原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

台湾シリーズ⑦―神に祀られた日本人

2013年02月01日 08時18分00秒 | 海外

 

森川清治郎という名前を聞いてピンとくる人はそうはいないだろう。だが、台湾の中西部嘉義県では有名人。「義愛公」の名で神として祀られている日本人なのである。副瀬村にある富安宮にはいまも御神体として彼の彫像が祀られている。明治以降の日本は欧米にならって植民地政策をとり東南アジアに侵略したという前提で歴史が語られ、植民地の一つに挙げられる台湾(現中華民国)に多大な迷惑をかけたと主張する人がいる。彼らがどれほど真実をゆがめているか、すでに多くの人は気づき始めた。森川清治郎は当時の日本の、海外進出における真の姿を語っている。

 

日清戦争の後、下関条約により日本は台湾を領土とすることが決定した。この時の清国が放った言葉が凄い。台湾は「化外の地」だから勝手に使え、だった。つまり最初から自分たちの領土ではないと宣言していたのである。台湾省と位置付けたのは毛沢東に追われて台湾に逃げた蒋介石が勝手に言いだしたもの。後になって蒋介石を利用した中国が、台湾は自国の領土と主張し始めている。もちろん、こうした歴史的事実を中国は無視している。

 

1897年に森川清治郎は巡査として台湾の副瀬村に赴任している。36歳であった。当時の日本の行政方法の一環で、警察官が役人であり村長の役割を担っていた。半漁半農の貧しい村を少しでも豊かにしようと森川は懸命に仕事をする。寺小屋をつくり子供たちに学問を教えたり、優秀な児童にはさらに上の学校へ行けるように自費で送り出すこともしていた。村が豊かになる工夫をたくさんしていた。村人との親交も厚く自然に「大人」として尊敬されるようになっていた。1901年、台湾総督は漁業税を新たに制定する。貧しい村には過重な税である。村人は森川に相談する。なんとか減税をしてもらえないかと。村民の生活を熟知していた森川は、嘉義庁東石港支庁へ減税を陳情するために赴く。この時の支庁長は森川が村人を扇動して謀反を起こそうとしていると誤解。陳情をはねつけてしまった。森川は村民に申し訳ないと謝り、苦しくても頑張って税を払ってほしいと伝える。苦渋の発言であった。村民は彼の言い分を聞くしか方法はなかった。しかし、森川は村民に申し訳ないという気持ちと、謀反の扇動者に思われたことが悔しく、1902年4月7日に銃で自殺をしてしまう。村民は彼を手厚く葬った。

森川の死後21年も経過した1923年に近隣にコレラ脳炎が大流行する。副瀬村の当時の保生(村長)であった李九は夢を見た。夢枕に警察官姿の森川が現れ、「環境衛生に心掛け、飲酒に注意し、生水、生ものを口にせぬこと」と告げた。李九はそのお告げ通り村民に実行させ、副瀬村は一人もコレラ患者を出さなかった。

以来、義愛公の尊称をつけられた森川巡査は、ご神体として富安宮に祀られるようになった。そして今も副瀬村の村民のみならず、周辺に分霊され、義愛公信仰が継続されているのである。

 

もともと道教というのは土着信仰の影響を強く持ち、人間を神として祀る例があった。しかしそれほど多くはない。まして日本人となれば稀もいいところである。もし日本の植民地政策がかつての欧米の植民地政策と同じであったなら、こういうことは決して起こらないであろう。一部の人たちが叫ぶ非道な日本政府の植民地政策というものの根拠を疑わざるを得ない。このように神として祀られた日本人警察官は森川巡査の他にも台湾にはいる。増田敬太郎という警察官もそうであると聞いている。

この台湾と対極にあるのが朝鮮半島だろう。同じ時期に朝鮮半島も日本の領土であった。日本政府は台湾と同様に朝鮮半島も扱ったはずである。しかし、朝鮮半島の人はなぜか台湾の人とは全く違う。反日感情は異常なくらい高い。この違いはどこから生まれるのだろうか。日本政府が台湾と朝鮮半島を区別して統治したとは全く思えない。朝鮮半島で教える歴史教育に大きな疑問を持たざるを得ない。

 

つい最近も尖閣諸島に台湾の抗議船「全家福」がでかけ、追い返された記事があった。この抗議船こそ中国の意向で出されたものは明白。馬台湾総督も選挙で中国の援助を受けた弱みから、抗議船の出航を許可した。つまり尖閣問題を中台が共同で抗議していると見せかけるための演出である。中国で起きた去年の反日暴動で日本と中国の関係が冷え込んだ。だがこれは逆に中国に大打撃となった。欧米さえ中国から撤退を始めたからだ。だから前面に出ないで台湾を使って日本に揺さぶりをかけようという中国の戦略であった。また日本と台湾が進めている日台漁業協議を粉砕する狙いもあった。

 

前の台湾シリーズでも述べたが、台湾の人は尖閣諸島の領土権など主張していない。李登輝初代総督も明言している。昔通り魚をとる権利を認めてほしいと主張しているだけ。中国と決定的なスタンスの違いがある。中国はそれを無視して自国の権利を要求する哀しい国なのである。

 

(日本統治時代に建設された台湾総督府。蒋介石は日本を徹底的に否定したが、彼が台湾で独立できたのは日本が確立していたインフラがあったからこそである)

 

副瀬村の富安宮を訪ねたのは4年前だった。ちょうど宮の建て替え時で御神体も修復中であった。高さ50センチほどのご神体は、残念ながら写真しか見ることができなかった。このとき一人のおばあちゃんがいろいろ世話をしてくれた。当時の日本新聞なども見せてくれた。日本に深い信頼をよせていることも語ってくれた。その人は李九村長のお孫さんであった。祖父の言いつけを守り、いまも李一家によって富安宮は存続されているのである。

 

*過去ログ、台湾シリーズ

2009年2月3日、西郷菊次郎を忘れない台湾の人

2012年12月16日、明石元二郎

2012年2月3日、本省人と外省人

2012年3月16日、芝山巌事件

2012年8月28日、八田與一物語(1)

2012年8月31日、八田與一物語(2)


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
親日・・ (numapy)
2013-02-01 09:07:07
台湾と朝鮮半島の違いですかぁ…。
きっとDNAの違いがあるんでしょうね。
もちろんそこに成り立ちや、歴史が絡んでくるんでしょうが、DNAの0,001%が違う。南方民族と韃靼人の違いでしょうか?
こういうのはあまり政治に関係ないことだけど、結局それを
構成してるのだから、政治に行きつく。
もしかしたら、日本もそうかもしれないですね。八百万の神ですからね。当時は、神の数の方が人間よりも多かったかもしれない…
返信する
素性もあるけど、 (genyajin)
2013-02-01 13:57:52
人によって受け止め方と言うものがあり、こちらが意図しないような反応をする人がおります。それぞれの個性ですから。しかし朝鮮半島の場合、ほぼ全員が同じ反応をする。やはりこれは子供の時からの教育だと思います。日本だって、戦犯として裁かれた人が犯罪者だと思っている人は90%はいると思います。日本が侵略戦争をしたと思っている人は80%でしょう。そう教育されtきましたから、70年近くも。これを溶解させるのは大変なことですね。コペルニクス的大転換の時が必要ですね。早くそういう時代になってほしいと思ってますが。
やはり小泉進次郎の世代まで待つしかないのかな。
返信する

コメントを投稿