異常な暑さの夏がようやく収束。湿原に秋の風が吹き渡る季節となった。花の湿原ともたとえられる霧多布湿原ではあるが、さすがに今は花を楽しむことはできない。でも、移り変わる季節の細やかな様を見ることができる。ある意味、季節のど真ん中より、自然を感じさせてくれる。花の季節から冬鳥の季節への橋渡しをしているかのようでもある。麦色に姿を変えたヨシ群が湿原に広がり、葉を落とし始めたハンノキが目立つ。夏の緑を残しながら、冬支度を始めた湿原の様子が手に取るように見えた。こうした自然を楽しむことができるのも、道東に住むものの特権と言えるだろう。 . . . 本文を読む
いま道東では、チューリップが旬。サロマ湖近くにある上湧別のチューリップ公園へ足を伸ばした。敷地7万㎡に100種以上、120万本のチューリップが咲き乱れていた。なかなかに壮観だ。一度にこれほどのチューリップをみたことがなかった。その数と風景に圧倒される。色も多彩だが、品種の多さにも驚く。とてもチューリップとは思えないものもたくさんあった。品種の改良によって、次々に新しいチューリップが生まれているとか。昔から馴染みのチューリップのイメージがここに来ると相当変えられてしまう。花を愛する人に悪い人はいないという都市伝説もあるが、欲がからむとチューリップもちょっと怖いものがある。 . . . 本文を読む
写真は5月6日に撮影したもの。あまりにも早い満開にちょっと驚く。わが標茶町の桜はまだ蕾も見せていない。津別はすでに満開状態。昨年も満開時に津別を訪れているが、5月19日だった。なんと二週間も早い。なぜ?。標茶と津別は直線距離で50キロ余り。北に位置するのが津別だ。北と南で気温の逆転現象が起きていた。気象の不思議に混乱する。地形をみて理由が少し分かった。釧路根室地方の太平洋側と網走地方のオホーツク海側の間には知床連山、雄阿寒岳や雌阿寒岳の山麓、そして白糠山系へと、一千mを超える山が連なる。これが気象の国境となっているらしい。 . . . 本文を読む
いっこうに姿を消さない残雪にしびれを切らして山へ。久しぶりに山行をした。昨年に比べ4週間ほど遅い。山はまだたっぷりと雪を残していた。深いところで40センチはある。春の日差しに全体が緩んでいるので、ズボリズボリと足が沈む。何度も足をとられ転びそうになる。冬籠りに鈍った体がうずく。かなり体力が落ちてる。少し鍛えなおさなければと喘ぎ喘ぎ思う。歩けど歩けど、山には春の兆しをあまり感じない。やはり雪が消えないうちは春の身支度とはならないようだ。空をみれば、いつの間にか雲が広がっていた。出かけた時はきれいな青空だったのに。春の天気の変わり身のは速さに、少し驚く。 . . . 本文を読む
IT、デジタルの現代社会において、どこから見てもアナログ、アナクロ、昭和の遺物と言える古色蒼然たる蒸気機関車。だが、21世紀となった今もその人気は少しの衰えを見せない。理由はどこにあるのか。圧倒的な存在感と、原野を懸命に走るSLの姿に、お父さんたちは昔日の自分の姿を重ねているのかもと、勝手に考えていたが、カメラを構える人の群れの中には、若者や女性の鉄ちゃん(鉄子と言うらしい)たちの姿もあった。彼らもまた、「三丁目の夕陽」的ノスタルジーを求めているだろうか。今年も、SL冬の湿原号が重連で雪原を駆け抜けた。 . . . 本文を読む
SL冬の湿原号の季節がやってきた。今年も1月21日から釧網線を走っている。白い雪原を走るSLの黒い雄姿。コントラストが効いてなかなかいい。鉄ちゃんでなくてもワクワクする。今年はどんなシチュエーションで撮ろうかと思ってところへ、情報が入った。SLと馬が並走するというのだ。これを見逃してはない。1月22日の日曜日。ところがこの日はあいにくの大雪。道東では極めて珍しいもの。しかし、馬が走るのはこの日が最後(前日にも走っていたが)。降りしきる雪の中のSLもまた情緒があるはず。防寒具に身を包んで、いざ雪原へ。 . . . 本文を読む
冬将軍の足音が聞こえる季節となった。故郷に帰ってから今年で8度目の冬を迎える。最初の5年は仕事を抱え、特に年末から3月頃までは家に閉じこもりの日々。あまり冬を楽しむという気分ではなかった。外に出ないことが基本であった。仕事から解放されて、ようやく道東の冬を真正面から見るようになった。すると冬の楽しみも少しずつ増えてくる。きっかけとなったのは霧氷。立ち上る川霧が樹木について結氷する、その独特の世界を見てから、冬を楽しむことができるようになった。冬しかない風景や冬にしか出会えない野鳥もいる。道東を知るなら、やはり冬が一番であると、今は思う。 . . . 本文を読む
