ところで今日は祖母の命日。
戦前まで四谷に家があったからか、墓地は多磨霊園にある。
それこそ埼玉の実家からは下道(したみち)を走って2時間近くかかることもあったのに、今じゃ自転車で15分。(実家の家族からは「墓守」と言われることも。)お参りしても1時間かからないなんて、便利(?!)だ。
以前は会ったことのない祖父母だけだったけれど、今ではよく遊びに行った伯母や一度だけこの墓の前で会ったことのある叔父も入っている。いのちのつながりを感じ、やがてはご先祖さまにつながっていくということか。
子どものころは鬱蒼と茂った人気のない、ちょっと怖い場所だった(お彼岸のころならともかく、8月の盛夏のころなんて滅多にお参りに来る人はいない)。今はだいぶあちこち刈り込まれていて見晴らしもよくなっているが、やっぱり独得の空気がある。それはそうだ。亡くなった人が眠る場所なのだから。どんなに近くても、遅い時間には行ってはいけないとつくづく思う。
おじいちゃん、おばあちゃんが見て、恥ずかしくない生き方をしているかな、とちょっこし己を省みる。
戦前まで四谷に家があったからか、墓地は多磨霊園にある。
それこそ埼玉の実家からは下道(したみち)を走って2時間近くかかることもあったのに、今じゃ自転車で15分。(実家の家族からは「墓守」と言われることも。)お参りしても1時間かからないなんて、便利(?!)だ。
以前は会ったことのない祖父母だけだったけれど、今ではよく遊びに行った伯母や一度だけこの墓の前で会ったことのある叔父も入っている。いのちのつながりを感じ、やがてはご先祖さまにつながっていくということか。
子どものころは鬱蒼と茂った人気のない、ちょっと怖い場所だった(お彼岸のころならともかく、8月の盛夏のころなんて滅多にお参りに来る人はいない)。今はだいぶあちこち刈り込まれていて見晴らしもよくなっているが、やっぱり独得の空気がある。それはそうだ。亡くなった人が眠る場所なのだから。どんなに近くても、遅い時間には行ってはいけないとつくづく思う。
おじいちゃん、おばあちゃんが見て、恥ずかしくない生き方をしているかな、とちょっこし己を省みる。
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