積は狭く、粘土土で水はけが悪く、定植する準備ができていない状況でした。

 定植後「タイワンシロガシラ」の防鳥ネットを設置して作業を行うとのことで、消毒や出荷作業などネットの下で行うことは効率も悪く、大型機械の導入もできず大変だと感じました。

 でも、栽培をされている農家の方は、明るい顔で説明していただき、農業に対して前向きな姿勢に感心しましたし、どうにか長野県川上村からご指導いただいているレタスが、沖縄県で沢山消費していただければと感じました。

 長浜村長はじめ職員各位には、お忙しい中温かく出迎えていただき、丁寧親切にご説明いただき御礼申し上げますとともに、有意義な視察研修になりましたことに感謝申し上げます。

△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めの朝霧の中から朝日が差してきた草尾上野ぶどう畑上空から風景です。
草尾上野ぶどう畑上空からの風景


 本日生坂村では、小学校でクラブ、中学校で振替休日などが行われました。


 上生坂上空からの風景&東筑摩郡村長会視察研修

2024年09月29日 | 私の活動報告
 9月29日(日)は雲が広りスッキリしない空で、朝晩は過ごしやすくても、昼間はジメジメと暑くなりました。

△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めの朝霧が立ち込めていた上生坂上空から風景です。
上生坂上空からの風景


 本日は朝4時45分に我が家を出発し、羽田空港には9時頃に着いて、11時35分発のANA471便に乗り、羽田空港の混雑で30分ほど遅れて14時40分頃に那覇空港に着きました。


 そしてさっそく首里城に向かい、令和元年10月31日未明火災に見舞われ、同年12月16日に視察した私は、復元がどの様に進んでいるか皆で視察しました。

 まず、首里城公園のインフォメーションセンターである首里杜館に行き、総合案内をしていただける方をお願いして出発しました。ここには、情報展示室のほか、レストランや売店などがあり、首里城に関する情報を学んだり、ゆっくりと休憩したり出来ます。

 次に、エレガントな外観が美しい守礼門に行き説明を受けました。「守礼」とは、「礼節を守る」という意味が込められている言葉で、「琉球は礼節を大切にする国である」というメッセージが詰まった門なのです。
 中国風の建築デザインも豪華で美麗な門の前で記念撮影をしました。


 園比屋武御嶽石門は、琉球の石造建造物の代表的なものであり、1933年国宝に指定されましたが、沖縄戦で一部破壊され、1957年に復元されました。現在は、国指定重要文化財となっていて、2000年には世界遺産へ登録されました。



 歓会門は、首里城の城郭に入る前の最初の正門で、「歓会」には「歓迎する」という意味があり、創建は、1477年~1500年頃。沖縄戦で焼失したものを1974年に復元しました。
 魔除けのために、一対のシーサーが設置されているところも見どころです。
 次に向かったのは、「立派な泉」という意味が込められた端泉門です。石造かつアーチ状の歓会門とは異なり、門の上に直接やぐらが乗っています。これは日本本土でもよく散見される建築様式ですが、やぐらの中央にある扁額が琉球らしさを醸し出していました。


 続いて、「福を行き渡らせる」という意味がある広福門に向かいました。建物全体が門になっており、これは首里城の城門における特徴でもあります。非常に眺めがよい場所に設置されているため、龍潭の池・円覚寺の総門・虎瀬山などが見下ろせるところも注目です。


 奉神門は、首里城正殿がある「御庭」に入るまでの最後の門です。1562年以前に建設されたと考えられており、現在は首里城公園を管理する改札所として利用されていました。

 火災の影響を受けながらも奇跡的に立っていた大龍柱。補修作業のため台座から取り外し、仮設補修作業場へ移動して大龍柱の本格的な補修作業が行われました。補修された大龍柱は、新しい令和の大龍柱の見本として活用するまでの約2年間、下之御庭の補修作業場で公開しています。


 続いて、復元工事をおこなっている今しか見られない復元工事エリアに向かいました。職人たちが木材の加工などをおこなう「木材倉庫・原寸場見学エリア」で、補修が完了した「大龍柱補修展示室」などが見学できました。大型モニターでは、大龍柱の補修の様子を映像で視聴可能でした。


 建築中の正殿を雨風や埃から守るための建物「素屋根」です。この素屋根の中に、工事の様子を間近で見られる見学エリアを設けて、正殿にあわせて3階建てとなっている見学エリアからは、復元工事の様子を臨場感たっぷりに視察できました。


 復興工事についてもっと詳しい情報を学べるのが、復興展示室です。2020年10月にオープンし、火災時の残存物や、残った瓦を使った屋根などを展示しています。VTR「首里城 復興へのあゆみ」を放映しているほか、解説パネルや実際の素材といった展示物も充実していました。






 国王の家族などが居住していた、御内原の中にある世誇殿。琉球王朝時代に即位の儀礼がおこなわれていた部屋です。2019年に外観が復元されました。現在は休憩スペースで、琉球王国の歴史と首里城正殿跡の魅力について学べる映像資料を18面モニターで放映していました。


 今後の復元予定として、2026年秋の正殿完成を目標に作業が進められていました。
 その際には、正殿内部にて、2022年の公開以来、二度目の一般公開がなされるとのことで、現在も、2026年に完成予定の正殿の復元作業が行われている現場や復元過程は一般公開されていました。



