わたなべ動物病院の獣医さんブログin行橋

日々の思いをこごと、たわごと、ひとりごとに

気分転換

2015年06月14日 | 日記
自転車(マウンテンバイク)のガタガのついたタイヤをロード何とかと言う つるつるの、いわゆる普通のタイヤに変えた。 非常に好調で運動を兼ねて、自転車に乗りまくっているのだが、思い切って自転車に乗って英彦山に行こうかと思ったのだが やめた、自動車にした。豊津側から犀川をぬけて英彦山に向かったのだが、初めてダム建設現場をみてビックリしてしまった。
   
 ここがダムにしずむのかと、、、 途中 「今日は発破なし」と書いてある標識をみて「爆破もしてんだ、見てみたい」とか思いながら、蛇淵のキャンプ場でひと休憩した。今はキャンプ場も冷暖房完備のコテージに変わり、これはキャンプ場と言うより「完璧な宿泊施設」である。蛇淵の瀧に降り 一度、小学生のころだが泳いだなと思い起こした。整備された竜神橋から瀧を見ようとしたが 一人で行くと以外と怖いもんだ。小心物の心が表れてしまった。半分ほどいってはみたが、下を見ると高くて怖いし、その先には「マムシ注意」と書いてあるではないか!いそいそと戻っていると橋がゆれた。周りには誰もいない 久しぶりの恐怖を感じた。野峠に向かいながら、みやこ町と山国町の県境をみるとあらためて こんな近くに「もう県境か」と感激した。
    
  豊前坊 高住神社にお参りするのだが 今川の源流をみて(行橋まで 蓑島、周防灘と思いを馳せながら)、 神社では 霊験あらたかな お水で手を洗い、牛の像にべたべたと触りながら、願い事をした。身も心も綺麗になったような気がする。そのまま まっすぐに添田方向に帰るのだが、途中 添田の‘道の駅’に寄った。以前から気になっていた待望の一輪ざしを三つほど購入した。備前 備前と思っていたが、高取焼きだった。
 この一輪ざし 実は自分は好きなのである。
小さく かわいく、陶器が濃縮されているように思われる。以前は備前焼の一輪ざしがあったのだが、子猫を保護して院内で放していたところ 猫に落とされて割られてしまった。猫というものは高い所に上がりたがるし 上にあるものは落とすし、二つあったのだが、一つ目をやられたときには『しまった やられた』と思いきや 二つ目になると “がちゃーん”と言う音とともに 「またやられた くそっ~!」とあわてて見に行くと 眼をまんまるとして 落とした一輪ざしを見ながら、こちらを向いて ‘にゃ~’と罪もなく泣くではないか、 怒る気も失せて 置いてる自分が悪かったのかと諦めた。獣医さんをやっているのだが、『動物の習性をよく理解して飼いましょう』などと威張って言えたものじゃない。
 獣医さんをやってて 感情むき出しになるのは実は獣医さんじゃないだろうか?と はずかしながら そう思うときがある。 
 以前 愛犬‘オイ’と言う名の雌犬がいたのだが、名前のいわれは次の機会にしよう。誰もいないときは院内で放していたが 患者さんが来ると ハウスと命令し、ケージに入ってもらうのだが、これがまた ふり をする。 しっぽをたれて背中を丸め、頭(こうべ)を垂れて つまらなそうにケージに入るのである。
 犬は犬で、猫は猫で それぞれに個性がある。一匹一匹も違うし、それぞれのしぐさや癖もある。それぞれにあわせて、共に生活する。
 

 昼からの 気分転換の90キロのドライブをしてきました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェイスブックを観て、なんとなく、、、、

