原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

徒然紀行①――塘路駅にて。

2010年10月05日 08時35分51秒 | 徒然記
久しぶりにJRに乗って塘路に向かった。
秋の日差しは心地よく、湿原の草木が風に靡く姿が目に優しい。
原野は確実に冬支度を始めていた。
枯れ落ちる前の葉たちが、最後のざわめきを発していた。

用事を終えて、再び列車に乗るために駅に戻った。標茶行の列車が来るまで少しの余裕があった。ゆっくりと駅の周りを眺めるために無人のホームに出た。湿原が目の前に広がっていた。深呼吸をすると野の香りを感じた。

空を見上げていた時、後ろから声をかけられた。
「どこまで行くの?釧路かい?」
無人駅のはずであったが、どうやら駅員風の人が二人立っていた。
「標茶までです」と答えると、
「切符はあるの?」
「いえ、ありません。ワンマンだから、中で買います」
「そんなら、ここで買いなさい」
ワンマンの場合、列車に乗り込む時、乗車駅チケットを入り口でとり、それを降りる時、車掌か降車駅の駅員に見せて精算すればよい。効率的な方法である。

ところが切符は駅で購入しろと、駅員が言う。ふだんは無人なのだが、夏の観光シーズンは常駐するらしい(ノロッコ号の運航時期だけ)。
仕方なく切符を注文した。風が吹き通るホームに設置したテーブルの上で切符の販売が行われた。
駅員は、小さなノートのような束をとり出し、その一枚に手書きで切符を作り始めた。昔よく見た手書きの切符であった。その仕上がりには不思議な懐かしさを覚えた。だが、書き終わるまで3分はかかったろう。客は私一人。特に問題は感じなかったが、もし二十人ほどの客がいたなら、二人で処理したとしても、軽く30分はかかる。これは明らかに時間と労力の無駄ではないのか。
何故こんな無駄なことをするのか。その理由を考えた。
・売り上げから、駅員の給料に加算される。
・高齢者対策で仕事を作っていた。
・事故対策(夏は観光客が多いから)。
私の頭ではこの程度しか思いつかない。きっともっとたしかな理由があるのでは。いや必ずあるはずだ。

(手書きの切符)

ボーっと、思考する頭に、静かな声が入りこんできた。
「今日は風があるね」
何という話ではないのに、なぜか、とても心地よく響いた。北海道なまりが湿原の風景と見事に調和していた。少し前に、無駄とか効率のことだけを考えていた自分の愚かさに気づいた瞬間でもあった。
そうか、こういうことのために、この人たちはいるのか。つまり、この駅を訪れる旅人のために、彼らがいた。全く無駄に感じる人もいるかもしれない。多くの人が訪れたなら、逆に邪魔になる人たちかもしれない。それでも彼らがいる理由がある。そんな気がした。
私は自然に塘路のことを尋ねていた。それほど知られていないが、意外にいい場所がいくつも飛び出してきた。彼らは自分から宣伝するようには言わないが、聞くととめどもなく語りだす。私がまだ知らない見どころが三つも知ることができた。
無聊とも思える列車待ちの時間が充実の時に変わっていた。無駄と思えることの重要性がいまさらながら分かった。特に旅は無駄を大切にすべきなのだ。そういえば自分が旅している時は、無駄を楽しんでいたではないか。

すでに親会社は倒産してしまったが、かつて日本でも有数の某ホテルチェーンがあった。このホテルのモットーは、徹底した合理化主義であった。無駄を省き、すべて効率で思考するホテルであった。莫大な利益をあげ、オーナーは世界的な資産家の一人に数えられていた。が、ホテルを含めた同じグループ企業の経営は常に赤字決算にしていた。税金を払わないことが経営方針であったのである。オーナーにとって税金も無駄の一つであったらしい。
大きな資金の流れの中で生きてきた企業は、流れが一つ止まると歯車が狂う。バブルがはじけた後、グループの経営は順調ではなくなった。有名ホテルは次々に人手に渡り、グループは崩れて行った。だが、私はそのホテルが消えることに特別な感情を覚えなかった。何度利用しても、便利だと思う以外に、何もなかったからである。
私にとって、忘れ難いホテルが日本や海外にいくつかある。もしこのホテルが消えることになったら、ものすごく残念に思う。そうした感情があの某ホテルチェーンにはまったくなかった。それがこのホテルの最大の弱みであったように思う。

効率や無駄を省くことはある程度必要であるが、人間の温かみを通い合わせる本筋を見失ってはいけない。特にホテルなどのサービス業はそうなのだ。ビジネス感覚だけでは補えないものがある。私には経営の才覚など全くないが、ここだけは分かる。
(道東の小さな旅のひと時)

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2 コメント

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世の中にムダはない! (numapy)
2010-10-05 11:06:43
一見ムダと思えることが、実は別の面で大きな役割を果たしていたりする。
これが生物多様性に学ぶことだと思います。
アソビはあってもムダはない。
その意味でアメリカ的効率主義、ことに金融にはアソビもムダも不要です。
生物の法則に反してると思いませんか?
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効率原理主義の怖さ (原野人)
2010-10-05 16:27:53
効率優先の合理主義は一見新しさと近代化の基本のように思われ、いつの間にか我々はそれにはまっていたような気がします。便利が良ければすべて許されるような原理主義に毒されていたのかも。
今一度、人生に何が必要なのかを考えると、すぐ見えるはずのものを、見えなくしていた自分がいます。
遊びや無駄の効用を賢人たちが、昔から多く語っていたことをすっかり忘れていました。反省です。
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