 本日生坂村では、しべつあきあじまつりに出展、リビング・ウィル講演会などが行われました。


信濃十名勝「山清路」の風景&長野県町村会先進地視察3日目

2024年09月27日 | 私の活動報告
 9月27日(金)は雲が目立つ空で昼間は暑くても、朝晩は過ごしやすい体感でした。

信濃十名勝「山清路」の風景
△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めした大きな奇岩と犀川の流れの山清路の風景です。


 長野県町村会視察研修3日目は、宿泊したホテルの近くの二条市場に行きました。

 明治初期、石狩浜の漁師が新鮮な魚を売り始めたことがきっかけで開設されたと言われる「札幌二条市場」です。かつては創成川の対岸、西1丁目から東2丁目にかけて、ずらりと市場が並び、次第に青果店や居酒屋などが集まり現在のかたちとなりました。

 現在も市民の台所として愛され続けていますが、マチナカという立地の良さもあって、北海道土産を求める観光客や旅行者で賑わっていました。

 四方を海で囲まれた北海道は、海の幸の宝庫で、道都である札幌には、北海道の各地から新鮮な魚介がここに集まってきています。
 現在、二条市場には約15店舗ほどの水産会社や鮮魚店が立ち並び、その日仕入れた活きの良い魚介を販売していました。カニにホッケ、ホタテなど海産物が並ぶ様は目にも鮮やかで、店舗ごとに扱う種類も異なり、見くらべて歩くのも楽しみのひとつでした。

 札幌二条市場と言えば、海鮮と思われがちですが、市場内には野菜や果物を扱う店もあり、北海道の特産品・メロンをはじめ、豊かな地で育ったブドウやリンゴなど、いずれも美味しそうでした。

 帰りは、早めに新千歳空港に行き、そのお陰で、環境省の課長とも脱炭素先行地域づくりの件について要望が出来、お土産も買えて良かったです。そして、FDA216便 14:55発に乗り、16時35分頃に着き、役場には1時間後に行けて、決済や打合せをすることが出来ました。近くに空港があることは、帰ってから一仕事出来て良いなあと思いました。

 長野県町村会先進地視察は、羽田会長はじめ役員の皆さん、事務局の皆さんにはお世話になり、素晴らしい施設や取組等を研修でき、有意義な先進地視察になりましたことに感謝申し上げます。

 本日生坂村では、小学校で6年生中学校見学、中学校でかしわ祭前日集会・前日練習・準備・体育祭(6年生参加)、せせらぎ公園作業、生坂村農業公社理事会、例月出納検査、教育委員会定例会などが行われました。




グリーンパークブリッジ周辺からの風景&長野県町村会先進地視察2日目

2024年09月26日 | 私の活動報告
 9月26日(木)は晴れて、日差しがたっぷりと降り注ぎ、昼間は気温が上昇し、汗をかく夏の暑さが戻りました。

グリーンパークブリッジ周辺からの風景
△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めの朝日が差してきたグリーンパークブリッジ周辺からの風景です。


 長野県町村会先進地視察2日目は、ホテルを午前9時15分に出発し、余市町に伺いました。余市町の先進地視察として、齊藤町長はじめ橋端課長や職員の皆さんにご対応をいただきました。

 最初に我が長野県町村会羽田会長から、視察対応に対しての御礼や、23町35村の長野県、ワインバレー構想の話などの挨拶をされて、北澤次長から出席者の紹介をしていただきました。

 次に齊藤町長から北海道179市町村で後志総合振興局内で20市町村であり、フルーツ栽培が盛んでリンゴからぶどうに転換され、果物栽培がとても盛んであるなどの歓迎の挨拶をいただき、続いて余市町の産業振興について説明していただきました。

 齊藤町長は外務省に入省され、在ロシア日本国大使館など、内閣総理大臣官邸国際広報室、北海道天塩町副町長の後、余市町長になり、現在2期目でした。
 余市町は明治時代からにしん漁で栄え、肥料として使い農業を行い、当時のにしん御殿は、銀座三越と同じくらいの価値があったとのことでしたが、にしんが獲れなくなってきて、リンゴの商業産業として取り組み始めました。

 しかし、リンゴも青森県に抜かれ、リンゴからぶどうとワイン用ぶどうに変わってきました。1974年に最初のワイナリーが出来てから、36年後の2010年に2件目のワイナリーが出来、今は19件になっているとのことでした。
 それは、ワイン特区を取得したこともありますが、長野県小布施ワイナリー次男の曽我貴彦さんが行った研修制度で、家族で移住してきた門下生達が独立して増えてきたとのことでした。

 町長として6年目になり、産業振興には、戦略策定と資金、外交の3本を考えて取り組んできて、町の税収は約16%であり、全国平均は約35%ですが、北海道後志総合振興局では、4番目の自主財源比率であり、多くが当地区では3~4%とのことでした。

 信州ワインバレー構想の長野県の予算付けは、独自ブランディングが出来て素晴らしいと言われ、当町はドイツ系ワイン用ぶどうから、人気のあるシャルドネとピノ・ノワールに植え替えると1.5倍の補助を出し、栽培農家の意見は二つに分かれたとのことでした。

 デンマークコペンハーゲンに視察に行く機会があり、食事の傾向を考え、世界のベストレストランの「ノーマ」に飛び込みで余市ワインを売り込みいき、見事に気に入られ、6年前定価4,000円のワインが、プレミアが付いて、9,000円だったワインが、今では90,000円になっていて、なかなか手に入らす、ふるさと納税は10億円近くになり、その内ワインは3割ほど占めているとのことでした。