2015年06月14日 | 日記
 FBをみていると犬好きな方がドッグトレーナーのブログをシェアしていた。読んでみると‘なるほど’と思いながら これはどうだと「犬トレーナー ブログランキング ブログ村」をみてみた。いくつかピックアップして読んでみると ふむふむと思うことが書いてあった。自分なりに獣医行動学などちらほらと読んでいたが トレーナーの方々のほうが、より簡単に 実践的に書いていたのを読んで 偉そうなことを言っていた自分を省みてしまった。
これからは犬のしつけを聞かれたときは『パソコンやスマホがあるのなら犬トレーナーブログを呼んでみるといいよ 参考になることが結構載ってるよ』と伝えようと思う。
 しかしトレーナーのブログも、どっかの動物病院で教室を開催したり 同時に自分のところでも個別にしつけ教育をしてるもんだ。もちつもたれつか......。
では 獣医ブログランキング ブログ村はどうだと開いてみた。1から50位まで、あわよくば自分のブログも・・・・ と思いきや あるわけないかと現実に帰り、とりわけ目に付くタイトルを参考程度にいくつか読んでみた。しかし ほとんどが病気の症例やこんな手術をしたとかが多かった。しつけ教室が何たらかんたらやトリミングできれいになったとか この季節では新しい3ヶ月有効のノミダニ予防薬が出たとか 一年有効のフィラリア薬とかが多かった。なかには獣医のことをまったくかいてないブログもあった。獣医が獣医のブログを読むとみんな同じこと書いてるな 大体みんな同じかと思いながら 獣医がまったく獣医の仕事のことを書いてないのを読むと これもまた ちと寂しいかなと思うのは不思議なもんだ。
 獣医のブログをみてみると ほとんどが獣医医療と同時にしつけ教室 トリミング、ペットホテルをしてる方が多いように見受けられる。医者が医療と同時にディーケアや老人ホームを経営してるみたいだ。時代のニーズに応えてといえばそれまでだが。
 獣医の医療だけでやっていきたいものだ。トリミングはトリミング トレーナーはトレーナーで動物にかかわってるてる仕事をしているからお互いににかかわりながら。
 FBや色んなブログを読んで 電磁波はどうたら 新薬が 保存料が 云々と素人から玄人まで情報発信をしている。
 FBの押し問答を読みながら いい文章を見つけた。
「直らない病気をどれだけ治療するか、ではなく 治らない病気がなぜ増えているかを考えないといけない。
一ついえるのは質のいい情報の差なのだと思う。その情報によって 病気になったときどちらを選択できるか?なのだと思う 人生を大きく狂わす判断」とあった。
 一部の情報だけを仕入れて参考にすればいいと思う。すべてを信じるのではなく一部だけでいいと思う。
 自分の経験上 やはり自分も臨床獣医として思うのだが 人の手術でも その人のもって生まれた運もあるような気がする。あってはいけないのだが。
 私は最後に臨床を習った獣医さんは、たいへん年配の先生だったが その先生は『考えても考えてもダメな時がある それでも考えなきゃいけないんだ。考えるべきなんだ。』と言っておられた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本「わが愛しき動物たち」を読みなおして

2015年06月09日 | 日記
 わが愛しき動物たち(前上野動物園園長 中川 志郎)日本放送出版協会 あとがきより抜粋 
 お嬢さんが生まれたときには出産に立ち会って、ご自分でわが子をとりあげたんでしたね やはり それも太古の姿にもどろうということで?
 たまたまそうなっただけなんですけどね。女房が早産で、明け方の二時ごろに破水してしまったんです。通っていた産院まで行くことができなくて 近くにある顔見知りの医院に担ぎこんだわけです。深夜なので看護婦さんもいないからできないって言われたんですが、もう生まれかかっているのだからと頼み込んだ。
 陣痛の叫び声を聞き、わが子を取り上げたわけですが、これはほんとうに動物的というか、貴重な体験でした。普通は、生まれたばかりの赤ちゃんといっても、産湯につけてきれいに洗った状態で対面しますけど、本当の生れたてっていうのは、まだ体じゅう脂(あぶら)にまみれているような状態なわけです。皮膚がベタっとはりつくような感触は、いまも手に残ってます。
 始めは、以外に「暖かくないな、生きてるのかな?」なんて、わりあい職業的に観察したりしてました。でも、突然に「オギャー」と泣き出して、それを聞いたときに、「ああ、新しい命が生まれたんだ」っていう感動がわき上がってきました。太古の人々もこんなふうだったんだろうなっていう。
 手の感触で記憶しているわが子っていうんですかね。 娘のほうも、「お父さんの手をさわっていると安心できる」なんて、小学校のころの作文に書いてました。そのときは、自分がうまれたときのことなんて知らないんです。体が親を記憶してるんですかね。
 動物園でもいろいろな動物の出産シーンに立ち会っているんですが、みな、感動的です。でも、わが子の場合には、それ以上のものがありましたね。子を生むとはどういうことなのか、この時しみじみわかったような気がします。
 これよりは部分的に抜粋してます。前後で多少文意が異なるかも知れませんが。 
 環境教育をなんとかしなければいけない。 いまの環境をなんとか守もらなければ二十一世紀の人間は危ないという考え方があります。 要するに人間も生物だから、よい環境の中でしか生活できない。 だから、環境を守ろうというのが、一般的に言われている環境問題ですね。
一万年くらい前から人が動物を飼育する、ある植物を選んで栽培するということを始めた。それは、人間が自然生態系からはずれ別の人間生態系みたいなものをつくる素地をつくりました。
 最初のころは、世界には人間の知らない巨大な動物がいて、人間はいつもそれに恐れおののく時代が、野生の世界に入っていけばいくほどあった。人間が自然の世界にどんどん侵略者として入って行きながら、いつも巨大な動物や病気、いろいろなものが立ちはだかっていたわけです。
(抜粋)
 猛獣をおりに閉じ込めて飼うという行動は動物に勝ったという優位性を勝ち取ったが、今はそうではない。 猛獣をおりに閉じ込めてかわいそうだという時代に変わってきた。人と動物の関係が変わってきた
 人間生活が自然から隔絶されればされるほど、自然希求が心の底で強まってくる。人間というものは自然を離れて生きられない動物だ、というのがどうしてもあるわけです。
(抜粋)
 人間の心から自然がうしなわれて、人間がロボット化する。

