わたなべ動物病院の獣医さんブログin行橋

日々の思いをこごと、たわごと、ひとりごとに

動物の保護

2015年06月28日 | 日記
 くすりは逆に読むとリスクとなる。効用と副作用がある。両方を知りどちらかを選択する。人生も同じ様なところがある。どんなことにも両面あることを。
くすりの反対はリスク。我々の愚かなことは片一方しか考えないこと、すべて物事両面を考える。(FBより 抜粋)
 日差しが強くなると動物保護で思い出すことがあります。
看護学生だろうか?日差しの強い中、アスファルトの上にいた臍の緒がついた仔猫を保護しましたと来院しました。当全 動物病院が面倒を見るべきだと云わんばかりに渡そうとした、その態度にも腹立たしさを感じたが、私は冷静にではあるが思わず怒ってしまいました。
 本来の野良猫は仔を安全な処に移動中である。人の姿を見て とりあえずは仔猫をそこに置いて自分の身を守り、あとは置いてきた仔猫をそっと見ていて、人がいなくなれば連れに行くものである。
 親猫は人間が自分の仔をさらっていくのをジッと見ていたのではないだろうか?
人間はいいことをした、野生と化した野良猫は‘さらわれた’と考えはしないだろうか?
 このときは明らかに看護学生と見て取れたためか「浅はかな行動がミスを犯す場合もある。将来の立派な看護師となるべく自分で責任を取って下さい」と冷たくあしらってしまいました。「臍の緒をついた生まれたばかりの仔猫を保護したのだから あなたが責任を持って、2時間、3時間おきに最低でも3週間 ミルクをやって 生と死を垣間見て 将来の看護に役立て下さい」と伝えました。
 親猫の苦痛を考えたとき、保護した人の気持ちを考えたとき 獣医師としては両方の狭間に立ち 心苦しいばかりです。
 その後、りっぱな看護師になれたであろうか願うのみです。
また 動物病院では「捨てていった、置いていった」とよく耳にします。「ゴミ箱にケージごと置いていた」と言う方もおられた。
 このような考えをしたらいかがだろうか。 今は夜逃げ、急な転勤などがある。年老いた親が飼っていたが自分のところでは飼えない。保健所では忍びない どうしたらいいか、放したら道路は車がいっぱい、動物を避けて車同士が事故にあったら大変。ましてや 動物を避けて人身でも起こしたらどうしようもない。やむにやまれず考えて考えて熟慮した結果ごみ箱に置いて行ったのかも知れない。 
 猫などは連れて行く予定が出て行って帰ってこない。出発時間は迫っている。どうしようもなく出発して、猫を置き去りにしたかもしれない。飼い主さんも悔やんでいるかも知れない。
 このように考えれば、少しは怒りも収まりはしないだろうか。

 保護された方と一緒に苦言を呈すのではなく、逆の考えもあるよと怒りを抑えるのも獣医師としての役割のような気がします。

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