 人財戦略では、地域おこし協力隊として、マスターソムリエの方などを雇い、オーストリアのリーデル社と日本で初めて連携協定するなどマーケティングを屈指してきて、ワイン産業は観光、建設など裾野が広く、人口減少の状況に地域に富を蓄積して、持続可能な町にしたいとのことでした。
 その他にも様々なお話をお聞きし、我々とも担い手の確保や農業所得の向上等の農業問題、6次産業化、地方創生、外国からの参入などの意見交換をし、とても勉強になる研修ができましたことに感謝を申し上げます。


 余市町は日本のウイスキーの父と呼ばれるニッカウヰスキー創業者「竹鶴政孝氏」が、第一の蒸溜所建設の地として選びました。日本のスコットランドと称される気候と豊かな自然の中、創業時と変わらない伝統の技を今に受け継ぎ、力強く重厚なモルト原酒をつくりつづけて90年になるとのことでした。

 普段は見学コースになっていない、余市蒸溜所正門の2階会議室に招いていただき、机も椅子もガラス等の当時のままで、歴史を感じる趣のある室内は別世界のようでした。

  2022年2月、キルン塔(第一乾燥塔)をはじめとする複数の施設が、日本のウイスキー産業発展におけるかけがえのない歴史的資産として認められ、重要文化財に指定されました。

 発芽した大麦をピートでいぶしながら乾燥させ、麦芽をつくる施設の乾燥塔(キルン塔)は、今は使用していませんが、いぶした臭いが感じられました。

 もろみをポットスチルと呼ばれる単式蒸溜器で2回蒸溜し、余市蒸溜所では伝統的な石炭直火蒸溜により、力強く重厚なモルトウイスキーがつくられていました。


 創業者・竹鶴政孝氏の執務室として1934年7月に建てられ、ニッカウヰスキーの原点となった旧事務所の看板の「大日本果汁株式会社」の日本の「ニ」と果汁の「カ」を取って、「ニッカ」と付けたとのことです。

 竹鶴政孝氏がリタ夫人と暮らした余市町の郊外山田町の住居を、2002年に移築し、和洋折衷のスタイルは夫妻の生活様式を反映していました。特別に室内も案内していただき、お二人の生活の様子をお聞きし、記念撮影をさせていただきました。


 創業時に建てられた貯蔵庫のある場所は、元は余市川の中洲で、床は土のままで適度な湿度が保てるよう、また、外壁は石づくりで夏でも冷気が保てるように設計されていました。

 ニッカミュージアムは、ウイスキーづくりの時間の流れをブレンダーに焦点を当ててご紹介するコーナーや、ニッカウヰスキーを代表する4つのブランドに関する展示を通して、ニッカウヰスキーの魅力に触れていただくことのできる見学施設でした。
 テイスティング・バーは、蒸溜所限定商品を含むニッカウヰスキーの様々なおいしさをお楽しみいただけるコーナーでした。

 スペース中央に実際のポットスチル(蒸溜器)を配し、蒸溜から長い年月の貯蔵を経て生まれるウイスキーの時の流れに想いを馳せながら楽しめる空間演出を施していました。

 工場長さんはじめ関係の皆さんには、普段視察出来ない場所までご案内いただき、丁寧に詳しくご説明いただき、ニッカウィスキーの創業者・竹鶴政孝氏の足跡と伝統の味を継承している技術などを研修でき感謝申し上げます。

 2日目の最後は、広大な牧草地で羊たちが草を食む、北海道らしい牧歌的な風景が広がり、眼下には石狩平野の雄大な景色を一望できます「さっぽろ羊ヶ丘公園」に行き、1976年、ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ、大志を抱け)の言葉で有名な北海道開拓の父「ウィリアム・スミス・クラーク博士の立像の前で記念撮影をしました。

 本日生坂村では、小学校でイクサカラットリンタイム・金管練習、中学校でかしわ祭準備45分短縮特別日程③・放課後リハーサル(生徒会)、乳幼児お下がり会、健康応援隊in小立野、民生児童委員協議会定例会などが行われました。



日岐と小舟上空からの風景&長野県町村会役員会及び先進地視察

2024年09月25日 | 私の活動報告
 9月25日(水)は日差しが届いて、朝晩は涼しくなりましたが、昼間は暑く感じられました。
△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、青空が広がり朝日が差してきた日岐と小舟上空からの風景を撮影しました。
日岐と小舟上空からの風景


 本日は朝7時20分に我が家を出発し、信州まつもと空港には1時間弱で着いて、9時20分発のFDA211便に乗り、11時ちょっと前には新千歳空港に着きました。


 さっそく札幌からのアクセスが良い人気の観光地、小樽市に向かいました。石造り倉庫やガス灯などレトロで趣のある小樽運河、旧銀行街など文化財に指定された歴史的建造物が多く、情緒ある街並みが人々を魅了しています。


 江戸時代から北前船が寄港する漁村で、明治時代に入り、ニシン漁による繁栄で小樽経済の基盤を築きました。


 小樽市鰊御殿は、1897年(明治30年)積丹の泊村に建てられ1958年(昭和33年)に現在地へ移築復元したものです。 移築後の1960年(昭和35年)には「北海道有形文化財ニシン漁場建築」として、文化財に指定されました。 明治時代の原型をとどめており、華やかな往時を偲ぶ貴重な鰊漁場建築です。


