原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

母の青春

2013年11月15日 09時49分14秒 | Weblog

 

母が亡くなってから、すでに11年を過ぎた。なぜか最近母のことをよく思い出す。それも大昔のことで、私がまだ3歳か4歳の頃の記憶である。前後の脈略がなく、思い出すのはある一点だけ。その当時の背景を少し言うと、父が病死し、病弱の姉と乳飲み子の私の二人を抱え、母が必死に生きていた時代であった。私が知る限り、母は膨大な苦労を背負って人生を歩んできた人だと思う。そうした母の人生なのに、私がいま思い出すのは、母なりの青春を感じさせる記憶なのである。それもあまりにもささやかで、ホタルの淡い光のような小さな明かりでしかない。それが実にホロ苦い。

 

写真をみると、当時の私はいわゆる坊ちゃん刈り。丸坊主ではなかった。当然、月に一度くらいは床屋に行かなければならない。ひとりで行ける歳ではなく、母がついていく。その道すがら、母は必ず言った。「○○さんに髪を切ってください。と言うんだよ」。もちろん、意味も分からず頷く私だが、床屋に着いた頃は完全に忘れている。さて、順番が来て呼ばれ、のこのこ動き出そうとする私を母が止める。「あの、この子は○○さんにしてもらいたいと言っているのですが」。「それなら後回しになるけどいいですか」「はい、けっこうです」と答える母。私の意思ではなくこれは明らかに母の意思である。私はただ順番を遅らされて、待つ身となる。

 

その床屋にはいわゆる理容師と呼ばれる人が4人ほどいた。かなり混んでいた。たしか女性もいた。だが母が指名した人は男性の一人だった。当時の坊ちゃん刈りに特別な技術があったのだろうか?どうも、そんな気がしない。

やはりそこには母の明確な意思を感じる。指名する理由があったはずだ。それはなにか?幼い私に言い含めてまで指名をする理由はなにか?母の気持ちを探る。○○さんに近づき、話すための母の手段であった、のではないだろうか。そう思いあたった時、30歳頃の母の体温を感じた。

 

まだ戦後という言葉が飛び交っている時代。二人の子供を抱えて必死に生きていた時である。そんな時でも母は恋というか思春期のように心をときめかせることがあった、と想像するだけで何かほっとする。苦労だけしかないと思った母の人生にも、温かな風が流れていたと思うからだ。手前勝手な想像であることは承知で言うが、なによりも私を利用したということが少しばかり嬉しい。親不孝者で母の人生においてマイナス点しか与えていない私にも、多少の貢献をする機会があったわけだ。そう思うだけで、わずかながら救われる。

 

残念ながら、この母の恋は実らなかったようだ。私は床屋の養子にならなかったし、○○さんの顔も床屋さんの名前もいまは思い出せない。きっと、母の淡い思いは、心の奥にそのまま密かに残されてしまったのだろう。

 

私がこの世に生まれる前の母の青春時代がどんなものであったのかは、全く想像できない。伝え聞いた話では、母の実家は北見で牧場をやっていたとか。屯田兵の末裔としては成功者であったらしい。母も当時としては珍しく女学校まで入学していた。ただこの在学中に家が没落(後を継いだ長兄梅太郎の放蕩が原因。昔のブログで紹介)し、一気に貧乏生活になったとか。しかし、夢の多い思春期時代があったことは確か。母は当時を多くは語らなかったが、それなりの思い出がきっとあったと、思う。私が小学校の頃、一度だけ女学校時代の同級生が訪ねてきたことがある。楽しそうに歓談していたことを覚えている。それなりの青春時代であったと思う。だが、母は女学校時代の話をあまりしてはくれなかった。中退して去らなければならなかった学校に対する複雑な思いがあったのかもしれない。そういえば、同級生のこともほとんど話してくれなかった。話すことで余計に傷つくように感じていたのかもしれない。

 

これもずっと前に従姉(いとこ)から聞いた話なのだが、母が結婚適齢期になった頃、いくつか縁談話が持ち上がった。その中で最終的にまとまりそうになった相手がいた。それがある町の床屋さんだった。だが、母はどうしてもその床屋さんがダメだったらしい。そしてわたしの父のもとへ嫁いだという。その話を聞いたのは小学生の頃。

今盛んに記憶に出てくる床屋とは町も場所も全く違うのだが、案外こうした記憶が輻輳して蘇っているのかもしれない。

 

これはすべて私の記憶を起点に綴られた推測話。事実はまったく違うかもしれないが、今さらそれを確かめるわけにいかない。それなら私の好き勝手な想像の中で完結させておくことにしたい。苦労の多かった母の人生ではあるが、それなりの人生であったと、思う。

今日は、母に線香をあげながら語りかけてみるか。(2013年9月11日、母の命日に)


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