祖母の命日

2010-08-02 22:59:55 | Weblog
 ところで今日は祖母の命日。
 戦前まで四谷に家があったからか、墓地は多磨霊園にある。
 それこそ埼玉の実家からは下道(したみち)を走って2時間近くかかることもあったのに、今じゃ自転車で15分。(実家の家族からは「墓守」と言われることも。)お参りしても1時間かからないなんて、便利(?!)だ。
 以前は会ったことのない祖父母だけだったけれど、今ではよく遊びに行った伯母や一度だけこの墓の前で会ったことのある叔父も入っている。いのちのつながりを感じ、やがてはご先祖さまにつながっていくということか。

 子どものころは鬱蒼と茂った人気のない、ちょっと怖い場所だった(お彼岸のころならともかく、8月の盛夏のころなんて滅多にお参りに来る人はいない)。今はだいぶあちこち刈り込まれていて見晴らしもよくなっているが、やっぱり独得の空気がある。それはそうだ。亡くなった人が眠る場所なのだから。どんなに近くても、遅い時間には行ってはいけないとつくづく思う。
 おじいちゃん、おばあちゃんが見て、恥ずかしくない生き方をしているかな、とちょっこし己を省みる。
 

埼玉話

2010-08-02 22:36:05 | Weblog
 今日会った人は生まれは調布生まれ&育ちのくせに、埼玉にやたら詳しくて笑った。よく遊びに行くかららしいが、地元の懐かしい話やマイナーな話題で笑いっぱなしだった。
 湘南新宿ラインはいつから走ってたのかとか、京浜東北線は赤羽からどこへ消えてしまうのかとか(上野とか東京方面にほとんど行かないらしい)、高崎線の快速の停車駅とか武蔵野線の半端なさ(トンネル通過の時はヘッドフォンから音が消えるとか雨が降ると止まるとか)とか、別所沼公園とか深谷のネギとかもうホント知る人しか知らない話題ばかりで、読んでもわからない人には恐縮です(汗)。たぶん、ここに住むようになってから一番ディープに埼玉の話をしたような気がする。
 懐かしいけど、実家も今でもあるけど、私自身、埼玉に住む気にはもうならないんだよな。
 たまに帰るとどんどん変わっていく街並み(さいたま新都心なんてなかったし)、どこまでも平地が広がって地理的にとらえどころのない感じや遊びにくいところ(自転車に乗って遠出しても、おもしろみがない)、歴史の足跡が薄いところ、好きな場所が少ないところ、湿度の違うところなど。。。全部あくまで個人の感想なので説明しないが、まあ、前向きに言って想像以上に多摩丘陵の眺めと川のほとりになじんだということだ。
 横浜より神戸が好きなように、なんとなくこじんまりしたというかまとまりのあるところのほうが好きなのよ。
 埼玉(実家)に住むメリットがあるとすれば、母の手料理ぐらいです(笑)。

 話が逸れたが、次に会う時は埼玉の隠し球でも見つけておかないといかんな、と思った帰り道。ところで昔別所沼は底なし沼だと浦和育ちの母に聞いたことがあるのだが、あれって今じゃ言われていないのか?!

優しい気持ち

2010-08-02 13:26:27 | Weblog
 傍にいる人たちのやさしいことばや、笑顔、気持ちで、いつのまにか自分の中にもやさしい気持ちが生まれてくる。
 大切にされることで開かれた心の目が初めて見たものも。
 すべて、目に見えない、(結果としての)贈り物。開けていないプレゼントの包みを手にしたときの感動。

 最近、「目に見えないもの」とか「気と気のやりとり」とかいうことを考えているのだけど、うーん、やっぱり、そうなんだよね~。


 今、この時の優しい気持ち、大事にしよう。。。