 小樽運河は、大正12年に完成、北海道の開拓を支えた港湾都市「小樽」の海運を支えた水路で、水路に沿って昔ながらの倉庫が立ち並ぶ、歴史ある場所です。運河としての役割を終え、昭和61年に一部埋め立てを行い、散策路や街園が整備された現在の姿となりました。


 運河沿いの散策路には63基のガス灯が設置され、夕暮れ時には運河や石造りの倉庫がライトアップ、日中とはまた違った雰囲気を味わうことができます。


 小樽のメインストリート「堺町通り」は、レンガや石造りの歴史ある建物や古民家が、商業施設としてリノベーションされた、街歩きがとても楽しいエリアです。

 北海道ならではの美味しいスイーツや小樽らしい雑貨など、ショッピングやお土産探しにもうってつけの場所で、歴史とロマンの感じられる堺町通りは、小樽に来たならマストで訪れたい場所です。ノスタルジックな雰囲気を味わいながら、時間の許すかぎりショッピングを楽しみましょう。

 北一ガラスは、小樽運河から少し南にあるガラスショップ。オリジナルガラス製品のほか、石油ランプや酒類も販売しており、小樽で人気の観光スポットのひとつとなっています。 重厚な石造りの倉庫は、1891年(明治24)に漁業用倉庫として建てられた歴史あるものです。


 当時、北海道の家庭のあかりは電気ではなくガラス製の石油ランプが主流で、ガラス工場では、ガラスくずを使用してランプを覆う筒のほか、瓶や金魚鉢などの家庭用雑器が生産されました。

 また江戸後期から大正時代まで、北海道の一大産業だったニシン漁に使うために開発された「ガラス製の浮き玉」を中心にガラス製品の製造が発展していきました。その後、電気の普及やニシン漁の衰退などで、その需要は減少傾向になりました。

 小樽市は平日にも関わらず、多くの観光客で賑わっていました。インバウンドの外国人も多く、ガラス製品を見たり、お菓子を購入したり、ソフトクリームを食べたりとそれぞれ楽しんでいました。

 午後3時からは、長野県町村会10月役員会を開催し、第39回定期総会提出議題の決議(案)について、長野県市町村職員共済組合の議員等候補者の推薦について、11月役員会の日程(県への要望運動含む)について、12月役員会の日程について協議をしました。

 報告事項として、令和6年度災害共済関係事業の加入推進運動について、長野県自治体労働組合からの要請について、令和6年度市町村振興宝くじ(サマージャンボ)の販売実績等について説明を受け協議しました。

 本日生坂村では、小学校で教育課程、中学校でかしわ祭準備45分短縮特別日程②、標津町訪問事前検診(2年13:30~)・下校15:10、おじさま倶楽部役員会、議会だより編集委員会、高津屋森林公園役員会などが行われました。


松本山雅会員親睦会

2024年09月15日 | 私の活動報告
 9月15日(日)午後6時からは、松本市のホテルで松本山雅FCの後援会員親睦会に出席しました。

 多くの後援会員及び名誉顧問並びに相談役の皆様が120名ほど参加され、激戦を繰り広げる松本山雅FCの選手やチームスタッフの皆様をお迎えし、選手たちが入場されると盛り上がり会員親睦会が始まりました。


 山雅後援会 臥雲後援会長、小澤社長、霜田監督が、それぞれの立場から、松本山雅FCが残り10試合、勝ち点30を獲得してJ2に復帰するとともに、山雅後援会の益々の発展を願い、これからも山雅らしく最後まで諦めずに勝ち抜くことなど、力強い挨拶をしていただきました。


 信濃毎日新聞松本支社の方が、強くなること願ってOnesoulで乾杯の発声をされ宴に入りました。

 私のテーブルには今年新加入のFW安藤翼選手が一緒でして、ファンも詰めかけて、サインと記念撮影をしていました。
 その他のテーブルでも、選手、コーチが、サインや記念撮影、お話の相手などファンサービスされていて、プロの世界において、後援会員やサポーターの応援に対し、感謝の気持ちを持っての対応に感心しました。

 チームを代表して御礼のことばがありました。

 選手の皆さんがステージに上がり、今治戦でプロ初ゴールを決めた米原選手が、残り10試合で3得点を上げますなどのインタビューがありました。

 そして、応援歌を大合唱し、みんなに見送られ選手たちが会場を後にしました。



 その後、恒例のクラブの飯田さんとのじゃんけん大会があり、勝った方々にサイン入りボールと色紙が贈られました。






 最後に、矢口池田町長が、残り10試合、勝ち点30,J2復帰を祈念してOnesoulの一本締めで幕を閉じました。

 松本山雅の皆さん、務台代議士、市町村長の皆さん、スポンサー企業の皆さんなど関係の皆さんと色々なお話ができとても楽しい親睦会でした。


長野県町村会政務調査会第2回建設部会&昭津上空からの風景

2024年08月20日 | 私の活動報告
 8月20日(火)は雲が広がり、午後は急な強雨になり、昼間は不快な蒸し暑い体感でした。

 今年度の県町村会政務調査会の第2回建設部会を下伊那郡松川町で開催させていただきました。
 私が今年4月に町村会の副会長になり、後任部会長の貴舟大桑村長から開会の挨拶をいただきました。



 次ぎに、町村会会長は部会に属していませんが、今年度は建設部会にご参加いただきましたので、羽田町村会長からご挨拶をいただきました。

 続いて、開催地松川町の北沢町長から、村の紹介などの歓迎のご挨拶を頂戴しました。

 国・県に対する要望は、「道路等交通網の整備促進及びインフラ老朽化対策の充実」「河川の整備促進」「砂防施設の整備推進」「住宅等の耐震化の促進」「空き家対策に対する総合的な支援策の充実」「冬期交通の確保」「地籍調査事業の推進」「水道施設整備の推進」について一項目ずつ協議をし、原案通り要望することになりました。