アイヌ語の「シベッチャ」は大川の辺、という意味である。この言葉から町名が標茶(しべちゃ)町となった。名の通り、街の中央を釧路川が走っている。久しぶりに橋を渡りながら川を眺めた時、川べりに群がる黄色い花が目に入った。オオハンゴウソウである。周囲を見るとセイタカアワダチソウもある。昨年のブログで取り上げた「黄色い侵入者」の特定外来生物であった。釧路湿原から軍馬山まで進出していたことは確認していたが、ついに町の中まで来ていた。彼らの侵入速度は一段とアップしているようだ。外来種が進出する北海道には、こうした宿命が継続しているかのようだ。 . . . 本文を読む
釧路市の幣舞橋は北海道の三大名橋の一つであるらしい。札幌の豊平橋、旭川の旭橋と並ぶという。どんな基準で三大名橋というのか分からないが、今や釧路の名所としてその名が知られれている。釧路を舞台とした映画や歌に必ずと言っていいほど登場する。その意味で釧路を象徴する橋であることは間違いない。なんといっても、ユニークな名前が印象的だ。幣舞とはヌサマイと読む。初めての人には絶対読めない。もちろん日本語ではない。アイヌの人たちの言葉に漢字を当てはめただけだ。だが、意外にその意味を語る文献が少ない。 . . . 本文を読む
今年もサクラマスの季節となった。斜里川の上流、「サクラの滝」を懸命に超えるサクラマス。毎年毎年繰り返されるこの聖なる行進は、今年もこの清流を賑わしていた。道東に降り続いた雨のせいだろうか、滝に落ちる水の量が昨年より多く感じる。一方、滝に挑むサクラマスの数が少なく見える。だが、固体サイズは大きく見えた。彼らにも何かの変化があったのかと想像してしまう。昨年に続く二度目の訪問なのだが、何か家族を見るような眼になっていた。今年も元気な子供をたくさん育ててほしいと、願う。 . . . 本文を読む
牡蠣の町として知られる厚岸町から、別名シーサイドラインという123号線を走ること12キロ。太平洋側に突き出たチンペノ鼻と呼ばれる岬がある。この手前の台地一帯(約100ha)が紫の花に染まる季節が来た。30万株以上のヒオウギアヤメが咲き広がる「原生花園あやめヶ原」である。6月から7月にかけてが一番の見ごろ。ここには120種を超える野花があり、5月から10月にかけていろいろな花を観賞することができる。それでもやはりヒオウギアヤメの時期が一番華やか。遊歩道が岬の先まで続き、放牧された馬や北国の海岸線らしい風景を一緒に満喫できる。 . . . 本文を読む
今年も芝桜が見ごろの季節となった。川湯から道道の網走川湯線(通称芝桜花街道)を二十分も走れば芝桜公園に着く。かつての東藻琴町はいまは合併で大空町となっているが、芝桜公園には東藻琴の名前が残されている。藻琴山の裾野に広がる芝桜の巨大な絨毯は、敷地十ヘクタールに広がる。山の斜面を利用した公園の風景は遠くからでも確認できる。緑の野山に朱色の絵具をまき散らしたかのようにも見え、なかなかに壮観な光景となっている。 . . . 本文を読む
海流に運ばれた砂が堆積して造られた砂嘴(さし)と呼ぶ独特の美しい形状をした野付半島。その一角にトドワラという奇妙な名前の場所がある。トドマツが林立していた原というところからトドワラという名前がついた。砂嘴の上にできた森であったが、地盤の沈降や海水面の上昇で樹木を侵害。トドマツは立ち枯れの状況となった。時が経過するに従い、林は風化し消滅へと進む。後には荒涼とした湿原風景が残るだけ。北海道の中でも別次元の世界を見せてくれる場所となった。緑と花の美しい風景だけではない、北海道の野生的な魅力を掲示していた。 . . . 本文を読む
(昨日の続き)簡易軌道の原則は馬力線であった。ところが人口が増加した北海道では、輸送量が年々増加。これに対応するために、北海道開発局は1952年(昭和27年)から積極的に簡易軌道の改良事業に乗り出している。軌道の改良と自走客車やディーゼル機関車の投入による動力化であった。原乳輸送のためのタンク車両も登場している。標茶線という新しい軌道も生まれていた。輸送距離の長い地域からそうした改良が行われていたのである。
ただ久著路線はその対象外であった。そこに木の挽歌橋消滅の要因があった。 . . . 本文を読む
2010年10月19日のブログで挽歌橋の話をした。すでに消滅した橋ではあるが、原田康子原作の小説「挽歌」が映画化され、そのロケ地にちなんで名づけられた橋である。映画のどんなシーンに登場したのか、その謎を解く機会をついに得た。先日、釧路で開かれた霧笛復活祭において映画が上映されたからである。挽歌と言うタイトルから、入水自殺のシーンに橋が使われたのではと、想像していたが、見事に違っていた。だが、橋の姿が実に良かった。クラシックで優雅な木の橋は映画のイメージを増幅させていた。挽歌橋と名付けられた理由が分かったような気がした。 . . . 本文を読む