たくさん参考になることが書いてますが、書ききれなくて......

 平成3年 25年まえに書かれた本です。今の世の中にあてはまり、なるほど とおもいながら、読み直してます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤブ医者の特徴

2015年06月08日 | 日記
 獣医医療でこんな手術をしたとかこんな症例がありましたとか書けば「わーすごい」とかいわれて嬉しくもなるだろうが どうしてもそんな気になれない。 自慢する気にもなれないし 守秘義務もあるし 自分より上はたくさんいるし 治療というのは自分の予想より早くなおっても 時間がかかっても この治療が良かっただろうか もっと違う治療があったかもしれない 常に病気を省みて 再考察をしてるもんだ。
自分の予想と違えば早く直ってもやぶ医者 遅く直ってもやぶ医者 自分は名医になれないなと思いつつ 自分が考えうる最善の方法をしていこうと思う。
 A新聞出版 おすすめライアップの広告
いい歯医者 いい歯医者の見極め方 困ったときのトラブル対処法 手術数でわかるいい病院 名医の最新治療という本の広告を見ると ふっ・・と思ったのだが いい歯医者 いい歯医者の見極め方の本など読めめば自分の獣医治療で来院される飼い主さんが自分のことをどのようにみてるか 少しはわかるかもしれないと思ったのだが、よくよく考えたら たいして当てにならないだろう 売れるために 売るために書いたもの 責任感もなく書いたものも多いと どっかに書いていたものを思い出した。そのうちいい獣医さんとは とか 手術数でわかるいい動物病院とか名獣医の最新治療とか出るだろう とかおもいながら いやもう 出てるかもしれない。
 こういうのはいかがだろ 「獣医から見た いい獣医」とか「獣医から見た いい人間の医者」「獣医から見た いい歯医者」「看護師から見た いい医者」とか「医療従事者から見た いい医者 歯科医 獣医」とかもいいんじゃないだろうか 現場に接するし 似たような知識はあるし すこしは感情に偏らずに客観的見れるかもしれない。インターネットも当てにならないし 口コミもあてにならないし 口コミなどは やらせもあるし、 頭の中で、相手は完璧なんだという思い込みが先行して 残念ながら期待を裏切られることが多い。捨て銭とおもい、まずはいってみることか。
 手術数でわかるなどは危険極まりない やればいいというもんでもないし、あまりにも一日の手術数が多ければミスも起こっててくるであろう。 私などは逆に怖いが、大きな大学病院でも報道されているくらいだから、病院を選んで手術を受けても運もあるかもしれない。実は私もちょっとした経験はしているので、機会があれば話そう。
 ヤブ医者の特徴と言うブログがあったが 患者の状況を深く知ろうとせずに無難な治療に走ろうとしている医師 質問に対し医師がまともに答えなかったり こともあろうか 「そんなこと聞いてどうすんの」などと切れしまう医師 患者思いの医師であれば答えられない質問に対して 「わかりません」と素直に伝えるか、あるいは「後で調べてお答えします」というふうに対応するはず。
私からしてみれば 今時 「答えられない」という人は少ないとおもうが すぐに答えられる 即座に診断名を言える獣医も摩訶不思議。 
 獣医なんちゅうものは犬 猫から内科から外科まであらゆるものをみてるもんだから、うる覚えだったり 忘れることもある。自分なんかは飼い主さんの前で平気で教科書なんか引っ張り出して、そんなことも知らないのという眼でみられるときもあるが、「天才じゃあないんだから」と弁解しながら、ついつい飼い主さんの眼の前で調べる。奥に引っ込んで調べればいいものを。
 自分の病状や治療方針 処方薬のことなど、気になる点があれば医師にどんどん質問、沈黙は美徳でない。薬をたくさん出すのは、医者自身の保身だと考える。つまり、薬さえ出しておけば、 患者は納得するし 複数の症状に対して、複数の薬を処方する。 「腕のいい医者ほど処方する薬は少ないとおもう」、たくさん薬を出したりする医者は患者思いでやっているのではなく、病院の儲けしか考えてないといえる。
う~なるほど ブログや本を読みながら いい情報はいくらでもはいってくる いいとこ 参考になるとこだけ記憶にとどめておきましょう。
 最近 飼い主さんと「自分にたいして、自分が治療するにしても 自分自身が病院や歯科にかかるにしても 服を買ったりテレビを見たり本を読んでも ニュースをみても食事に行っても 何をするにも95%の信頼と5%の疑いを持ったほうがいいような気がします。」というような会話をしました。
時間がたてばこの考えも変わるかもしれませんが。 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フードメーカーの雑誌