 また、国・県に対する重点提案・要望事項として、長野県内の道路網の未改良区間が多いことや河川整備費が激減している現状、土砂災害危険箇所の整備率が3割程度等の現状を踏まえ、今年度も「道路等交通網の整備促進」と「河川・砂防施設の整備促進」としました。


 また3部会の共通要望として「災害に備えた公共事業の推進」も重点提案・要望とすることになりました。
 その中で、国土強靱化基本法を踏まえ、5か年加速化対策終了後においても、町村が安心して国土強靱化に取り組めるよう積極的な対策を継続することと、地方自治体が引き続き喫緊の課題である防災・減災対策に取り組むことができるよう「緊急浚渫推進事業」「緊急防災・減災事業」「緊急自然災害防止対策事業」について、対象事業を拡大するとともに引き続き十分な財源を確保することが盛り込まれました。


 建設部会が終了した後は、建設水道リニア対策課の中村課長から、松川町の概要として、明治、大正を経て、昭和31年、大島村と上片桐村が合併し松川町が誕生し、昭和34年には、生田村を編入合併し、新制松川町が誕生し、町名は中央アルプスから流れる片桐松川の川名より「松川」と命名されました。

 町は長野県南部の下伊那郡の最北、伊那谷のほぼ中央に位置し、東西21キロメートル、南北約6キロメートル、総面積72.79平方キロメートルで、町の中央を天竜川が北から南へ流れ、川の東西に段丘が形成され、東側には工業団地と水田地帯が、傾斜地では、水稲、畜産、小梅の栽培などが行われていて、西側は、住宅地、商店街、工業団地が開け、梨、りんごなどの果樹栽培が盛んに行われています。

 松川町第5次総合計画での位置づけとして、「いっしょに育てよう 一人ひとりが輝く 笑顔あふれるまち まつかわ」として、SDGsを踏まえた計画 「持続可能な地域づくり」を考えるうえで、SDGsの視点や考え方を計画推進の参考とし、基本方針は、持続可能な農業の推進、非農家及び保護者等による有機農業の推進を行い、 遊休農地の解消につなげるとともに、学校給食への提供等、地産地消の促進を目指しているなどの説明を受けました。

 現地視察は最初に、主要地方道飯島飯田線上片桐バイパスの整備促進について説明を受けました。
 当路線は、平成26年度に上片桐地区まで工事が完了して以降、先線については長い期間に渡り休止状態になっていましたが、令和3年度末の補正予算により、当バイパスの先線の主要地方道松川インター大鹿線までの区間についてルート検討されることになりました。

 そのバイパス整備により、保育園や小学校周辺の交通安全対策(通学児童等の安全確保)に結び付き、更に飯田市までの先線の整備促進について取り組んでいきたいなどの説明を受けました。

 続いてJA直売所「もなりん」に行き、松澤所長から説明を受けました。
「もなりん」の名前の由来でもある、地元の特産「もも・なし・りんご」などの果物を中心に、地元生産者による新鮮な野菜も多く並んでいました。

「もなりん」では、JAみなみ信州 松川インター果実選果場からも「光センサー選別」による糖度保証がされた贈答用をはじめ、規格外品の果物も仕入れて販売していました。
 地元生産者の果実を加工した種類豊富なシードルやジャム、りんごジュースも自慢とのことでした。


 続いて(株)なかひら農場に行き、中平社長から説明を伺いました。
農園部門は、りんご園約10ヘクタールの経営や生産販売をされていて、農場生産のりんごは、県内観光地のみやげ店への卸売のほかは、りんご狩りの受け入れによる直売、宅配便による全国発送により自社生産分は毎年完売しているとのことでした。

 加工部門は、日産10,000リットルの搾取処理できる機器により、国内外の果物・野菜飲料を生産し、県内外の生産者からりんご、もも、洋梨、ぶどう、みかん、人参、トマトなどを自家用または販売用飲料としての委託製造をしています。大手販売会社のOEM生産では百貨店・スーパー・飲食店等へ弊社製造飲料が流通していて、アマゾンや楽天でも販売されているとのことでした。

 販売部門は、生食用りんご約100tの卸、小売、自社生産ジュース類の卸、小売を行っていて、外国にも輸出されているとのことでした。

 観光部門は、農園部門が持つ農園と施設を有効に活用したりんご狩り等の自然体験の場を提供していて、循環型農業も行っているなど、多岐に渡り取り組まれておりました。

 続いて、(株)VINVIEに行き、竹村社長からのお話を伺いました。
株式会社 VinVie は、2018年4月4日にリンゴ農家とブドウ農家が手を取り、仲間が集い、南アルプスが目の前に見える丘の上に醸造所を開きました。
  自社畑で育てたリンゴ、ブドウを用いて、南信州の気候風土を反映したシードル (cider)、ワイン (wine) を生産しています。

 バージニアクラブ、コックスオレンジピピンなど、 海外品種や日本古来の品種を問わず、シードルに適したリンゴを栽培し、より味わい深いシードルをつくっていました。

 農業・宿泊・飲食・食品加工など、様々な産業分野との連携を密にし、相互協力することで、地域観光の基点・拠点となることを目指していました。

 最後にバスの中から、フォレストアドベンチャー・松川を視察しました。トレックコースとして長野県に初登場し、2024年3月リニューアルオープンしています。
 フォレストアドベンチャー・松川は、長野県第一号のフォレストアドベンチャーで、南アルプスを望む豊かな自然に囲まれた場所に位置し、中央道松川ICから車で5分と絶好のアクセスで、10サイト、80以上のアクティビティの充実のコースは難易度高めで、大人の方にもご満足頂けるとのことでした。

 松川町の北沢町長をはじめ職員各位、視察先の施設の方々、建設部会の町村長各位、事務局など多くの関係の皆さんにお世話になり、有意義な建設部会の会議や現地視察ができましたことに感謝申し上げます。

昭津上空からの風景
△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、雲に覆われながらも朝日が差してきた昭津上空からの風景を撮影しました。


 本日生坂村では、保育園で視力検査、夏休みこども水泳教室、はるかぜ検討委員会、4班の皆さんの元気塾などが行われました。




第86回長野県治水砂防協会通常総会及び長野県砂防講演会

2024年08月09日 | 私の活動報告
 8月9日(金)午後3時15分から、第86回長野県治水砂防協会通常総会が、会員総数84名の内、出席66名、委任状17名、合計83名で総会が成立し開催されました。


 私が会長として総会の開会に当たり、 今年度、これまで県内では大きな土砂災害は発生しておりません。しかしながら、気候変動の影響による気象災害の激甚化、頻発化の傾向が言われている中、本県を含め、全国各地で毎年のように大規模な土砂災害が発生しております。
 この気象災害の激甚化、頻発化の傾向は、今後も続くことが見込まれていますことから、私どもは、土砂災害から住民の生命と財産を守り、安心して暮らすことのできる地域をつくるため、県土強靱化の取組を一層強化していかなければなりません。

 このような中、昨年11月16日には、全国治水砂防促進大会が開催され、大会後の要望活動では、私を含め44名の市町村長により、砂防事業に対する私共の熱意を、国土交通省や財務省、県選出国会議員の皆様に伝えてまいりました。
また、5月25日に開催された全国治水砂防協会の通常総会には、全国で最も多い45名の市町村長の皆様にご参集いただいたところでございます。

 令和6年度におきましても、住民の生命と財産を守り、安心して暮らすことのできる地域づくりに向け、引き続き、砂防事業の促進を図るべく、積極的に活動を展開し、地域の声を発信してまいりたいと考えておりますので、市町村長の皆様におかれましては、積極的に本協会の活動にご参加いただきますようお願いいたしますなどと挨拶させていただきました。

▽ 長野県砂防事業功労者の表彰として、前松川村長の平林明人様に感謝状と記念品をお贈りしました。



 もう一人、長野県砂防事業功労者表彰として、都合により欠席された前池田町長の甕聖章様がお出でになり、出席された平林様から謝辞を頂戴しました。



▽ ご来賓としてご臨席賜りました、若林健太衆議院議員、宮下一郎衆議院議員、務台俊介衆議院議員、篠原孝衆議院議員、杉尾秀哉参議院議員、羽田次郎参議院議員、国土交通省 水管理・国土保全局 砂防部長 草野愼一様、一般社団法人全国治水砂防協会 理事長 大野宏之様、長野県議会危機管理建設委員長 大畑隆俊様、長野県建設部長 新田恭士様から、それぞれの立場でのご祝辞を頂戴しました。



 砂防功労者表彰を受賞された1名と草野砂防部長、大野理事長、大畑危機管理建設委員長、新田建設部長、私と副会長の皆さんで記念撮影をしました。

 私が会則により議長を務め、議事進行をしました。

 議案は、令和5年度事業報告及び歳入歳出決算について、令和6年度事業計画(案)及び歳入歳出予算(案)、会則の一部改正について原案通り承認をしていただきました。


 決議案につきましては、『「防災・減災、国土強靱化のための5か年加速化対策」をはじめ、国土強靱化の計画的な取組に必要な予算・財源については、これまでのペースを緩めることなく、資材価格の高騰や賃金水準の上昇に対応する中でも例年以上の規模で確保すること。
 また、改正国土強靱化基本法を踏まえ、5か年加速化対策完了後においても、切れ目なく、継続的・安定的に国土強靱化の取組を進められるよう。国土強靱化実施中期計画を早期に策定し、必要な予算・財源を通常予算とは別枠で確保すること。』

 『住民が災害を我が事として捉え、緊急時に迅速かつ主体的に避難できるよう、わかりやすくきめ細かな情報発信や、ハザードマップ・地区防災計画の作成支援などのソフト対策を推進するための財政支援を強化すること。』

 『予防保全の観点から砂防関係施設の長寿命化を計画的に進められるよう、必要な予算を安定的・継続的に確保すること。
また、県土の多くが急峻な地形と脆弱な地質で構成される長野県においては、大雨や融雪に伴う大量の土砂・流木の流出により埋塞した砂防堰堤の機能を早期に復旧する必要があることから、災害復旧事業として緊急的な除石が可能となる制度の拡充を図るとともに、事前防災対策として応急対策用資機材の備蓄を推進すること。』などの決議(案)について、事務局から朗読していただき、ご参集の皆さんの総意として、盛大な拍手で承認されました。

▽ 国土交通省 水管理・国土保全局 草野砂防部長より、「いのち」と「くらし」と「みどり」を守る砂防と題して、令和6年能登半島地震の概要、令和6年能登半島地震による土砂災害の対応状況(初動対応)、令和6年能登半島地震による土砂災害対応状況、河道閉塞等の箇所と対策状況、直轄砂防事業による河道閉塞箇所への対応、直轄地すべり対策の状況 珠洲市、令和6年 全国の土砂災害発生状況(6月30日時)、令和6年度 松山市の土砂災害、令和6年7月25日からの大雨による土砂災害発生状況、土砂災害発生件数の推移(昭和57年から令和5年)、

施設効果事例、「自助」「共助」「公助」連携により難を逃れた事例、事前の避難により被害を逃れた事例、土砂災害警戒区域等の指定、高精度な地形情報を用いた基礎調査、土砂災害ハザードマップの公表状況、土砂災害ハザードマップの認知度を高める活動・支援、土砂災害警戒情報の検証・見直し、雨量の予測精度向上、防災気象情報の整理、流域治水時代の砂防事業の展開、近年の土砂・洪水氾濫の頻発化、土砂・洪水氾濫の加速化、「くらし」を守る土砂災害リスクを踏まえた防災まちづくりの推進、まちづくり連携砂防等事業 採択箇所、砂防堰堤による流木補足の事例、砂防事業と治山事業が連携した流域治水対策の推進、「みどり」で守るグリーンインフラの積極的な活用、第42回土砂災害防止「全国の集い」in広島を開催、インタープリベント2024 開催概要など多岐に渡り講演をしていただきました。

 総会後は隣の部屋で意見交換会が開催され、会長の私から、 安全・安心な地域づくりの重要性がより高まる中、私ども長野県治水砂防協会は、引き続き、砂防関係事業の促進を図るべく、会員が一致団結して、様々な活動に取り組んでまいる所存でありますので、関係の皆様のより一層のご支援、ご協力をお願い申し上げます。

 限られた時間ではありますが、本日の意見交換会が、皆様にとりまして有意義な時間となりますようお願い申し上げますなどの挨拶で始まりました。

 公務で遅れてこられました、井出庸生衆議院議員から来賓挨拶を頂戴し、当協会副会長 牛越大町市長の乾杯の発声で宴に入りました。多くの皆さんと砂防事業の推進、道路・河川・治水砂防の三同盟の要望活動、市町村の行財政運営など様々なお話をして有意義な意見交換会となりました。


 令和6年度は安全・安心な地域づくりの重要性がより高まる中、私ども長野県治水砂防協会は、今後とも、砂防関係事業の推進に向け、会員が一致団結して取り組んでまいる所存でございますので、関係の皆様の一層のご支援、ご協力をお願い申し上げます。


長野県河川協会通常総会&日岐と小舟上空からの風景

2024年07月31日 | 私の活動報告
 7月31日(水)は夏の日差しが届き、昼間は厳しい暑さとなりました。
 午後3時からの令和6年度(第85回)長野県河川協会通常総会が開催されました。

 開会に当たり会長の私から、近年は、気候変動に伴い、全国各地で今まで経験したことのないような記録的な豪雨が発生しております。
 長野県では、令和元年の台風災害以降も、毎年のように県内各地で豪雨による災害が続いており、治水対策・災害対策の必要性がこれまでになく高まっているところです。
 特に、出水時等に住民を安全に避難させる責務を担っている私たちにとりましては、災害が発生しないことはもちろんですが、治水対策が進み、避難指示を出す頻度が少しでも減少してほしいということが共通の願いであると思っております。

 昨年度、改正国土強靱化基本法が可決・成立し、新たな国土強靱化基本計画が策定され、5か年加速化対策後の安定的な国土強靭化の推進に向けた大きな一歩が踏み出されました。
 当協会としましても、国土強靭化による防災・減災対策の一層の促進、流域全体が協働して治水対策に取組む「流域治水」のさらなる推進のため、「治水ONE NAGANO」宣言のもと、着実に歩みを進めてまいりたいと考えております。

 国会議員、国土交通省等の皆様に、地域住民の生命と財産を守る治水事業の重要性、河川改修事業などの促進を望む声を届けるために、より活発に活動をすすめてまいる所存です。
 本県の治水対策、災害対策が着実に進展するよう、本日お集りの皆様の思いをひとつにして取り組んでまいりたいと思いますので、今後ともご支援ご協力をお願い申し上げますなどと開会の挨拶をさせていただきました。

 その後、河川関係功労表彰の4団体の内、出席された3団体の皆さんを表彰させていただき、我が松塩筑支部からは、筑北村「安坂中村常会」の皆さんが、平成12年に設立し、一級河川安坂川の草刈り、ごみ拾い等河川環境整備を延べ14人で継続的に毎年、年1回実施し、長年にわたり河川愛護に大きく貢献されたご功績により受賞されました。



 受賞者を代表され、須坂市「高梨町百々川河川愛護会」の代表 丸山長次郎様から謝辞を頂戴しました。

 その後、ご来賓としてご臨席賜りました、若林衆議院議員、篠原衆議院議員、杉尾参議院議員、羽田参議院議員、天竜川上流河川事務所 吉田所長、県議会危機管理建設委員会 大畑委員長、長野県建設部 新田部長から、それぞれの立場からのご祝辞を頂戴しました。


 会場の整理の間に、河川功労表彰者4名と大畑危機管理建設委員長、新田建設部長、私、3人の副会長で記念撮影をしました。

 その後、公務で遅れてきました井出衆議院議員からもご祝辞を頂戴しました。


 議事では私が議長を務め、令和5年度事業報告及び歳入歳出決算報告、令和6年度事業計画(案)及び歳入歳出予算(案)について協議し原案通り承認されました。

 続いて決議(案)を事務局から朗読していただき、「防災・減災、国土強靱化対策のための5か年加速化対策」に必要な予算・財源を例年以上の規模で確保し、計画的に事業を推進すること。また、改正国土強靱化基本法を踏まえ、5か年加速化対策期間完了後においても、国土強靱化実施中期計画を令和6年内に策定し、必要な予算・財源を通常予算に加え別枠で確保して、防災・減災対策に継続的に取り組むこと。

 地方自治体が引き続き喫緊の課題である防災・減災対策に取り組むことができるよう「緊急浚渫推進事業債」「緊急防災・減災事業債」「緊急自然災害防止対策事業債」について、恒久化を図るなど確実な財源措置を講ずること。

 県土の骨格をなす千曲川・犀川・天竜川・木曽川等の県管理区間いついて、地方の財政状況や、激甚化・頻発化する豪雨災害への対応などの実情を踏まえ、様々な課題を解決した上で、国による一元管理を図ること、などの決議(案)を力強い拍手で決議されました。

 江守河川課長からは、「長野県の河川事業の概要について」と題して、「長野県の河川の現状と令和6年度の整備方針などについて」説明していただきました。


 「長野県の河川の現状」として、日本海に注ぐ信濃川、姫川、関川と太平洋に注ぐ天竜川、木曽川、富士川、矢作川、利根川の8水系の県管理河川延長4,804.2kmのうち、要改修延長は2,194.9kmで、令和4年度末の整備率は39.07%である状況、令和6年度の整備方針として、「しあわせ信州創造プラン3.0」に基づき、「災害に強い県づくりの推進」「社会的なインフラの維持・発展」「地域の特徴と自然の恵みを生かした快適で魅力ある空間づくりの推進」「良好な生活環境保全の推進」について、

 令和6年度 河川課当初予算額、補助公共事業実施箇所、「流域治水」の推進に向けた取組の内容や普及啓発活動、令和6年発生災害、令和5年発生災害、令和4年発生災害、令和3年8月・9月大雨災害などの近年の災害の発生状況、長野県の治水対策の取組などについて説明を受け、国・県など河川管理者による治水対策に加え、市町村等の関係機関が連携をして、地域住民の生命と財産を守る流域治水の取組の重要性を強く訴え、河川改修などのハード対策、住民が自らの命を守るためのソフト対策を促進させなければと感じました。


 長野県の治水対策、災害対策が着実に進展するよう、本日お集りの皆様の思いをひとつにして取り組んでまいりたいと思いますので、今後ともご支援、ご協力をお願い申し上げます。

日岐と小舟上空からの風景
△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、バス通勤のため、我が家からフライトして日岐と小舟の上空からの風景を撮影しました。

 本日生坂村では、経営所得安定対策兼米の生産調整実施現地確認、決算審査、教職員組合要望、地域未来塾、夜間SUP体験会などが行われました。


松本広域連合正副広域連合長会議&東筑摩郡村長会&日岐周辺からの風景

2024年06月21日 | 私の活動報告
 6月21日(金)は晴れたり曇ったりで、昼間は夏を思わせる暑さだったので、朝晩との寒暖差にも要注意の一日でした。

 本日は、(株)いくさかてらすの契約・料金等の内容について、午前中から夕方迄、時間のあるときに村づくり推進室と打合せと龍と子の校正をし、6月24日(月)から行う村政懇談会と同時開催する「第3回脱炭事業に関する村民説明会」の資料について協議を重ねました。

 株式会社いくさかてらすの内容、契約プラン、料金プラン、料金シミュレーション、各料金内容について、(株)いくさかてらすのPPA電力販売事業収支、脱炭素事業の外部評価委員と実施スケジュールについて及び今までの脱炭素関係村民説明会等で出た質問内容のQ&Aについて説明します「龍と子」を校正しながら内容を詳細に詰め、夕方にやっと入稿できました。

 午後2時からの令和6年度 第1回 松本広域連合正副広域連合長会議は、協議事項として、令和6年松本広域連合議会第1回臨時会、令和5年度松本広域連合一般会計専決処分補正予算(第3号)、消防費負担金の見直しについて協議をし定例会に諮ることになりました。

 報告・周知事項としては、令和5年度介護認定審査会の開催状況等、令和5年度障害支援区分認定審査会の開催状況等、令和5年度広域的観光事業報告、令和6年度訪日外国人旅行者 周遊促進事業費補助金(観光庁)の採択、消防の連携・強力に係る取組、令和5年度火災予防広報の実施結果、今後の会議等の日程などについて説明を受け協議をしました。

 会議終了後は、東筑摩郡村長会を開催し、協議事項として夏季休暇について、視察研修について、全国町村長会議等今後の日程について、松塩筑木曽老人福祉施設組合の今後のあり方検討委員会の協議概要についてなどについて協議をし、それぞれ了承をしていただきました。

日岐周辺からの風景①
△▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、朝霧が深く立ち込めていた上空と日岐周辺からの風景を撮影しました。


 その他生坂村では、保育園でイングリッシュランド・でてこい魔法のお話、小学校で6年租税教室・プール1,5,6年、中学校で中体連壮行会・Ikusaka学、認知症サポーター養成講座、農地に関する話し合い、6班の皆さんの元気塾などが行われました。