標茶町の弟子屈町寄りの高原に多和平という町営の牧場がある。標高220メートルの丘陵地帯で、2200ヘクタールに及ぶ広大な牧場である。数千頭の牛や羊が放牧されている。見晴らしのいい丘の上からは360度にわたり広大な北海道の自然が眺められる。丘陵地帯なのでまっ平らな地平線ではないが、空と大地の区切りが鮮明に眺められる名所でもある。夏には多くの観光客が訪れている。
この多和平から南一帯、弟子屈町から標茶町に広がって「熊牛原野」と呼称される地名がある。たとえば標茶町熊牛原野●番地と続く。ユニークな名前で覚えやすい反面、いかにも北海道の原野という表現で、子供のころは多少の抵抗を感じたものである。何しろ、戸籍にしっかりとその名前がのるからである。小さい頃からこの名前は日本語であると理解していた。北海道の地名はアイヌ語によるものがたいへん多い。しかしながら熊牛はいかにも北海道らしい名前である。昔からこの地帯にはクマとウシがたくさんいた原野であると自然に理解していた。ところが、近年になってこの名前がアイヌ語からつけられた名前であることを知った。自分の無知を悟ると同時に、身近なことさえ気付かない愚かさにあきれるばかりである。
クマとは「肉や魚を干すために使う竿(棒)のことで、ウシとは場所や有るを意味する言葉であった。この地で生活するアイヌの人たちの日常生活の一端を表した言葉であった。明治時代にそうした地域に熊牛村と名づけたことが始まりであった。この言葉をかみしめてみると、原野に生活する人たちの様子が思い浮かんでくる。多和平から見る原野の風景は、なだらかな丘陵地帯の北海道らしい自然が続いていた。クマウシの風景が続く大地の中で生活していた人々が脳裏に浮かんでくる。
中学時代の恩師であり、現在、アイヌ語の研究者として知られている松本成美先生が新聞で語っていた。アイヌ語と日本語はよく似ているというのである。発音について語っていたのであるが、中には意味も良く似た言葉もあるという。カムイと神などはその代表的な例となる。熊牛の言葉が日本語に近く感じるのも当然なのかもしれない。
私は学校でアイヌ民族と日本民族は全く別種の民族であると習った。しかし、現在はその説はいくつかの点で疑問視されている。縄文文化とアイヌ文化の類似点を皮切りに、現在ではアイヌ民族もモンゴル系の民族であるという説も浮上。そして原日本人の一つとしてアイヌ民族も含まれるという。アイヌ民族と一つのくくりで語られることが多いが、大きく三つのルートで北海道や東北に定住したことも分かり始めている。言葉もかなり違う民族がいるという。アイヌ民族は北海道の先住民として認識されているが、東北地方や関東地方に残るアイヌ語の地名を見れば、日本全体に彼らが生活していたことがうかがえる。一説には琉球からの移住説もある。アイヌ民族に対する研究はまだまだ始まったばかりといえるだろう。
この多和平から南一帯、弟子屈町から標茶町に広がって「熊牛原野」と呼称される地名がある。たとえば標茶町熊牛原野●番地と続く。ユニークな名前で覚えやすい反面、いかにも北海道の原野という表現で、子供のころは多少の抵抗を感じたものである。何しろ、戸籍にしっかりとその名前がのるからである。小さい頃からこの名前は日本語であると理解していた。北海道の地名はアイヌ語によるものがたいへん多い。しかしながら熊牛はいかにも北海道らしい名前である。昔からこの地帯にはクマとウシがたくさんいた原野であると自然に理解していた。ところが、近年になってこの名前がアイヌ語からつけられた名前であることを知った。自分の無知を悟ると同時に、身近なことさえ気付かない愚かさにあきれるばかりである。
クマとは「肉や魚を干すために使う竿(棒)のことで、ウシとは場所や有るを意味する言葉であった。この地で生活するアイヌの人たちの日常生活の一端を表した言葉であった。明治時代にそうした地域に熊牛村と名づけたことが始まりであった。この言葉をかみしめてみると、原野に生活する人たちの様子が思い浮かんでくる。多和平から見る原野の風景は、なだらかな丘陵地帯の北海道らしい自然が続いていた。クマウシの風景が続く大地の中で生活していた人々が脳裏に浮かんでくる。
中学時代の恩師であり、現在、アイヌ語の研究者として知られている松本成美先生が新聞で語っていた。アイヌ語と日本語はよく似ているというのである。発音について語っていたのであるが、中には意味も良く似た言葉もあるという。カムイと神などはその代表的な例となる。熊牛の言葉が日本語に近く感じるのも当然なのかもしれない。
私は学校でアイヌ民族と日本民族は全く別種の民族であると習った。しかし、現在はその説はいくつかの点で疑問視されている。縄文文化とアイヌ文化の類似点を皮切りに、現在ではアイヌ民族もモンゴル系の民族であるという説も浮上。そして原日本人の一つとしてアイヌ民族も含まれるという。アイヌ民族と一つのくくりで語られることが多いが、大きく三つのルートで北海道や東北に定住したことも分かり始めている。言葉もかなり違う民族がいるという。アイヌ民族は北海道の先住民として認識されているが、東北地方や関東地方に残るアイヌ語の地名を見れば、日本全体に彼らが生活していたことがうかがえる。一説には琉球からの移住説もある。アイヌ民族に対する研究はまだまだ始まったばかりといえるだろう。