2015年06月06日 | 日記
開業獣医のとこには薬品メーカーからフードメーカー 獣医師会雑誌 その他の小雑誌がたくさんくる。当然 獣医医療から最新の薬の使い方から動物の習性など色々書いており、それらを全部読み 眼を通しているとわざわざ講習会に行かなくてもいいくらいの有益な情報が入ってくる。講習会に行くというのは耳から聞くという別の意味でいいのだが。ほとんどの獣医が何かしらの講習会に行ったり 勉強してますので、ご心配なく。
 ロイヤルカナンというフードメーカーの雑誌で栄養学のことが書いてましたましのですが2,3紹介します。
・ペットにビタミンやサプリメントを追加することは必要ですか
バランスの良い食事を与えられてるペットのほとんどは、ビタミンやミネラルのサプリメントを追加してもそれによる恩恵を受けることは少なく むしろ含有する栄養素の濃度が高すぎると、食事とともに与えることで これらの成分が有害になる可能性がある。
 自分も若い頃 医学部にいて医者とよく話したが、「先生 体が疲れちゃってビタミン剤でも飲んだほうがいいですか?」『あ~必要ない 必要ない 普通のちゃんとした食事をしていれば充分に取れてるから』と言ってました。
まー今は、自分はタバコも吸うし お酒ものみますので たま~に気休めでビタミンC アリナミンやビタミンB12を飲んだりしますが。 当全 病院薬ですけど。
・ペットにとって穀物不使用の食事のほうが健康的ですか
穀物不使用やグルテン不使用という表現はほぼ販売戦略的な用語であり、ペットの健康には何の利益をもたらさない
グルテンうんたらかんたらは私は実際問題知らないんですが、面白いのは販売戦略的な表現というとこです。テレビや買い物にいってペットフードのコ-ナーから自分たちの食べるものまで見ていると 実においしそうである。 一度買って まずいと思っても、また もーいちど買ってしまうのは 実に不思議なもんです。これも自分がバカというよりも販売戦略の力ではないだろうか。
ある本にはパソコンを思わずクリックするのも反応率を分析され、考えつくされた結果だとありました。
・獣医師に高価な特別療法食を薦められました 普通の食事とどう違うのか
健康上の様々な問題を治療する上で、食事は非常に重要な役割を果たしている
特別療法食は従来の維持用フードに大きく勝る成果をもたらしてくれる。
な~だ 結局フードメーカーの雑誌か 食事療法食がいいよと書いてました。
やりかたとしては、普通の健康維持の食事を使いながら、薬で維持する方法とか 食事療法食だけで維持するとか色々ありますので 一つの方法にこだわらなくてもいいと思います。でも かなりいい情報がはいってましたので、折があれば診察上 お話することもあると思います。
 しかし やはり食事は大事だと思う。人間界でもさかんに食育がいわれ 病気になればそれなりの食事管理をします。
自分自身も食事でこんなものいつも食べたら体に悪いだろうとか(インスタント)、ファーストフードやでき合いなどでも食べたり ジュースを飲んだりして 職業柄成分をよくみますが まーいつも食べるわけじゃないし たまに食べる分にはいいかと たまには食べますが。
動物もいつもじゃなく たまにはいいんじゃないですかー? あまりお堅いことはいわずに。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする